表裏の可能性
ということからである。
まず、
「日本には、有事というものは存在しない」
ということで、憲法の定める、
「第九条」
に違反するということからだ。
「戦争放棄」
すなわち、
「有事が存在しない」
ということになるのだ。
そして、もう一つ、
「人民の権利を制限する」
というのは、これも憲法で定めている、
「基本的人権の保障」
ということに抵触するからであった。
「国民の自由を制限する」
ということは、この、
「基本的人権」
というものを侵害することであり、制限はできないという考え方である。
これがまさしく、数年前に、世界中で巻き起こった、
「世界的なパンデミック」
というものを思い出すと分かるというものであった。
これは、
「伝染病の蔓延」
というもので、
「本来であれば、伝染病が蔓延すれば、隔離政策というものを取らないといけない」
ということで、日本以外の先進国では、
「都市封鎖」
と言われる、
「ロックダウン政策」
というものを打ち出した。
これは、まさに
「大日本帝国時代」
にあった、
「戒厳令」
のようなもので、政府による国家権力によって、蔓延防止のために、
「外出禁止」
というものを国民に厳命するものであった。
これは、
「命令」
ということであり、国民の権利の制限というものであった。
しかし、日本の場合は、
「戒厳令」
というものを敷くことができないが、
「特別法」
という形で、
「緊急事態宣言」
というものがあった。
これは、国民に対しての強制力はなく、あくまでも、国民に対しての、
「要請」
ということでしかなかったのだ。
海外において、
「隔離政策」
ということでの、国からは、
「要請ではなく、あくまでも命令」
ということであった。
だから、滅入れを破れば、法的に裁かれるということで、罰金刑や、逮捕ということもあったであろう。
しかし、日本では、そこまでの力はないわけで、そんなことをしてしまうと、
「憲法違反」
ということになってしまうからだ。
ただ、
「日本の場合は、甘くて助かった」
と考えるのは、早急ではないか?
というのは、
「先進国」
のような、
「戒厳令的な厳しいもの」
というのは、命令を下すわけだから、それだけの保障は、国民に対して払うということであった。
「手厚い支援金」
というものを国家からもらえることで、人民が、
「命令に従う」
ということができるわけである。
しかし、日本の場合は、あくまでも、
「要請」
ということで、諸外国ほどの、
「手厚い支援」
というものはない。
つまりは、日本における、
「緊急事態宣言」
といわれる特別法は、さすがに、
「付け焼刃」
というもので作られたものだけに、
「実に中途半端なものだ」
ということになるだろう。
要するに、
「国民に保障する金がもったいない」
ということから、
「強制力のない、要請」
という形にしておいたのだろう。
政府の本音はそこにあるということである。
それを考えると、本来であれば、
「要請なのだから守らなくてもいいのでは?」
ということであったが、さすがに、これまで、
「平和ボケ」
をしてきた日本人にとって、
「生まれて初めての、国家を挙げてのこんな大問題」
ということになると、
「まずは、蔓延防止」
ということに力を尽くさなければならないだろう。
もちろん、
「そこまですれば、蔓延防止ができ、すぐに、今まで通りの生活が戻ってくる」
と思っていたはずだ。
実際に、蔓延することで、
「死亡率が上がってきている」
ということで、誰もが、
「死にたくない」
と思っているに違いないだろう。
そのために、
「政府の要請を皆で守る」
ということが行われ、実際に、その時は、蔓延防止ということに成功したのだった。
しかし、
「ウイルス」
というものの特性として、
「変異する」
ということが言われている。
変異することで、ウイルスはさらに強くなるということから、
「ウイルスによる伝染病では、第〇波などと呼ばれるような波が、何度お訪れる」
ということになるのだ。
実際に、このウイルスは、7波くらいまでは起こっていた。
それ以降は、
「普通の伝染病並み」
ということで、国家が勝手に、
「終息した」
などといってはいたが、いまだに続いているのである。
実際に、最初の緊急事態宣言で一度は終息したはずのパンデミックであったが、
「変異した」
ということで、次の波が襲ってきたことで、またしても、政府は緊急事態宣言を発令した。
しかし、最初の緊急事態宣言を守ったせいで、休業を余儀なくされた会社が、つぶれたところも少なくはなかった。
そもそも、
「支援金など、十分ではなく。売上から比べると雀の涙くらいのもので、まったくの焼け石に水」
ということであれば、
「誰が、政府のいうことなど聞くものか」
ということになるのだ。
実際に、二度目の宣言では、
「誰も、休業などしなかった」
一回目の時は、休業をしないと、
「自粛警察」
などと呼ばれる、
「偽善の連中」
に脅かされる形で、勝手に営業はできなかったが、さすがに二度目になると、
「自粛警察」
などというものが出てくることもなかった。
元々の自粛警察を名乗っていた人たちも、今度は、店側の味方であり、逆に、
「政府にたてつく」
ということであっただろう。
それを考えると、
「伝染病に罹って死ぬのも、休業に応じて、店がつぶれるのを黙ってみていて、結局、自殺するしかないという状態になるのも同じ」
ということで、
「それくらいなら、商売する方がいい」
ということになるだろう。
それが、一人ではなく、ほとんど全員ということになれば、
「そもそもが、要請であり、強制力がない」
というわけなので、
「自粛なんかする必要はない」
ということで、政府も、
「宣言を出したはいいが、実質的に国民が守っていない」
ということで、それこそ、
「日本政府というものの威厳は地に落ちた」
といってもいいだろう。
「有事であれば、政府への支持率は上がるのが普通」
ということであるはずなのに、日本は、先進国で唯一、政権の支持率が落ちたのであった。
昔であれば、
「政権が崩壊し、クーデターが起こっても不思議がない状態だった」
といってもいいだろう。
「ウソ」
というものは、必ずしも、
「悪につながる」
ということではない。
オオカミ少年
もちろん、
「嘘をつくということが、正しいことではない」
ということは当たり前のことだ。
しかし、
「ウソをつく」
ということで、助かる人がいて、それが、正しいことだということになるというのも、一つの真実である。
しかし、
「ウソをつくのが正しいことではない」
ということになると、実際に嘘をつく人がいると考えると、
「正しいことではない」
ということを分かっていて、あえて嘘をつくという行為をしていることになる。