本当の天才
しかし、なんといっても、
「事実もはっきりしていないのに、その状況だけで、皆が皆、痴漢と指摘された男を、蔑んだような目で見る」
というのが、許せない気がしたのだ。
「まるで、弱い者虐めではないか」
ということである。
もちろん、状況証拠からすれば、指摘された男が蔑まれるというのは、無理もないことだ」
といえるだろう。
しかし、皆が皆そんな目で見るというのは、ひどいと思った。
そんな精神状態だったからであろうか。被害者であるはずの彼女が、何かを言いたそうにしているのを、こらえているのを感じたのだ。
「ああ、犯人は違う」
といいたいのか?
と感じたのだが、
「なぜ、それを彼女がいえないのか?」
と考えた時、
「まわりの雰囲気がそうさせない」
というところにあるんだろう。
と思った。
そして、
「その感情が、痴漢されても、周りに助けを求められない感情につながるのではないか?」
ということに気づいた。
だから、本当であれば、
「女の子に同情してやるべきなのだろうが、そんな感情はその時の他の連中が感じているからいい」
と思ったのだ。
だから、
「だったら、俺は違う感覚でみてやろう」
と思った。
すると、
「どうして、男を助けてやらないんだ?」
と、被害者に対しては憐れみを持たないといけないと思いながらも、
「冤罪かも知れない」
という相手を、いくら自分が辱めを受けたとはいえ、
「助けてやらないんだ」
と感じた。
特に、
「彼女がいえば、説得力がある」
ということで、
「彼を助けられるのは彼女しかいない」
ということが分かっているのに、
「それでも、彼を助けようとはしない」
と考えると、
「被害者」
といっても
「同情の余地はない」
と感じるようになったのだ。
それを思えば、次第に、
「彼女が悪い」
と思うようになり、
「そんなだから、痴漢に狙われてもしかたがない」
と思うようになると、
「痴漢の被害者が皆気の毒だ」
と言えないのではないか?
と感じるようになったのだ。
確かに、
「痴漢をする」
というのは卑劣なことだが、痴漢をされた人が、
「自分の立場から、本当の犯人を捕まえることができるのに、それをせずに、まわりに身を任せる形で、成り行きを見守るだけ」
というのは許されることであろうか。
なんといっても、
「犯人が憎い」
と思っていないということである。
つまりは、
「その程度しか考えていない相手に同情などする必要があるのか?」
ということである。
それよりも、
「やってもいないのに、犯人に間違えられ、本当であれば、分かっているはずの被害者が、何も言わずに、本当の犯人をのさばらせることになるのを分かっていない」
ということになるのだ。
つまりは、
「彼女が一言証言するだけで、冤罪も生まないし、犯人が捕まることで、抑止にもなる」
ということから、
「痴漢犯罪」
というのは、
「これほど歪で、卑劣な犯罪はない」
ということになる。
それは、
「加害者」
はもちろん、
「被害者」
であったり、
「善意の第三者」
に至るまで、その場面でかかわったすべての人が、その犯罪をさらに増長させることになるということを分かっていないのだ。
だから、平気で、
「冤罪」
というもが生まれ、さらには、
「冤罪を生む」
という環境が整うということになる。
そんなことを考えていると、坂田もそこまで気づいたのだから、
「悪を懲らしめる」
というような、
「勧善懲悪になってもいいだろう」
ということになるのだろうが、彼はそれほどの
「偽善者」
というわけではなかった。
「若さゆえ」
というのは完全な言い訳であり、
「どうせ、どこを向いても、悪党しかいない」
と考えると、
「俺が悪党になって何が悪い」
と思うようになった。
そして、一番痴漢に身を落とすことになった理由としては、
その痴漢事件が起きた時の、
「女の反応」
からだった。
正直、
「あの女は、しょせん悪党だ」
ということは分かっていたが、そんな中で、痴漢に遭っている時の恥ずかしそうな顔は、本物だった。
さらに、男が捕まってからの、まわりを静観しているその姿は、その恥ずかしさを残したままだったのだ。
「悪党のくせに、恥辱にまみれた表情をよくできるものだな」
と思うと、
「これが、女の性というものか」
と感じるようになり、
「あの表情をされると、興奮してくる」
と感じたのだ。
だから、
「あいつら皆悪党だ」
と思いながらも、
「だったら、俺だって悪党になってもいいじゃないか?」
と思うようになった。
そして、
「皆が痴漢を初めて、辞められないというのは、そういう感情が渦巻いているからではないか?」
と感じることから始まっていたのだ。
もちろん、さすがに、大学に入学するまでは、怖くて痴漢などできなかった。
逆に、
「大学に合格すれば、思い切りやっちゃえ」
と思うようになったわけで、
「これが、受験への自分の中のバロメーターのようなものではないか?」
と思うようになったのだ。
依存症
「これほど、慢性化する犯罪だとは思わなかった。いわゆる中毒のようなものだが、これを今は、依存症という」
ということであった。
他にも依存症はたくさんある。
「買い物依存症」
「ギャンブル依存症」
「アルコール依存症」
というものである、
だが、坂田にとって、
「痴漢行為」
ほど、中毒性のある依存症はなかったといえるだろう、
それは、
「興奮度が増すのだ。すればするほど、ましてくる興奮度は、どんどん、知らなかったことが埋まってくるようで、それでいて、まだまだ知らないことが多いということを思い知らされる」
ということであった。
だから、
「捕まったとしても、また繰り返すだろうな」
という予感はあった。
しかし、他の、
「依存症」
という症状も、自分がなったことがないから分からないだけで、他の依存症の人と話をすると、
「いやいや、私も一緒ですよ」
というのであった。
もちろん、こんなことで張り合ったとしても、どうなるものでもない。それが分かっているくせに、ついつい、
「いやいや、俺の方が」
といっていいかエステしまう。
そかも、そんな話をしているのが、楽しいのだ。
まったく、
「子供の喧嘩だ」
といってもいいのだろうが、この子供の喧嘩が、ストレス解消にでもなるのか、実に楽しい気分になれるのだ。
「犯罪だ」
ということは分かっている。
しかし、犯罪でも、この興奮を味遭わないと、何か、禁断症状が起こりそうで怖いのだ。
「薬物による禁断症状」
というものを、一度、ドキュメンタリー番組で見たことがある。
「自分が誰か分からない」
「人を殺したとしても、何をしたか分からない:
それどころか、
「それが、興奮となってまだまだ味わいたいから」
ということで、どんどん薬を増やしていく。