カメハメハ王朝の開国と滅亡
カメハメハ五世として即位した異母兄はその容姿がカメハメハ1世に似ていると評判だった。王家では自分の子供を親戚の家に養子に出す風習があったが、里親からのネグレクトで孤独な少年時代を過ごした彼は頑固で無口だった。弟と同様にアメリカで人種差別を経験して議会では決して英語をしゃべらなかった。アメリカ人にはハワイ語を話し、ハワイ人には英語で話した。これを王様のしきたりと思った人もいたようだ。作家のマークトウェインが面会して聡明な王様とほめた。聡明な頭脳は専制的な国家体制をさらに先鋭化させることに使われた。自由選挙を否定する憲法を作り、外国人がこの王国の国籍を得て帰化する際にはアメリカを否定することを宣誓させた。人間嫌いの彼は結婚せず子供もいなかった。彼が死ぬとカメハメハ直系は絶える。カメハメハ五世は死ぬ間際に後継者を指名するように促された。
「従弟のルナリオは無能だ。あの男以外ならだれでもいいだろう」と選挙で後継者を選ぶように指示した。しかし選挙で選ばれたのはルナリオだった。この親米派の新王は肺結核を病んでいて、すべてをアメリカ人閣僚に任せた。
<カメハメハ七世、カラカウア>
石油が普及して鯨油の需要が無くなりハワイに捕鯨船が来なくなった。中国に輸出する白壇は枯渇した。その代わり、サトウキビ栽培が隆盛しアメリカ人が多数ホノルルに移住してきた。彼らは「砂糖貴族」と言われ、ハワイ国籍を取得して議員に当選した。ハワイ人の人口が病気で減少したため中国や南米から多数の労働者が移住してきた。
1872年、カラカウアがカメハメハ七世として即位したのはまさに産業も社会も大変革期の大変な時代であった。短い治世の先代ルナリオに続いて再び親族の中から選挙で選ばれた王である。カメハメハとはもともと「寡黙な人」という意味であるが、カラカウアはおしゃべりで陽気で音楽が大好きであった。ハワイ伝統の民謡や伝承の理解者でもあり、ハワイ系住民に人気があり、英語が堪能であったが執務は閣僚に任せがちであった。退屈な執務に嫌気がさしたカラカウアは現実逃避のため、世界一周の旅に出た。
最初に訪れた日本国は文明開化に成功して人口も多いことに感嘆した。また鉄道、電気、電気などの最新技術、そして仏教建築や美術品の美しさに魅了された。
「大日本帝国はハワイ王国と同じ島国だ。日本では天皇と将軍が力を合わせて国を治めてきた。権威のカウアイ王家と武力のカメハメハ王家の関係と同じだ。この国と婚姻関係を築いてマナを受け取ることにしよう。西洋式でありながら伝統を生かした建築物も気に入った。我が国もこのように発展させなくてはならない」
姪のカイウラニ王女の写真を見せて日本の皇族との婚姻を正式に申し込んだ。日本国政府は正式にこれを検討し始めたが、返事を待たずにカラカウアは次の訪問地に出発した。
世界各国で大歓迎された王は優雅なエチケットと流ちょうな英会話を褒められ、再訪の約束をして帰国した。そして国家の威厳を保つために豪華な宮殿の建設が必要だと考えた。
<イオラニ宮殿>
アメリカ人商工会議所の代表がカラカウアを訪れた。
「陛下、西洋式宮殿をホノルルに建設することをお望みと聞きました。ぜひ協力させてください。イギリスのバッキンガム宮殿に負けない素晴らしいものを造りましょう。お金の心配はいりません。ニューヨークでハワイ王国国債を発行すればいくらでもドルは手に入りますよ」
1882年、ホノルルにイオラニ宮殿が竣工した。三十六万ドルもの建設費がかかり、その後も高価な調度品の購入が続いた。そのころ電灯はまだ珍しく、ハワイ人のみならず外国人たちも驚かせた。夜になると宮殿前の広場には群衆が集まり、シャンデリアの電灯を遠くから見物した。電気というものを理解できない人は類まれなる王家のマナが光っていると信じた。そこでは毎晩ハワイ式の大宴会が開かれた。カラカウアは陽気に暴飲暴食の限りを尽くし、各国から授与された勲章のコレクションを見せびらかした。
翌年には閣僚と議会の反対を押し切って王の盛大な戴冠式が行われた。各国の外交官が招かれて参列した。国威掲揚及び外交活動として大きな意味を持つと国王は考えたのである。外交費用がかさんだため、教育及び医療は後回しにされた。そして国防軍の再建はされなかった。
数年たつと国債の金利が急騰したことから国債のデフォルトをほのめかすアメリカ人閣僚たちは王権の縮小及び、閣僚の利権拡大を公然と要求した。憲法が改正され王権は縮小された。アメリカは真珠湾の独占使用権を得た。
そんな中、日本国は外交官を派遣して正式に日本皇族とハワイ王家の婚姻の不成立を告げた。王は落胆して統治意欲は無くなり、飲酒量が増えていった。
<ニシムラ医師>
日本人百五十三名がホノルルに無許可で住み着いたのは明治維新の1868年であった。彼らは厳しい労働に耐え、この島に定着した。カラカウア王は日本国訪問の折にさらなる日本人のハワイへの移民を要請していた。井上馨はカラカウア王が日本の不平等条約の是正に貢献したことに感謝してこれを快諾し、日本からの移民が増加した。移民たちは日本語の通じる病院の開設を望んだ。
日本の窮屈な社会に辟易していた医師のニシムラは、横浜の清国商人の口利きで、ホノルルの大通りに病院を開業した。
ある日、王家親族の青年アイラホがやってきた。彼はキリスト教信者で、病人を療養する施設を島々に造っていた。彼はそれら施設を巡回して病人の治療に当たるようニシムラに要請した。ニシムラは言った。
「設備がないと治療はできない。医者は私一人しかいないからこの病院を切り盛りするだけで精いっぱいだ。それよりハワイ人の患者も受け入れるから助手や通訳を都合してくれないか?」
たくさんのハワイ人がニシムラの病院を頼るようになった。1800年頃には二十五万人いたハワイ人人口は1880年代には五万人に減少していた。伝染病に対して適切な医療を行わなかったからである。ニシムラは患者たちからハワイの惨状を聞き義憤に駆られた。アイラウたちもニシムラの人柄に心酔し、人を集めてニシムラの言葉に耳を傾けた。
ニシムラは彼らに言った。
「天然痘、ペスト、結核、ハンセン病、そしてコレラ。白人の最大の武器は鉄砲や大砲ではなくて病気だ。病気に感染したことのない人々に伝染病を拡げ、人口を減らしては土地を収奪している。免疫のない人々は伝染病に弱い。アメリカインディアンは十八世紀にスペイン人が来た頃には二千万人いたのが天然痘によって数十年間で五十万人に減ってイギリス人に征服された。同じようなことがこの島々でも行われたのだ。日本がこの戦いを克服できたのは、開国をする数十年前に種痘という予防法を普及させていたからだ。西洋医学を学んだ者が日本中にそれを広めた。病気は宗教では治せない。ハワイは日本国に合流するべきだ。医者がたくさんハワイに派遣されてくる。不愉快なことも多いだろうが、病気で死ぬよりましだろう」
ニシムラの病院に多くの人々が列を作った。アメリカのエホバ神よりも日本の神を信じるべきだというハワイ人もいて、日本の最高神アマテラスという名前が静かに広がっていった。
<アイラウの説得>
作品名:カメハメハ王朝の開国と滅亡 作家名:花序C夢