SFと歴史の分岐点小説
「自己嫌悪に陥った主人公は、法律が改正されたことで、それまでは諦めていたものが、大丈夫ということになると、今度はまわりの目と、それによる、自己嫌悪というものが絡んでくると、最後には、裏表の感情がかかわってくると、躁鬱のような、精神疾患というものが出てくることを、感じるのであった」
というのも、
「主人公は、自分が精神疾患ではないか?」
と悩んでいたという。
実は、この世界の法律改正が進んでいるのは、その背景として、
「精神疾患患者が増えてきた」
ということからであった。
昔言われていたような、
「精神病」
というものと、今の時代の、
「精神疾患」
とでは、
「かなり種類が違う」
ということである。
というのは、
「昔の精神病というのは、身体や脳の病気」
というものが多く、
「身体の病気が精神に異常をきたす」
ということからきていた。
しかし、現代の精神疾患というのは、
「社会情勢の変化などというものが、トラウマのようなものとなる」
ということであった。
だから、昔の精神病というのは、なかなか治るまでに時間が掛かったり、
「完治は不可能」
と言われるものもあったという。
へたをすれば、
「精神病にかかってしまうと、命を落とす」
と言われるものもあったようで、それだけその一つが致命的だったりしたものだった。
だから、入院病棟には、
「鉄格子が嵌っている」
という病室があったり、
「監禁しないといけない」
というものもあった。
しかし、今の精神疾患というのは、予備軍を含めると、
「ほとんどの人が罹っている」
といってもいい。
しかも、その種類は多岐にわたり、そのせいもあってか、
「神経内科」
と言われる医者も、
「時々誤診してしまう」
というほど、類似した症状ではあるが、まったく違う精神疾患というのもあるようで、そのため、
「今まで信じられていたことが、実は違った」
ということも結構あるという、
それが、まるで歴史」
というものと同じ感覚だといえるのではないだろうか?
ただ、
「今まで真実と言われていたものが、変わってしまう」
というのは、
「それまで、まったく興味のない」
と思っていた人を、その学問に引き付けるという力があるようだ。
それが、
「歴女」
というものを生み出したり、本の中でも、
「教科書で教えてくれない歴史」
などということで、タイトルだけで興味をそそるほどの内容に仕上がっているということではないだろうか?
精神疾患というのも同じようなもので、
「それまでの伝説が変わってきて、しかも、その病気の人口がどんどん増えてくる」
ということになると。
「他人事ではない」
ということになるだろう。
精神疾患にしても、歴史というものにしても、
「時代の流れがその速さを飲み込んでいく」
ということで、
「法律までも飲み込んでしまう」
ということで、
「絶対的な時系列」
というものをテーマにした小説が出来上がったとしても、それは無理もないことなのだろう。
「近親相姦」
に関した法律も、センセーショナルであったが、
「二十歳未満の男女の交際」
に関して、
「特に最近、どんどん変わってくる法律というものが、まるで、何かのカモフラージュのように見えたのだ」
ということであった。
特に、
「政府というものが、元々いい加減なくせに、テキパキと決めてしまった場合、そこに何かしらの含みがあるといっても不思議はないのであった」
そこには、
「何らかの国民に対しての暗示をかける」
ということで、
「自分たちの悪だくみのカモフラージュであったり、時間稼ぎのようなものではないだろうか?」
つまり、
「法律というものをダシに使って、自分たちの保身に走る」
ということで、
「どれほど、汚いのか?」
ということになるのであった。
だから、
「その報いは、未来からくる」
ということであった。
普通であれば、
「因果というのは、時系列でしか報いるものではない」
ということで、
何か悪いことが起こった場合、そこに、
「因果」
というものがあるのだとすれば、それは、
「過去からくる」
というものである。
「親の因果が子に報い」
という言葉であったり、
「今の時代に起こっている自然破壊などは、先祖の時代がらあったこと」
ということであり、
政府の腐敗」
というものも、
「昔から受け継がれてきたもの」
といってもいいだろう。
「某国鉄の、累積赤字」
という問題であったり、
かつてあった、
「消えた年金問題」
などがそうだろう。
年金問題などは、数十年にわたって受け継がれてきたずさんな管理というものを、
「誰もおかしい」
と思わずと言えばいいのか、
「分かっていたが、それを指摘する勇気が持てない」
ということで、
「誰もが、こんなことになるまでわからなかった」
ということを、
「なぜ問題にしないのか?」
ということである。
「分かっていてやったのであれば、確信犯ということであるが、そもそもの心構えがなっていなかった」
ということであるが、
「気づかなかった」
ということであれば、それこそ、
「基本的な資質に欠ける」
ということになるのだ。
法律改正によって、確かに、時代は、大混乱を引き起こしたといってもいいのだろうが、基本的に他の国民は、
「法律が緩和された」
と思うようになり、
「政府も次第に分かってきたのではないか?」
と思うのだろうが、それこそ、
「政府の作戦だ」
といってもいいだろう、
そもそも、政府が、
「国民のため」
などということを言って、何かを試みる場合は、そのほとんどは、
「自分たちのことしか考えていない」
ということの表れに違いない。
主人公は、それを分かったうえで、
「妹と結婚したい」
と考えていた。
「政府が何を考えているのか?」
ということを考えてみると、
「やはり、人手不足を解消するため」
ということと、
「少子高齢化」
というものを考えると、
「やみくもにでも、子供を作る」
という方法を取るしかないのだ。
だが、
「子供を育てられるのか?」
ということになるが、それこそ、
「成人の低年齢化」
ということで、働ける人間を増やすということで、どんどん、成人年齢を下げていくことで、
「少子高齢化」
というものを防ごうという考え方である、
「少子高齢化」
で、問題になったのは、
「育てることができない環境が問題だ」
ということであった。
「保育所の問題」
というものは、少子高齢化というものが言われ始めた時代と、
「バブルの崩壊」
ということで、
「夫婦共稼ぎ」
というものが当たり前という時代になったことと、さらには、
「核家族化」
ということで、親世代との同居というものがなくなったことも問題だった。
そもそも、時代が進めば、
「一軒家に住む人も少なくなり」
そうなると、
「祖父母に子供を預ける」
ということも難しくなるというものであった。
それが、
「少子高齢化」
作品名:SFと歴史の分岐点小説 作家名:森本晃次