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SFと歴史の分岐点小説

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 といってもいいだろう。
 一時期は、都心部というと、駅前の商業ビルが立ち並んでいた頃には、その商業ビルの一つ一つに、本屋があったものだ。
 大手の本屋は、ワンフロアぶち抜きで設置されていて、どの時間にいっても、結構客がいたものだった。
 実際に、有名作家の本ともなれば、本棚の2,3段にズラッと並んでいるなどというのは、当たり前のことで、実際に売れていたものだ。
 しかし、今の時代は、本屋はあっても、文庫本コーナーには、かつてのベストセラー作家であったり、教科書にも載っているくらいの有名作家であっても、古いものは、ほとんどおいていない。
 今置いているとすれば、ブームになっている小説であったり、ライトノベルと呼ばれるものが多いかも知れない。
「アニメとのコラボ」
 であったり、
「マンガの原作」
 と言われるものが多いだろう。
 そうなると、本というものは、
「ネットで読む」
 という時代になってきた。
 そもそも、本という紙媒体というと、どうしても、読み終わった後、その処分に困るということがあった。
 それ以前は、
「自分の部屋に本棚があって、読んだ本を並べる」
 というのが、トレンディだったりしたのだろう。
 それこそ、
「自分の書斎」
 という感覚だったが、
「今は、一度読んだ本を読み返すということがないからなのか」
 それとも、
「そもそも、本を読むという習慣がなくなってきた」
 ということなのだろうか?
 そういう意味で、
「本にしませんか?」
 といって、
「本を出したい」
 と考えている人を食い物にした詐欺グループが崩壊したということで、結局は、
「一つの時代が終わった」
 といっても過言ではないかも知れない。
 そして出てきたのが、
「ネットの時代」
 最初は、
「販売」
 という形で、
「ネット本屋」
 ということで、注文したものを、数日で自宅に届けるという形のものだった。
 しかし、今のネットでの販売というのは、
「配信」
 というもので、
「スマホ」
 などで、ダウンロードすることで、
「音楽が聴けたり、本のスマホで読むことができるようになった」
 という時代である。
 それによって、販売元は、
「在庫を抱える」
 ということがなくなり、
「紙代や印刷代」
 などというものもいらず、一冊普通に買えば、1000円の本でも、、ネット配信であれば、相当に安い値段になるということである。
 そうなると、作家にとっての、
「原稿料」
 というのは、そもそもの販売代金が安いので、かなり抑えられるといってもいいだろう。
 昔であれば、
「有名作家になれば、印税で生活できる」
 と言ったものだったが、今の時代ではそんなことはありえない。
 そういう意味でいけば、
「作家になる」
 というのも、
「食える世代ではない」
 ということになるのだろう。
 だから、
「どうせ、小説家になってむ食べていけない」
 ということであり、しかも、
「好きなものを好きに書けない」
 ということであれば、
「何もプロになる」
 という必要もないだろう。
 実際に、
「詐欺グループの崩壊」
 などを目の当たりにしていると、それこそ、
「小説は趣味の世界でいいので、自己満足だけで生きていけばいいんだ」
 と思えばいいだろう。 
 それでは満足できないという人は、さっさと文学界から足を洗い、
「金になる商売」
 に走ればいいというだけであろう。
 だから、相当な人が小説を書くということから足を洗ったことだろう。
 今いる小説を書いている
「アマチュア作家」
 というのは、それこそ、バブル崩壊前くらいの、
「本当に書くことが好きだ」
 と思っている人であろう。
 特に、
「書き上げる」
 ということだけでいいと思っている人、
 もっといえば、
「自己満足」
 というものでかまわないと思っている人。
 きっと、
「一日一日を満足したい」
 ということで書きづけている人ということであろう。
「毎日書き続け、毎日の満足を得る」
 だからこそ、
「毎日が充実し、あっという間に過ぎてしまう」
 ということになるだろう。
「人は年を取るごとに、あっという間に時間が過ぎていく」
 というのは、確かに、
「ボッと生きている人が、何も考えていないことで、無駄に過ごした時間があっという間だ」
 と考える人が多いからなのかも知れないが、
「本当に自分の中で、毎日が充実している」
 ということで、時間があっという間に過ぎているということになるというもの、間違いではないだろう。
 それを思えば、
「自分で満足をしたい」
 と考える人の中には、
「質より量」
 ということを考えている人も多いことだろう。
 長瀬もその一人であり、
「量を書くために、毎日必死に継続している」
 そもそもは、
「一日でもあけると、何を書いていたのかが分からなくなる」
 というのが理由なのだが、それが継続につながるということであれば、それに越したことはないと思っているのであった。

                 近親相姦

 そんな、
「量を重ねる小説」
 というものを書いていると、
「毎回似たような小説になる」
 ということを悩みのように思っていた。
 とにかく、質とかはどうでもいいと思っていると、推敲など、どうでもいいと感じるようになっていて、
「誤字脱字があろうとも、別にいい」
 というくらいに思っていた。
 書き始めの頃は、
「文学新人賞にたくさん応募する」
 ということで、
「自分の成果を試したい」
 と思っていたが、実際には、それは、
「考えるだけ無駄」
 といえるものだった。
 というのは、
「文学新人賞」
 というものに作品を応募しても、結果だけしか分からない。
「途中の審査をどこまで通った」
 ということを、雑誌で発表してくれるところがあるだけ、まだマシといってもいいだろう。
 なんといっても、
「審査に関するご質問には、一切お受けできません」
 ということを、応募要項には明記されている。
 つまりは、
「完全に募集する側が強い」
 ということである。
 だから、へたをすると、最初から受賞する作品は決まっていて、応募は形ばかりのもので、
「たくさんの中から選ばれた大賞」
 ということで、それだけ、
「作品には拍が付く」
 というものだ。
 だから、受賞作品の作者には、
「有名人が多い」
 というものだ。
 それこそ、
「著名人の中からの審査でしかない」
 ということで、最初から素人は相手にされていないと思えば、
「詐欺グループがいっていたことも分かる」
 というものだ。
「出版社が全額出して本を出すとすれば、著名人しかいない。それは、芸能人か、犯罪者だけだ」
 ということで、
「作品の中身」
 というものよりも、その人が何をしたのかは関係なく、
「とにかく、誰もが知っているネームバリューのある人だ」
 ということである。
「犯罪者」
 というのは、あくまでも、一応のたとえであろうが、なまじ、冗談ではない。
「実際に、獄中のことを書いてベストセラーになったもの」
 というものであったり、