カメハメハ王朝の開国と滅亡
歳を重ねた老婆がゆったりとしたホロクをまとって横たわっている。額の深いしわは、歴史の光と影を目の当たりにしてきた証である。かすれた声は優しくも重みがあり、一言ごとに宮殿の空気を変える力を持つ。彼女の眼差しは穏やかでありながらも鋭く、過去と未来を見通しているようだ。イオラニ宮殿の広間に佇むその姿は、まるで時の番人のように揺るぎない。中国から取り寄せた特大の籐椅子が国母の巨体を支えていた。
カウアイ王家から嫁いだこの女性はたくさんのカメハメハ王家の子供を産んだことで、今や国母として国の象徴となっていた。彼女の存在こそが、王朝の歴史そのものを体現している。かつてハワイ諸島の神々を廃止して、キリスト教を国教としたのも彼女の尽力によるものであった。
アイラウは宗教に関する進言は国母様を通すようにという国王の命令で、何度も面会を求めた。数か月後、念願の御目通りが叶い、緊張した面持ちで宮殿の奥へ向かったのである。彼は言った。
「この百年間、西洋の文明が地球を席巻しています。それはヘーゲルという賢者が正しい歴史のあり方を広めたからです。誰が考えても正しいことなど存在しない。正反対の考え方を持つ者が議論して双方が納得する新しい考え方を作り出すことが最も国を発展させるのです。それは遠回りで困難な道ですが、科学に基づく軍事力、産業革命、そして病気と闘う福利厚生を進歩させました。この国の憲法は改正して議会に力を持たせるべきです。閣僚たちはアメリカ人とその子孫が多く、議会が実質的な力を持っていないのは良い事ではありません。三権分立の制度は世界中に広まっている有効な制度です。困難でも多くの人々の意見をまとめて国を動かさないと社会は発展しないのです。
また王家の浪費のため国債の発行が増加して多額の利払いが生じており、このままではある日突然、国債発行ができなる日が来ます。国費はハワイ国民のために使ってください。王家は国家行事を減らし、倹約に努めて国債の発行をやめてください。今ハワイが見習うものは日本です。日本国政府に助けを求めましょう。彼らの倹約精神を国民に広め、医療制度を整備してハワイ人の人口を増やして伝統を守りましょう。国母様、なにとぞ国王を説得するようお願い申し上げます」
彼は涙を流しながら熱弁したが、国母は大きな腹をゆすりながら、言い放った。
「アメリカ人を信用してはならないと言いつつ、アメリカ人の好きな民主主義を勧めるのはなんということでしょう。貴方が言うヘーゲルという者は愚かな人間です。意見の異なる人間を集めて議論をするとより良い結論が生まれてうまく行くなど、そんな馬鹿な話はありません。そんな政治をしているアメリカにも、いつかは愚かな国民をたぶらかす愚かな大統領が現れて「歴史の終り」が来るでしょう。カメハメハ大王のように武勇に優れた聡明な王が一人で判断し、判断できない時は神の声を聴くのです。私はかつてハワイ土着の神々を捨て、アメリカ人の神を選びました。大きな国には大きな神がいます。男女は一緒に食事をしてはならないとか、女はバナナを食べてはならないとか、人身供養を必要とするなど、因習の多いハワイの宗教は近代社会に適応するためには捨て去らなくてはなりませんでした。しかし、キリスト教を受け入れた結果、神の怒りによりたくさんの人々が病気で死に、人口が激減しました。今はアメリカの神と日本の神のどちらが優れているか決めるときです。宣教師マイケルと医師ニシムラを連れてきなさい。神託の塔に入れて、先に出た方を殺すのです」
<宮殿前の広場>
宮殿前の広場には、ハワイの行く末を決める重要な神託=オラクルの儀式があるという噂を聞きつけ、多くの人々が集まっていた。そこにはインドから輸入された高価な白布を巻き付けた神託の塔=オラクルタワーがあった。それは椰子の木よりも高く、天の声を地上の民に伝える使命感を持って屹立していた。その周囲に集った様々な市民たちが生活の不満を大声でぶちまけていた。
アフリカ系の黒人が言った。
「白人たちは黒人を奴隷にして旨い酒を飲んでいる。ハワイ人も奴隷になるぞ」
ハワイ人の老いた元戦士は叫んだ。
「王様みたいに毎日ラム酒を飲む権利を国民全員に与えろ! それが人権ってもんだ! 金がないなら国債とやらを礼拝すればいいではないか。ハワイの新しい神は国債だ!」
日本人は言った。
「日本語は母音重視でハワイ語に似ていて英語より覚えやすいぞ。ハワイ人はみんな日本人になればいい!」
ハワイ人の若い女性は言った。
「宮殿よりも教会よりも、病院を作ることを優先してください。たくさんの子供が病気で死にかけているのです。王様なんか要らない。ハワイの民はみな日本人に成ることを望んでいます!」
沖縄人が言った。
「ナイチャー(日本人)は琉球王朝を武力で征服した。ニシムラの言うことを信用するな!」
朝鮮人が言った。
「日本の伊藤博文は大韓帝国皇后を斬り殺した。ハワイの王様も殺されるぞ!」
イタリア人が言った。
「今ハワイに来ている宣教師どもはエヴァンゲリオン派とか福音派とかいうエホバ神を信仰する異端だ。ハワイ人は騙されている!」
フランス人が叫んだ。
「議会制民主主義国家は自然が生んだ最高傑作だ。王権国家はばかげている。しかも国王一人に権力が集中しているのに、肝心の国王は酒乱というではないか! この島にラファイエットはおらんのか!」
イギリス人が叫んだ。
「フランス人の言うことを聞くと革命騒ぎでたくさん人が死ぬぞ! 気を付けろ!」
スペイン人は叫んだ。
「パイナップル缶詰は世界中の人々が待ち望む究極の美味だ。高く売れるぞ! サトウキビはやめてパイナップルだ!」
アメリカ人の砂糖貴族は言った。
「奴隷制度を解禁しろ! サトウキビは国の生命線だ」
アメリカ人の貿易会社の金持ちは言った。
「とっとと真珠湾の掘削工事をやれ! ハワイ王国はアメリカに吸収されてしまえ! 関税が無くなって商人は大儲けだ」
人々は口々に社会をより良くするすべを叫んだが、全員が納得できる道を探ろうとする者は誰もいなかった。
<オラクルタワー>
カラカウア王お気に入りの伝統楽曲の演奏が始まり、ゆったりとした時間の流れを作り始めると、群衆は静かになって行った。カラカウア王の命により復活したフラダンスが始まった。瓢箪を割って作った打楽器と鮫皮の小さな太鼓が軽妙なリズムを作り、貝笛とウクレレがメロディーを奏でた。踊り手の男女は交代で儀式が終わるまで踊り続けることになっている。だが聴衆の表情は安らぐことは無く不安に満ち、空気は重く張り詰めていた。
連れてこられた宣教師マイケルと日本人医師ニシムラは銃剣を突きつけられ、先にタワーを出た方を殺す、と言われた。アメリカ国を選ぶか日本国を選ぶかの神託を得るための神聖な儀式だと説明を受けた二人は観念して別々の白い塔の中に入った。出入口がしっかりと縫い合わされた。干し草が積み上げられた。王家の赤いマントを着た酔っぱらいの「マント侍従官」がやってきてにやにや嗤いながら火を付けた。
作品名:カメハメハ王朝の開国と滅亡 作家名:花序C夢