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SFと歴史の分岐点小説

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 というものが、今の人手不足を呼ぶ形になるのだが、
「形としては、若干の違うというものがある」
 ということになるだろうが、
「それらの社会問題」
 というのは、どんどん流れていって、
「新しい時代で形を変えながら、まためぐってくる」
 ということになるであろう。
「法律改正」
 というのは、決して、いいことではないということが、いえるであろう。
 そんな時代も、時系列の流れにおいて、
「近親相姦」
 というものが許されたのであるが、これが、しばらくすると、また禁止になるのであった。
 しばらくといっても、実際には、数十年かかっているのだが、それが、結果50年が経ってしまうと、今度は、
「過去にさかのぼって、罪だ」
 ということになったのだ。
 本来であれば、
「当時犯罪ではない」
 ということであれば、さかのぼって罪に問うということはありえない。
 それだけ、
「近親相姦」
 というものが間違いだったということなのか?
 それとも、
「過去から抹消しないといけないほどの、歴史的な犯罪なのか?」
 ということである。
 つまりは、
「未来の人間が、過去に戻って、過去を変えると、今度は本来の未来が変わってしまう」
 ということから、過去を変えてはいけないということになるのだ。
 しかも、近親相姦というのは、
「死刑だ」
 ということであった。
 ただ、
「近親相姦において、子供を作った場合」
 ということに限るのであった。
 その話を、書いた時に、長瀬が思った発想として。
「近親相姦で生まれた人が、未来において、取り返しのつかない」
 ということをすることになる。
 ということであるが、その人物を特定することはできない。
 犯人が、自分から告白していることとして、
「過去において、近親相姦によって生まれたことで、自分が今の時代、とんでもないほどの不幸になった」
 ということで、
「俺は、過去に復讐する」
 ということで、
「未来」
 という
「今の時代」
 において犯罪を起こし、
「今の警察に過去に戻って、過去から歴史を変えてもらおう」
 と考えているのであった。
 それだけ、
「今の俺は、これ以上ないという最悪なもので、歴史が変わったとしても、これ以上悪くなることはない」
 ということで、
「「こんなことくらいは平気でできる」
 ということであった。
 だから、彼とすれば、
「自分の意思に反して、タイムパラドックスに対して、挑戦しているのだ」
 ということであった。
 もちろん、それがいいことなのか悪いことなのか分からない。
 そんなことを考えていると、
「問題は近親相姦」
 というものではなく、
「未成年における恋愛」
 ということであった。
 この男とすれば、
「俺が、生まれてきたということ自体が、そもそもの間違いだ」
 と感じていることから始まったことだったのだ。

                 大団円

 50年後の警察というと、この男が引き起こしたことが、数十年にわたって災いを起こし、世の中がめちゃくちゃになっているということであろう。
 しかし、問題なのは、
「狂ってしまった未来から、元の世界に戻ろうとしても、必ず、どこからか狂ったところが存在しているわけなのだが、問題は、それがいつの、どのタイミングなのか?」
 ということになる。
 それは、
「どんな世界線にいても、ピンポイントで見つけなければいけない」
 というのは難しいものだ。
 だと考えれば、
「なぜ、50年後なのか?」
 というのも分かるというもので、
「タイムマシンができたとしても、じゃあ、どの時点で歴史が狂ってしまったのか?」
 ということが分かるのか?
 ということになれば。
「それが、ちょうど50年後だった」
 ということになるだろう。
 この50年というのが
「長いのか短いのか?」
 というのは、よくわからないところである。
 法律も本来であれば、きちんとした理屈の下に作られているはずなのに、どこからか、
「裁く」
 ということだけの特化したものに変わっていた。
 それだけ、
「時代がリアルな裁きを必要とする時代になったのか?」
 ということであるが、それが、
「時系列」
 というもののリアル性といってもいいのではないだろうか?
 実際に、30年後には、
「近親相姦」
 というものを認め、さらに、
「未成年での結婚も、婚約状態にさえしてしまえば、交際から認められる」
 というものであった。
 つまり、
「未成年者で婚姻ができない」
 というのは、
「子供を作っても、育てられない」
 などという
「生活能力がない」
 ということを解消するということで、
「結婚の予約」
 ということでの、婚約さえしておけば、問題ないということなのだ、
 これも、
「今の時代のように、結局、少子高齢化ということでの、問題を素直に考えた時、何が問題なのか?」
 ということであるが、まずは、
「結婚しない人が増えた」
 ということである。
 それも、
「どうせ、離婚するんだったら、一人の方がいい」
 ということで、
「結婚することに何の意味があるのか?」
 ということを、皆が気づき始めたからである。
 だが、
「じゃあ、どうして結婚するのか?」
 ということになると、昔であれば、
「家の存続」
 ということからの考えであるが、これは、すでに戦後すぐに、その考えが崩壊したことからと、さらに、
「押し付けられた民主主義」
 ということで、
「自由」
 というものを一番の最優先と考えたのだ。
 だから、
「自由恋愛」
 という、
「恋愛結婚」
 というものが流行るようになってきて、結婚してしまうと、相手の見えなかったところが見えてくることで、結婚の意味がなくなってしまい、簡単に離婚する時代になった。
 これも、一種の、
「離婚するのも自由」
 というところからであろうか?
 しかし、そうなってしまうと、今度は、子供ができないことでの、
「家の存続」
 どころか、今度は、
「国家の存続」
 が難しくなる。
 つまりは、
「人手不足問題」
 であったり、
「年金制度」
 という社会福祉問題が、根底から狂ってくるということになるのだ。
 そもそも、
「国民の三大義務」
 ということで、
「勤労」
「教育」
「納税」
 とあるわけだが、
「義務である勤労の中から、納税をすることで、政府はその金を、国民のために使い、納税者の老後の資金ということで使う」
 というはずである。
 しかし、労働者が減ると、納税者が減り、年金受給者だけが増えてくるということになると。そもそもの社会体制が崩壊することになる。
 本来であれば、昭和の頃から対策を取るべきものを、甘く考えていて、結局は、
「金というものを、政治家が自分たちの私腹を肥やす」
 ということだけに使ってしまったツケが今回ってきたのである。
 そのために、少しでも、少子高齢化対策ということで行ってきた政策を、いろいろ調べてくると、
「歴史の分岐点」
 という答えは、
「この時代にあった」
 ということである。
 そのことを調べると、話は、
「SFチック」
 という様相を呈しているが、実際には、