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本当の天才

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 つまり、
「攻めるも守るも、程度による」
 という、その、
「程度」
 というものが分かるようになってきたということであろう。
 その頃は、
「不特定多数」
 であった。
 最初からターゲットを狙っているわけではなく、駅に行って、その時の状況でターゲットを変える。
 それは、
「その日の気分で、どんなタイプにするか?」
 という決め方で、
「自分の好みに合っているかどうか?」
 というのは、あまり関係がなかった。
 もし、
「しいて言えば、どういう女性が好みなのか?」
 と言われれば、
「最初にずっと一緒だったあの女」
 ということになるのだろうが、すでに、
「過去の人」
 ということになり、二度と姿を現さないのだから、
「余計に、記憶から消えていっているような気がする」
 と感じるのだった。
 だから、余計に、
「誰か今さら一人に決めるなどというのは、やりたくない」
 と思った。
 それはきっと、あの時の女のイメージがどこかに残っていて、
「いずれは帰ってきてくれる」
 と感じているからだと思っている。
「それまで彼女一筋」
 というわけではないのは、彼女が自分の前から消えたということが起因しているに違いない。
 最初は、
「彼女にも飽きがきた」
 と途中考えることもあった。
 確かに、一人の女だけをターゲットにしていると、その女のイメージで凝り固まることで、
「いつの間にか、自分の心がその女から離れていくのではないか?」
 ということを感じてくるのであった。
 しかし、それは、その女のことが嫌いになったわけではなく、人間の本性としての、
「飽き」
 というものが、自分の中でどうしようもない、本能のようなものだ。
 と感じるようになっていた。
 だから、
「ちょうど、タイミング的によかったのだ」
 とも思ったし、
「彼女がいなくなったのは、彼女の方でも、俺に飽きたのかも知れないな」
 と感じるようになった。
 というよりも、
「彼女の方が俺よりも上手で、身体が他の男を欲しがったのか、それとも、俺がそんな彼女の本性を目覚めさせたのかも知れない」
 などと思ったりもした、
 だから、彼女がいなくなったことで、自分の中で、
「ホッとした気分にもなったのだ」
 というのが、
「俺があの女から離れられなくなるのは嫌だ」
 という思いがあった。
 最初は、
「他の女を触ってみたい」
 という思いはただの欲望だと思っていたが、それが、
「彼女に対しての恐怖だ」
 と感じると、
「感じることができた」
 ということで、それが安心感につながった気がした。
「感じることで、自分の中にある、本性を理解できそうな気がして、本性と本能の違いというものが分かる」
 と感じられるようになったといってもいいだろう。
 高校時代くらいまでは、こんなことを感じたことはなかった。
「彼女がほしい」
 という感覚は確かにあったのだが、その感覚がどこから出てきたのかというと、
「俺は高校時代、男子校だった」
 ということで、
「彼女ができないことはつらい」
 と思っていたが、逆に、
「男子校ということで、彼女ができないのも仕方のないことだ」
 という言い訳ができることに安心感を覚えていた。
 つまりは、
「言い訳になることがあるのは、安心感につながる」
 ということで、
「言い訳になることがあるというのは、それだけ、最初からリスクが高かったり、不可能であるということを証明していたり」」
 ということになるのだ。
 だから、特に、大学生になってから、こんな変態チックな性癖をもってしまうと、
「不可能と思えることでも、言い訳になるものがある方が安心できる」
 ということで、不可能と思うことを感じさせるものがある方がいいとでも感じていることが、いつの間にか、自分の中で、自分に対して、
「怖い」
 と感じているのであった。
 最初こそ、
「怖さだけを感じていた。
 高校生の頃は、本当に純粋な性格だった。
「彼女が欲しい」
 と感じたのも、
「性癖」
 のような欲望ではなく、単純に、
「彼女を連れている友達」
 というものを見ていて、
「うらやましい」
 という嫉妬を覚えたからである。
 その頃の嫉妬というのは、自分の中で、
「あってしかるべき」
 と思っていたが、
「嫉妬心が、まわりに与える影響が、リスクを生む」
 ということに気づいていなかった。
 ただ、リスクを感じさせるような気持ちは、意外と子供の頃の方があるのかも知れない。
 たとえば、
「誰か好きになった女の子」
 というのがいれば、
「家を知りたい」
 であったり、
「電話番号を知りたい」
 などという欲望が生まれてくるだろう。
 特に、
「中学時代」
 であったり、
「高校時代」
 などでは、実際に勉強が手につかないというくらいになることだろう。
 しかし、だからといって、
「彼女の後をつけて、家を調べる」
 などというのは、
「ストーカー行為」
 ということになり、絶対にしてはいけないことなのだ。
 しかし、中学時代の担任の先生が、ホームルームの時間に、
「私の中学時代というと、今でいうストーカーなどという言葉はなかったからな」
 といっていた。
 その担任の先生は、40代から50代くらいのベテラン先生ということだったので、その先生の中学時代というのを調べてみると、
「なるほど、先生の中学時代というと、ストーカーなどというのはなかったんだな」
 と感じた。
 それで、その時代に興味をもって先生に聞いてみた。
「ストーカーなんて発想がなかったら、好きになった彼女の家を突き止めようとするくらいのことはあったんじゃないですか?」
 と聞いてみたが、
「ああ、そうだね。先生はそこまではしなかったけど、実際に、それくらいのことであれば、それが悪いことだという意識がなかった人も多かったかも知れないな」
 というのであった、
 もちろん、今の時代では、そんな
「誰かの後をつけて、家を突き止める」
 などということは、立派な犯罪である。
 学校でも、それくらいのことはストーカー行為だということで悪いことだとしておしえている。
 というのは、そこを教えないと、
「知らない大人に声を掛けられてついて言ったりしてはダメだ」
 ということを教えたとしても、
「なぜ、いけないのか?」
 ということが分からないだろう。
 実際に、学校の対策として、
「集団登校、集団下校」
 などということをさせたり、
「教室で授業中に使ってはいけないが、スマホなどは、携帯していなければいけない」
 ということになっている、そんな矛盾をいかに説明するかということである。
 そのキーワードが、
「ストーカー」
 というものであり、
 学校では、
「必ず教えなければいけない」
 ということであった。
 もちろん、坂田もそれくらいのことは教えられた。
 そして、
「何をすればいいのか、何をしてはいけないのか?」
 という判断は、高校生までにはしっかりと分かっていたはずだった。
 しかし、大学生になり、
「いけない遊び」
 を覚えてしまった。
「遊び」
 で済むというものではなく、
「これはれっきとした犯罪だ」
作品名:本当の天才 作家名:森本晃次