小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

SFと歴史の分岐点小説

INDEX|9ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 テレビの放送というのは、
「某国営放送」
 だけは例外だが、
「スポンサーが出してくれる広告費」
 というもので成り立っている。
 つまりは、
「スポンサーがつかないと、番組は制作できない」
 ということになる、
 だから、
「スポンサーは視聴者よりも強い」
 といってもいい、
 だから、
「スポンサーがついてくれるような番組を作るしかなく、しかも、それを視聴者が見てくれることが必要」
 ということだ、
 スポンサーも、
「誰が、宣伝にならない番組に提供するものか」
 ということで、
「特に野球番組などは、視聴者とスポンサーの間に挟まって、ジレンマになっていた」
  つまりは、
「30分延長」
 というところまでは視聴者に譲歩し、それ以降は、スポンサーに譲歩するという形での譲歩となった。
 それでも、視聴者は、
「いいところで、番組が終わってしまう」
 ということは困るということだ。
 だから、
「そもそも、無料で提供しているから無理が来るんだ」
 ということで、衛星放送というものが充実してきたタイミングで、
「有料放送」
 というものが、出てきたのであった。
 つまり、
「月額数百円で、このチャンネルを見放題」
 ということであった、
 そんなチャンネルが、100局近くできた。
 これは、それぞれに専門チャンネルで、例えば、
「スポーツ専用」
 であったり、
「ドラマ専用」
「音楽専用」
「バラエティ専用」
 などという局である。
 つまりは、自分の好きなチャンネルを、好きな時間、好きなだけ見れるというやり方の放送が出てきた。
「好きな野球を、試合開始前から、試合終了まで、毎回見れる」
 しかも、
「他の情報もいっぱい知ることができる」
 となると、
「月額で数百円ということであれば、野球の時間だけでも安いといってもいいだろう」
 と考える。
 しかも、ドラマ好きの人であれば、今までは、
「ゴールデンの時間まで待たないと、見ることができない」
 ということであったが、
「自分の見たい時間に見ることができる」
 ということで、
「実に画期的な放送だ」
 といえるだろう。
 そうなると、無料の、今までの民放は、視聴率ががっくりと落ちてしまう。
 そうなると、スポンサーも何も民放に費用を掛けようとはしない。
 そもそも、視聴者から、視聴料を取ってるのだから、有料放送は、そんなに高くない値段でスポンサーになれる。
 そうなると、
「民放を見限る」
 ということになり、
「民放は、もう終わりだ」
 ということになるだろう。
「お金がないから、予算を抑えて、似たような安物番組しか制作できない」
 当然、
「視聴者は離れているのだから、今までの放送局は、どうすることもできない」
 それこそ、
「以前は、テレビ界を担ってきた」
 といってもいいが、
「一時代を築いた」
 というだけで、その勢力が落ちてしまうと、
「テレビの、無料放送の時代は終わった」
 といってもいいかも知れない。
 特に今の時代は。
「パソコンはおろか、テレビもない」
 という家もたくさんある。
 というのは、
「スマホがあれば、他はいらない」
 ということだからだ。
 パソコンでやっていたネット関係や、ゲームなどは、すべてを、スマホのアプリでできるようになった」
 ということで、これは、
「テレビにも言えることだ」
 いろいろな番組も、
「ネット配信」
 で見ることができる。
 さらには、テレビ番組も、ネット配信で見ることができるので、実は、民放とすれば、最近の番組の著作を持っていることで、ネット配信を独占でできるという強みからか、少し盛り返しているかも知れない。
 しかし、
「番組構成」
 というものに変わりはないので、結局は、
「前と同じことと」
 ということで、
「破局を迎える時代が、少しだけ後ろに行った」
 ということだ。
 結局は、
「いずれつぶれることに変わりはない」
 ということである。
 そんな中で、最近は、
「コンプライアンス」
 というものが厳しくはなったが、今までのような、
「放送局がしっかりリードしている時代」
 というわけではないので、へたをすれば、
「無法地帯だ」
 といってもいいかも知れない。
 今の時代において、
「放送倫理」
 というものが、
「本当にネットの世界にあるのか?
 というのは、難しいところである。
 いくら、
「コンプライアンス」
 という考え方があるからといって、
「逆にそれが、最後の防波堤」
 ということであり、逆にこれがなければ、昔から言われている、
「放送禁止用語」
 などというものは、
「あってないようなものではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 そもそも、
「放送禁止用語を使った」
 としても、それは犯罪ではない。
 何かの法律で裁かれることはないが、放送禁止用語を使えば、
「モラルに厳しい視聴者」
 というものが、
「ここぞとばかりに攻撃してくる」
 ということである、
 だから、実際に、昭和の40年代くらいからであろうか?
「放送禁止用語」
 などに対して厳しい視聴者が現れたりした。
 いわゆる、
「世界的なパンデミック」
 の時にあった、いわゆる、
「自粛警察」
 というようなものであった。
 これは、
「社会が皆、一つの方向に向かっている時、それに逆らおうとする人間を、まわりが潰そうとするものだ」
 人にも会社にも事情というものがあり、
「罰を受けてもしかたがない」
 ということで、
「禁止を犯してしまう」
 ということもありえるが、それを、
「自分たちは、政府の通達で我慢させられているのに、例外があることに対して、特に恨みを持つ」
 というものだ。
「昭和の頃がそうだったのか?」
 ということまでは、正直分からないが、
「学校教育に対して敏感だった、いわゆる、教育ママ」
 という人たちが、
「テレビ番組のバラエティなどを攻撃する」
 ということで、
「悪の番組」
 として、やり玉に挙げられる。
 つまりは、
「どちらも、何か適当な番組を、仮想的とすることで、へたをすれば、自分たちの自己満足を満たそうと思っているのであった」
 だから、
「攻撃された方はたまったものではない」
 一生懸命に考えて、売れるものを考えているのに、何の根拠もない中で、主婦が、
「子供のため」
 ということで攻撃するのだ、
「子供を持ち出されると、テレビ局も文句が言えない」
 なかなかうまくいくはずもないということであった。
 ただ、今の時代は、確かに、
「放送禁止用語」
 的なものであったり、
「わいせつ物」
 という意味で、
「曖昧なもの」
 というものが問題になってくるが、
「問題にする」
 という方は、それほど被害はない。
 勝手にターゲットを決めて攻撃していて、その後ろ盾に、
「子供を使う」
 ということなのだから、攻撃する側に、
「デメリットというものはない」
 ということだろう、
 しかし、途中で、少し自由な風潮が生まれた。
 時代としては、
「風俗営業」
 などというものも、
「きちんと決められた法律の範囲内であれば、問題ない」
 ということであった。