SFと歴史の分岐点小説
「敵が、こもっている城を取り囲んで攻めに入った時、まわりの山に築かれた、
「支城」
というものから、兵が出張ってくると、取り囲んで、攻城戦を挑んでいる方からすれば、
「逆に挟み撃ちに遭ってしまった」
ということになるだろう。
その時代から、
「攻城戦」
「籠城戦」
というものが考えられるようになり、いろいろな策が、城に弄されることになるのだろう。
南北朝から広がったというのは、
「建武の新政」
の際、楠木正成が、
「赤坂城」
であったり、
「千早城」
において大活躍をしたことで、その大切さが注目されるようになったからなのかも知れない。
しかも、室町幕府というのが、弱体幕府であり、守護大名の力が大きかったことで、安定しない時代であり、のちの戦国時代の入り口を作ってしまったということで、
「群雄割拠という時代における守りのかなめ」
ということで、
「近代城郭」
というものが生まれてきた。
お城内部に、攻め込まれにくいような仕掛けが施してあったり、攻めてきても、一網打尽にする仕掛けなどである。
「攻城戦には、籠城側の三倍の兵の数が必要だ」
と言われるが、
「城というのは、元々籠城するためのもの」
として建設されたものなので、
「それも当たり前」
というものである。
そして、戦国時代に入ると、戦い方もいろいろ開発されるようになり、守りとしての城も、当然、形が次第に変わってくるというのも、無理もないことだったのだろう。
今まで山の上にあり、
「川が濠の役目をしている」
というところであったり、
「山の一方が断崖絶壁で、石垣の役目をしている」
というような、いわゆる、
「天然の要塞」
というもので防御していたものから、次第に、
「平地に降りてくることで、実際の領地の統治のために使われる」
ということもできるようになったことで、まわりには、
「城下町」
というものができて、
「経済の発展」
にも役立ち、大名の生計が立つということにもなったのだろう。
昔であれば、
「歴史好き」
などというと、
「変わってるな」
と言われ、
「あんなやつに近づかないようにしないと」
というくらいに、変わり者扱いされたものだった。
しかし、そのうちに、
「旅行に出かける人が増えた」
ということで、その土地の歴史を楽しむ人が増えたことで、女性の中にも、
「歴史が好きだ」
ということで、
「歴女」
と呼ばれるような人が増えたことで、
「歴史の楽しさ」
というものが、年齢層や、性別関係なく、ファンが増えてきたといってもいいだろう。
それに、昔から信じられていたことが、最近の歴史研究や、発掘技術の発展によって、
「今まで常識と言われてきたことが、実は違っていた」
ということが次々に話題になることで、
「逆に、それまでの歴史を知らず、新たに勉強するほうが、新しいものを受け入れられる」
ということで、
「勉強するのに、遅いということはない」
と感じさせるのであった。
そもそも、昔から、
「どうしても、歴史は好きになれない」
と言われていたのは、
「歴史を暗記の学問だ」
と考えられてきたからだろう。
それこそ迷信というもので、確かに、年代を覚えたり、人物を覚えたりと、覚えることがたくさんあるわりに、
「その人が何をした人なのか?」
ということは、教科書では、数行に書かれているだけで、それこそ、
「何かをやったというれっきとした事実がない限り、本来であれば、時代の最重要人物であるにも関わらず、本当に数行だけで終わってしまう」
ということである。
しかし、歴史の真実がどんどん変わっていく中で、
「それまでの常識が、非常識」
ということになっていくのだから、それだけ、
「歴史という学問時代が変革している」
といってもいいだろう。
「そういう意味で、戦国時代は、情勢がコロコロ変わるし、その詳細なところも、どんどん明らかになってくる。
それが面白いわけで、
「歴史を好きになる」
という人が、
「戦国時代から入る」
というのは、そのためであろう。
だから、歴史好きの人に、
「どの時代が好きですか?」
とアンケートを取るとすれば、
「戦国時代」
「幕末から、明治維新にかけて」
「平安末期からの、武士のおこりから、源平合戦くらいまで」
というのが、そのベストスリーに入るだろう。
結局は、
「動乱の時代として、歴史のミステリーのような事件があったり、さらには、人間的に魅力的な人物がたくさん出てきたり」
ということで、興味を持つことになるのだ。
しかも、それまで歴史に興味を持つことのなかった、女子供が、歴史に興味を持つということの理由として、
「アニメやゲームの影響」
というものが多い。
特に戦国時代などでは、
「かっこいい武将のイラストが、女性ファンを引き付け。稀代のヒーロー」
ということで、祀り上げられるのだ。
「実際の史実とは若干違った」
としても、あるいは、
「似顔絵をまったく無視した、想像上のイケメン」
として描かれるのだから、それも無理もないことなのかも知れない。
「想像上のイケメン」
ということで、
「本当の肖像画」
というものを見て、幻滅する人もいるのではないかというレベルであった。
ただ、それでも、
「きっかけが何であれ、歴史を好きになってくれるのはありがたい」
と思っている人もいれば、
「そんな不純なところからであれば、別に好きになってもらう必要などない」
と思っている人も多いことだろう。
実際に、歴史上の人物として、
「勝手に祀り上げられた人も結構いるようで、似顔絵も実際のものが残っていないにも関わらず、それこそ、イケメンに作り上げる」
ということをしているのだから、本当の歴史好きは、
「にわか歴史ファン」
というものを、小ばかにしているかも知れない。
確かに、他のブームというのは、
「そのもとになったブームがなくなれば、それまでのファンがどっと離れていく」
というものが当たり前になる。
しかし、歴史の場合は、結構しつこいもので、
「それだけ、ゲームなどの影響が強い」
ということなのか、それとも、
「ゲームの影響とはいえ、一度ついたファンは、そう簡単に離れない」
ということになるのだろうか?
それを考えると、
「ゲームが元々だったとはいえ、せっかく歴女になったというのだから、このまま女性の歴史ファンが多いというのは、悪いことではない」
として、
「女性ファンを受け入れる」
という気持ちになっていた人も結構いるに違いない。
長瀬は、歴史が好きだったので、小説を書くようになると、まわりから、
「歴史小説を書いているのでは?」
と思われていたようだが、そんなことはない。
歴史をテーマにした小説の中に、大きく分けて2つのジャンルのものがある。
一つは、
「歴史小説」
というもので、もう一つは、
「時代小説」
と言われるものである。
名前やニュアンスから考えると、
「歴史小説というのは、歴史をテーマにしたもので、時代小説というのは、時代劇なのではないか?」
作品名:SFと歴史の分岐点小説 作家名:森本晃次