SFと歴史の分岐点小説
ということで、
「出版社との共同出資」
という甘い言葉に載せられて、実際は、詐欺に逢っていたというわけである。
そんな状態を、誰も知らないままに、気が付けば、
「詐欺として訴えられている」
ということで、
「何か思い出すことがあるのではないか?」
と思うのだが、それこそ、、
「バブル経済の崩壊と同じではないか?」
と考えられる。
というのは、
「バブルの崩壊」
というものが、
「事業拡大をすれば、必ずもうかる」
と言われたことであったり、
「銀行は絶対に潰れない」
という、
「銀行不敗神話」
というものが、いとも簡単に崩れたではないか。
特に、
「事業拡大のために企業は、銀行に融資を頼むことになるが、銀行がしたことは、なんと、過剰融資というものだったのだ」
本来であれば、
「リスクを考慮して、適正な金額を融資するのが当たり前の銀行が、儲かるからということで、企業に、過剰に融資する」
しかも、企業の方とすれば、
「銀行が太鼓判を押してくれるのだから、間違いない」
と思うのだから、誰も疑うはずがない。
融資を受ける企業が、
「経営計画を出して、それを銀行が審査することで、融資が決まる」
というわけで、企業としても、
「銀行も独自に調査をしているはずなので、こちらの計画と銀行の審査の2つが通るのだから、大丈夫だ」
と思うのも当たり前だ。
しかし、実際には、
「事業拡大は儲かる」
ということだけで、調査を本当にしたのかどうかわからない状態で、どちらも信じて疑わないのだから、
「少し見ればわかったものを」
といっても、
「時すでに遅し」
ということになるのだ。
それなのに、
「バブルの崩壊」
というものが目の前に来ているのに、
「誰も気づかない」
ということがありえるのだろうか?
確かに、
「神話を信じている」
といって、それだけで済むことであろうか、
それこそ、気づくはずべきところが政府にはあるはずだが、実際には、
「バブル経済に胡坐をかいている」
ということで、見過ごしてしまっていたのか?
といえるだろう。
普通であれば、
「政府や社会がそんなことするはずがない」
ということになってしかるべきなのだろう。
しかし、実際には、奇しくもであるが、
「自費出版社系の詐欺グループ」
という事件と前後してくらいであろうか、社会的な大事件が起こったのであった。
それは、
「厚生労働省」
による。
「消えた年金問題」
だったのだ。
これは、
「人災」
とも言われ、
「厚生労働省内部の、ずさんな管理体制によって、年金の把握ができなくなった」
ということで、まるで、
「年金制度の崩壊」
というものの、
「線商戦」
といってもいいものだった。
しかも、
「今起こった」
ということではなく、
「ずさんな管理」
というのも、
「昔から誰も歌がわずに、平然と行われていた」
ということから、
「人災」
とも言われている。
ただでさえ、経済が崩壊し、
「年金制度も危ない」
とずっと言われてきた中でのことだったので、
「政府がそんなずさんなことを」
と考えると、
「バブルぼ時期、誰も気づかなかった」
というが、それも分からなくもないといえるだろう。
しかし、もっといえば、
「へたに口にすれば、経済が大混乱に陥り、想定されるバブル崩壊の被害を、さらに増大させる」
ということで、隠蔽していたのかも知れない。
ただそれは、
「あくまでも、保身のため」
といってもいいだろう、
実際に、
「バブル崩壊からこっち、政府や企業のずさんだったことや、まったく危険を予知できなかった」
ということを自らで公表しているようなバカな連中がトップにいたと思えば、世の中がどれほど情けないものなのかということが分かるというもの。
そういう意味で、
「詐欺集団が、明るみに出た」
という時期と、
「年金制度崩壊の前哨戦」
というものが、
「同じ時代に発覚した」
というのを、
「ただの偶然」
ということで片付けていいのだろうか?
そんなことを考えると、
「小説家になりたい」
ということが、
「どれほどの夢物語なのか分かる」
というものだ。
しかも、
「小説家としてデビューしても、生き残れる人は一握りで、実際に、どんなに有名な作家であっても、本屋に絶えず、その本が並んでいる」
などということはないだろう。
もっといえば、
「小説家というものに何人がプロとしてデビューするか?」
ということで、毎年どんどん増えていくことになるわけなので、
「それだけ生存競争は激しい」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「小説家になって、生き残るところまで考えていない」
という時点で、
「考えが甘い」
といっていいだろう。
そんな、
「小説家になることがどれほど大変か?」
ということを分かっていないという人が多かったということであろうか?
もっとも、どんな仕事であっても、プロと呼ばれる人は、それなりに大変である。
自分の信念を捨てないとできない商売というのも結構あり、サラリーマンの世界にだって普通にあることで、
「自分の成果であっても、結局はすべての手柄を会社であったり、上司に持っていかれるなどという、自分にとって耐えがたいということが普通に起こる」
というものであった。
ただ、小説家のような芸術家というと、実際にプロの世界ともなると、まわりには、
「よくわからない」
ということが平気にあったりする。
中には、
「著名な先生の作品が売れる」
ということで、昔から、
「ゴーストライター」
などがいる。
ということは結構言われていたりする。
ゴーストライターというと、
「作品は新人に書かせて、それをあたかも著名な先生が書いたことにする」
という、たとえば、先生がスランプに落ち込んだなどという時によく使われるものだ。
しかし、実際に先生が長期のスランプになった時など、ゴーストライターをずっと使っているということもある。
先生も、書けないことで文句は言えない。そして、ゴーストライターは、最初はまだ編集者から、
「これもプロになるための、登竜門のようなものだから」
と言われ、
「自分は認められたんだ」
ということを思い、これからの進展を楽しみにしているだろうが、出版社からすれば、
「無名の新人の本を出したって、売れるわけはない」
ということで、結局、
「ゴーストライターのまま」
ということで、それこそ、飼い殺しというものだ。
結局、誰も得をすることはなく、出版社としては、
「なるべく損をしないように」
という苦肉の策ということになるのだ。
それでも、出版不況の波は抑えることができず。このままずっと、
「延命措置」
だけに舵を切っていれば、すぐに没落していくに違いない。
それこそ、
「無理な経営方針」
を、
「ブームというものにのっとる形で行っても、確かに、ちょっとした延命措置にしかなならない」
ということでしかないのだ。
その頃になると、すでに、
「本屋は、都会から消えつつある」
作品名:SFと歴史の分岐点小説 作家名:森本晃次