表裏の可能性
その功績で、
「検非違使」
という官職を朝廷からもらったのだが、これが間違いだった。
というのは、
「東国武士をまとめる」
ということが、武家政権を保つということになると考えていたので、義経に対して、
「朝廷から官位をもらう時は、必ず頼朝を通し、決して、自分勝手にもらうことは許さない」
ということであったが、義経は、
「後白河法皇が、いうのだから」
ということで、
「兄も許してくれる」
とでも思ったのか、安易に
「検非違使」
の官職を受け取ってしまった。
それが、頼朝の怒りを買い、
「鎌倉への凱旋」
どころか、
「鎌倉に入る」
ということすら許されず、結局京都に戻り、頼朝が暗殺隊を出してきたことで、
「兄との全面戦争」
を決意した。
しかし、相手は、幕府軍であり、こちらは、まさに、
「都落ち」
という落ち武者同然、勝ち目があるわけもなく、逃亡生活の末に、最終的に、身を寄せた、奥州藤原氏に裏切られ、滅ぼされてしまった。
それを期に、頼朝は、
「欧州征伐をなしとげて」
最終的に、
「幕府政権」
で全国を統一するということになったのだ。
これが、鎌倉幕府の成立ということになるのだが、あくまでも、
「土地を中心とした封建制度」
というものであった。
「もし、平家が滅びなければ」
いや、
「清盛が死ぬ前に、平家の政権が、もっとかっちりとしたものであれば」
と考えると、蘇我入鹿暗殺の時と同じで、
「清盛の死で、日本の歴史が100年さかのぼってしまった」
と言われるであろう。
この500年の間に、
「似たようなことが起こった」
ということで、
「歴史は繰り返す」
といってもいいのではないだろうか?
日本の歴史において、
「二度あることは三度ある」
といってもいいかも知れないということが起こったとすれば、それが、
「幕末における坂本龍馬の暗殺」
というものであろう。
しかし、これが、
「暗殺」
ということの、三度目ということであれば、二度目というのは、
「本能寺の変」
ではないだろうか?
歴史における、
「三大ミステリー」
といわれる暗殺は、この三つだといっても過言ではない。
「本能寺の変」
というと、誰もが知っているものとして、
「戦国の風雲児」
と言われた織田信長が、
「家臣である明智光秀に討たれた」
という事件である。
織田信長というのは、いろいろ言われている。
「うつけもの」
ということで、
「おろか者」
という仮面をかぶって世間を欺きながら、いろいろな改革であったり、戦の情報戦というような、
「近代的な改革」
を行っている人物。
さらには、
「楽市楽座」
のような、
「自由商売」
というものを行うことで、商業を活性化させ、国を富ませるということになるというものだった。
要するに、今の時代から見れば、
「新しい時代への、先駆者」
ということになるのであった。
そんな信長を討ったのは、
「明智光秀だ」
ということであるが、それはあくまでも、
「実行犯」
ということで、本来の黒幕は他にいるといわれていた。
なんといっても、
「暗殺される」
ということは敵が多いということであり、それが、
「出る杭は打たれる」
ということで、
「先駆者であればあるほど、そんな暗殺計画が多く出てくる」
当然、
「黒幕説はある」
というもので、実際に、
「幕末の竜馬暗殺」
というものにも、
「犯人説というのがいくつもあった」
ということである。
信長の場合は、
「朝廷説」
あるいは、
「室町幕府説」
というもの、さらには、
「長曾我部元親説」
「羽柴秀吉説」
「徳川家康説」
などと、かなりいろいろあった。
「政治的な遺恨」
であったり、
「個人的な怨恨」
さらには、
「下剋上の精神といってもいい、それこそ、クーデターだったり」
ということで、
「説がいろいろある」
ということで、特に信長の場合は、
「勘違いされる部分も多かった」
ということから、
「出る杭が打たれた」
といってもいいだろう。
さすがに、
「群雄割拠の戦国時代」
一人で、大きな体制に歯向かっていくというのは、なかなか難しく、秀吉が天下を取れたというのも、
「信長が敷いてくれたレールに乗り、反対勢力をことごとく潰していった」
ということからの天下取りだったのだ。
そういう意味で、
「天下取りにおいて、信長がいない」
ということから、
「本能寺の変」
における黒幕として、
「羽柴秀吉説」
というのが沸き上がってきた理由も分かるというものだ。
しかも、状況としては、
「秀吉説」
というものを裏付けることが結構多かったりする。
「毛利に向かう早馬をmいとも簡単にとらえることができた」
ということ、
「中国大返し」
というものを、成功させた。
ということ、
そして何よりも、
「信長がいなくなって一番得をする人物」
ということを考えた場合、
「タイミング的には一番得をするのは、やはり、羽柴秀吉ではないか?」
と考えられるのである。
さらに、
「信長の仇をうつ」
ということまでが、
「秀吉にとっての、本能寺だ」
と考えれば、
「光秀につくはずの、畿内の戦国武将が、ことごとく、光秀を見限った」
というのも考えにくい。
当然、信長を討った後のことは考えていたはずだからである。
光秀が、
「中国地方に行くか?」
あるいは、
「本能寺に向かうか?」
ということは、
「進軍の途中で決定した」
ということになっているようだが、それなら、本能寺の変の後の作戦があまりにもスムーズだったことを考えれば合点がいかないといってもいいだろう。
「長男の襲撃」
ということであったり、
「堺で物見遊山をしていた家康」
を襲撃したり、あるいは、
「別動隊で、安土城に火をかけたり」
と、いきなり作戦を決めたというわりにはしっかりしているわけである。
それなのに、
「自分についてくれるはずの兵が、誰も味方しなかった」
というのは、
「光秀にしてはあまりにも無様ではないか?」
といえるだろう。
これに関しては、ひょっとすると、
「謀反を起こせばこちらにつく」
という密約があったのを、
「あとから、秀吉が見限らせたのかも知れない」
と思えば、理屈が成り立つというものである。
それを思えば、やはり、
「羽柴秀吉黒幕説」
というものが一番強いといってもいいだろう。
もちろん、いまだに、
「歴史上の最大のミステリー」
といってもいい本能寺の変という事件である、
その謎は、誰にも分かるものではないだろう。
それを考えると、こちらにも、
「時代が100年さかのぼった」
といえるかも知れない。
そういう意味で、
「これが三度目の正直だ」
といってもいいかも知れない。
「蘇我入鹿」
「平清盛」
「織田信長」
それぞれに共通点があるかも知れない。
だが、彼らが目指した権力というものは微妙に違い、
「戦う相手も違った」
ということで、それを、
「時代の違い」
ということで片付けてしまうと、これが、