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表裏の可能性

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 本来なら助けてもらえる百済はすでになく、
「日本という国は、孤立無援だった」
 ということである。
 それが、結果として、
「大化の改新」
 というものが、なかなか進まないということになり、数十年が経っても、国防に費やす日々ということになったのだった。
 そういう意味でも、
「蘇我氏の政策」
 というものが、
「貿易面でも、宗教面でも、先に進んでいた」
 ということから、
「蘇我氏が滅んだことで、日本の歴史は100年さかのぼった」
 と言われているのであった。
 その後の、奈良時代から以降、大化の改新におけるクーデターの張本人としての、
「中臣鎌足の子孫」
 というのが、藤原姓というものを名乗り、
「奈良時代から平安時代を経て、その後、藤原摂関家」
 ということで、政治の中心が、武士に移ってからというのも、
「その権力は、公家の中で、ずっと最高位を保っていた」
 ということになるのであった。
 そんな大化の改新という時代が、古代の中で一番の大事件だったといってもいいし、
「分岐点」
 ということだったのだろう。
 そして、時代は、それから、500年くらいが経ってからのこと、律令制度というものが、大化の改新以降発展してきたのだが、それが、時代の変化とともに、
「武士のおこり」
 ということから、変革していくのであった。
 そもそも、律令制度として問題となったものが、
「荘園」
 という制度であった。
 農地というものは、本来であれば、開墾したものがもっていなければならないのだが、年貢の問題などから、
「寺院などがその領主となる」
 ということから、
「荘園」
 というものが発達していったといわれるが、
「その荘園を守るため」
 ということで、
「武力を持った者たち」
 によって、警護するという考えが生まれてきた。
 それが、
「武士」
 というもののおこりであったが、その土地をめぐって、武士や寺院が、朝廷に逆らうようになってきた。
 それを収めるために、
「武士を使う」
 ということになるのだが、
 それが、次第に、貴族の階級の中に武士が台頭してくることになり、いずれ巻き起こる、
「皇室における、対立」
 というものであったり、
「藤原氏内部や公家同士の内紛」
 などというものから、大きな戦が起こり、そこで、武士が台頭してくるようになるのだが、それが、
「伊勢平氏」
 というものであった。
「保元の乱」
「平治の乱」
 という二つの大きな戦を勝ち抜いた、
「平清盛」
 という人物が、
「武士でありながら、公家の中で、どんどん出世をしていく」
 ということで、
「栄華をほしいまま」
 にしてきたのであった。
「平家にあらずんば人にあらず」
 とまで
「言ったかどうかまでは定かではないが、それくらいの権勢を誇っていた」
 ということである。
 それこそ、平安時代に、その権力をほしいままにした藤原氏にとって代わったということと、さらに、それが。
「武士だった」
 ということで、
「新しい時代の幕開けだ」
 といってもいいだろう。
 平家に関しては、
「清盛暗殺」
ということではなかったが、
「清盛が死去してからというもの、完全に、平家一門は、一気に衰退していった」
 ということで、要するに、
「カリスマがいなくなれば、そこで終わり」
 ということになるだろう、
 それこそ、その後の江戸時代につながる間の、
「豊臣秀吉の時代」
 と同じだといってもいいだろう。
「圧倒的なカリスマ性」
 というものを持っていて、権力のすべてを掌握したかのような二人は、結構似ているところもあったかも知れない。
 だが、清盛とすれば、その後の、
「源氏による鎌倉幕府成立」
 というものから先の、
「封建制度」
 というものとは、若干違った考え方だったのだ。
 清盛の考え方は、
「蘇我氏に似ていた」
 といってもいい。
「平家の基本は、海上貿易」
 というものにあり、
 特に、
「福原の港を開拓して、そこで大陸の王朝である、宋という国と、海外貿易をしていた」
 ということで、
「目は海外に向いていた」
 ということである。
 蘇我氏が、
「対等外交によって、貿易の利益を得ていた」
 ということと同じで、源氏による武家政権という封建制度は、あくまでも、
「土地」
 というものを土台にしたものだったのだ。
 つまりは、封建制度というのは、
「領主に土地を与えてもらい、その土地を保障してもらう」
 という、
「ご恩」
 というものと、
「その代わり、領主が戦をする場合には、すぐに駆けつけて、兵として参加する」
 という、
「奉公」
 というもので結ばれているものとして、
「封建制度」
 というものがある。
 それが、いわゆる、
「中世」
 という時代の、
「武家政権」
 と呼ばれる時代をいうのであった。
 そんな時代において、平家の政権というのは、平安京にあって、公家の中に入っての、
「権力争い」
 というものに、
「戦を重ねて勝ち進む」
 ということから、権力を掌握していき、最後には、
「太政大臣にまで上り詰める」
 ということになった。
 しかし、清盛の考えは、あくまでも、
「階級」
 という問題よりも、その地位を堅固にするということから、
「天皇家との結びつき」
 というものが問題だったのだ。
 だから、
「天皇の后に、自分の血縁を結びつける」
 というやり方であり、当時の権力者である、
「後白河法皇」
 という人物と結びつくことによって、権力を掌握するということであった。
 後白河側としても、
「清盛を味方につける」
 ということで、
「武家の後ろ盾」
 を得ることで、得になる。
 しかも、
「平家と結びつくということは、宋との貿易で、資金力を手に入れることができる」
 ということから、かなりの利益と権力を保つことができるのだ。
 お互いに、利用しあうということが、結局、繁栄をもたらしたということになるだろう。
 しかし、
「後白河法皇」
 というのは、
「うまく使えば、権力をほしいままにできるが、へたをすると潰される」
 ということになりかねない。
 つまり、
「海千山千でなければ、相手にならない」
 といってもいいだろう。
「平清盛」
 であったり、
「源頼朝」
 というのは、
「後白河法皇をうまく使った」
 ということで、一世を風靡できたのであるが、それ以外の武将などは、すぐに、つぶれていったではないか。
 例えば、
「木曽義仲」
 などがそうであった。
「平家追悼」
 ということで、木曽から、破竹の勢いで勝ち上がってきたが、彼は、
「戦の上では天才」
 といってもいいかも知れないが、なんといっても、平安京においての、公家を相手であったりすれば、まったく歯が立たない状態だった。
 結局、
「田舎者」
 ということになり、最終的に、
「都を荒らす暴れん坊」
 ということで、見限られて、滅ぼされてしまった。
 そして、次に、
「後白河の餌食」
 ということになったのは、
「源義経」
 だった。
 彼は、頼朝軍として、平家追悼軍でやってきたが、そこで、木曽義仲に負けず劣らずの活躍で、最後は平家を滅ぼした。
作品名:表裏の可能性 作家名:森本晃次