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表裏の可能性

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 だから、それを実現するかも知れないという考えが、
「メビウスの輪」
 という発想で、それこそ、
「時空の矛盾」
 というものが、影響しているということであった。
 だとすると、
「一次元と二次元の間に、時系列の発想がはらんでいる」
 というのが間違いなのか?
 ということになるが、それも、発想としては、単純なものだといえるだろう。
 そもそも、世の中の矛盾というのは、
「繰り返し」
 つまりは、
「スパイラル」
 から築かれているというものである。
 しかし、考えてみれば、
「合わせ鏡」
 の発想であったり、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
 という発想を考えれば、そこに存在しているものは、
「すべてが、繰り返しだ」
 ということになるのだ。
 だから、時代というのも、時系列に並んでいるだけのように見えるが、実際には、
「世界の始まりと終わり」
 というものがあるのであって、それは、
「始まりはそれぞれで違っている」
 といってもよかったのだが、実際に、
「繰り返しだ」
 と考えると、
「始まりとおうものは、終わりの後にやってくる」
 と考えると、
「始まるタイミングは同じなのだ」
 といってもいいだろう。
 ただ、それとは問題は別であり、
「繰り返しであったとしても、すべての始まりと終わりというものが本当にあるのだろうか?」
 という考え方である。
「始まりがあるから、終わりがあるわけで、さらには、終わりがあるから始まりがあるのだ」
 といえる。
「始まりと終わりを意識しない世界が、一次元と二次元との間」
 ということであり、
「それぞれを意識する」
 つまりは、
「最終形態の一番の端」
 というものが、三次元から四次元へと向かうものだと考えれば、その瞬間が、いわゆる、
「タイムパラドックス」
 というものになるのだろうという考えであった。
 そんな世界を考えた時、世の中というのを、
「SF的な発想」
 で考えると、
「今生きている次元というのは。三次元」
 ということになっている。
「点の世界が、一次元」
 であり、
「線や面」
 といういわゆる、
「平面の世界が、二次元の世界」
 さらに、
「そこに高さが加わった立体」
 というのが、
「我々が生きている世界」
 ということである
「三次元の世界」
 そして、そこに、時間という概念が含まれたものが、
「四次元の世界」
 だといえるだろう。
 しかし、それぞれの
「次元」
 というもは、あくまでも、
「概念」
 ということであり、
「区別して何かを考える時の、指標となるようなものだ」
 といえるのではないだろうか?
 だから、
「それぞれの次元の世界が本当にどのようなものなのか?」
 ということは実際には想像もつかない。
 だから、
「一次元と二次元の間に、時系列がある」
 という発想も出てくるわけで、
「そもそも、それぞれの次元の発想として、どのような概念を感じるのか?
 ということを考えると、
「それぞれの世界から、どのように見えるのか?」
 ということからではないだろうか?
 だから、
「見ることが可能かも知れない」
 と感じることができるのは、せめて、
「二次元の世界からだけではないか?」
 と思える。
「三次元の世界」
 というものは別にして、
「二次元の世界というと、平面、つまりは、絵や写真の世界から、こちらの立体を見る」
 という感覚である。
 ただ、元々が平面で十分に生きているという世界なので、
「高さ」
 という概念があるわけではないので、我々三次元の人間が、
「見られている」
 という感覚を、もし持つことができたとしても、それは。あくまでも、
「ただの概念でしかない」
 ということから、想像もつかないことなのかも知れない。
 だから、合わせ鏡のような、
「無限の世界」
 が開けるのかも知れない。
 もっとも、そこに、
「一次元からのランクアップ」
 ということで、
「時系列」
 というものがあると考えると、
「我々がいる三次元から、時間という概念が加わることで出来上がる四次元という世界も、一つのランクアップということで、時間と時系列という微妙な違いこそあれ、そこには、微妙な違いとしての世界が広がっている」
 といえるのではないだろうか?
 そもそも、
「次元というものが、四次元で終わり」
 とは限らないだろう。
「三次元の世界から、時間軸を加えると、四次元になる」
 ということだが、その四次元の世界から、またしても、別の概念が加わることで、
「五次元や六次元」
 というものがあっても、不思議はない。
 ということである。
 それこそ、
「三次元」
 というものも、平面から立体に一足飛びにつながるわけではなく、立体になるために重ねられる、層というもの、一つだけで、
「次元のランクアップ」
 というものが進むということではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「平面の層というのが、立体化してくるのも、どこか不思議なものがあるだろう」
 平面というのは、あくまでも、厚さというのがないという概念である。
 しかし、それが、幾重にも重なってくると厚みを帯びてきて。
「一枚では、厚みが一切ないが、それが。三枚、四枚と重なってくると。どんどん厚みを増すことで、三次元の世界を形成する」
 ということになる。
 そして、その厚みが、
「限りなく無限である」
 と考えた時、
「平面というものの上位のランクに、立体と呼ばれる三次元がある」
 ということになるのだ。
 そもそも、
「我々の世界が、三次元」
 ということであり、
「その前のランクが二つある」
 というのは、
「自分たちがいる世界が一番ランクが上の世界」
 ということで、考えられたものではないだろうか?
「地球上の生物として、最高ランクにいるものが、人間だ」
 という、
「人間至上主義」
 とでもいえるものが、次元の上でも、最高ランクの世界ということで、
「最高ランクの次元を形成した」
 ということで、
「点、平面、立体」
 とそれぞれの次元をランクとして考えるようになったのかも知れない。
 そのような概念というものが、それぞれの次元やランクということで、
「人間の感覚」
 というのも、あくまでも違うというものであり、
「過去の歴史において、それぞれに考え方というものがあり、それが時系列の中で、どんどん発展していったもの」
 という、
「過去よりも未来」
 という考えが当たり前と考えるからこそ、
「人間というのは、未来というものに、希望を持つことができ」
 宗教の戒律というものもあって、
「自ら命を断つ」
 ということは、許されないのであろう。

                 真実は一つ?

 次元のランクアップというものの概念として、
「事実と真実」
 というものがあるが、
「真実」
 というものは、よく言われることとして、
「真実は一つだ」
 ということである。
 アニメやドラマなどでは、まるで、
「勧善懲悪」
 というものの理念のようなものとして、
「真実は一つだ」
 ということを、キャッチフレーズのように言っている。
 そもそも、
「真実」
作品名:表裏の可能性 作家名:森本晃次