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SFと歴史の分岐点小説

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「タイムマシンの開発」
 というものを、最初から。
「タイムパラドックス」
 などという
「不可能」
 という考え方で見てしまうと、決して、開発にたどり着くことはできない。
 それこそが、
「交わることのない平行線」
 ということであり。
「限りなくゼロに近い」
 という発想につながっているのだろう。
 そのどちらも、究極に求めるものとして、共通していえることは、
「時系列の問題」
 ということになるだろう。
 だから、
「時系列」
 というものが万能であり、そこに疑いなどというものを見てしまうから、本当は見えるはずのものが見えなくなってしまうだけだということになるのであろう。
 最近の、長瀬は、そんなことを考えていた。
 だから、小説を書く時は、
「SF系の小説が多い」
 それも、
「時系列」
 というものが万能であり、疑うことのできない、一種の、
「動かぬ証拠」
 のようなものだと思うのだった。
 だから、SF小説では、思う存分、考えていることを書いている。
 実際に、長瀬が、
「SF小説を書く」
 という時は、ほとんどプロットというものを考えない。
 しいていえば、大まかなストーリーを考えたりはするが、それをストーリーにはしない。
 つまりは、
「書いているうちに、ストーリーが浮かんできて、それが、実際の結論に結びついてくるのだ」
 と考えていた。
 だから、
「ストーリー的に、矛盾もあるが、最初から矛盾のないように書こうと思っているよりも、よほど、理路整然としている」
 と思っているのであった。
 今回の話も、
「近親相姦」
 というかなりきわどい発想であるが、それも、
「時系列に自信をもって」
 と考えていると、
「自ずと、ストーリー展開が見えてくる」
 というものであった。
 今回の小説において、
「時系列」
 というものが、
「絶対的な存在」
 と考えるようになると、
「今度はそのわきを固めるストーリー展開を、逆に、その時代においての、
「身近なこと」
 と考えるようになるのも無理がない。
 というのは、時代背景が、
「現在というものを、30年前の過去」
 ということ、そして、
「未来というものを今生きている現代」
 ということで、
「どちらの時代も知っている」
 ということになるのだが、30年前というと、
「生まれた頃」
 ということで、
「とても、物心がつく前なので分かるわけはない」
 と思っている。
 それを考えると。
「生まれてきた時代というものは、自分の記憶のどこかに格納されているものなのではないか?」
 と感じるのであった。
 そんな時、小説の中で、30年後の未来という現代において、法案で、
「近親相姦というものが許される」
 ということになった。
 元々その法案を出していたその時の政権が、他の法案で、圧倒的な人気を誇っていたのだ。
 その影響で、ある意味、
「どさくさに紛れる」
 という形で、他の法案も続々と可決したのだ。
 そもそも、それくらいの力がないと、政権を継続していくことができず、それが、
「実際のリアルな日本政府との差別化」
 ということで描いたのであった。
 それが、
「フィクション」
 というもので、その発想が、近親相姦のような、
「過去から息づく発想として根強いもので、余計に、現代のリアルさとの差別化を図っている」
 といってもいいだろう。
 なんといっても、フィクションというものが、どういうものなのかというと、
「社会的な意見を、言いたい放題にいえる」
 ということにあると思っていた。
 今回の法律改正では、
「近親相姦」
 に関しては、
「緩和された」
 といってもいいが、逆に厳しくなったものもある。
 それが、
「それまでは、法律として、やかましくは言われていなかったが、今回の法律改正で、急に法律に明文化されたものが、男女交際」
 というものであった。
 特に、二十歳未満の男女交際に関しては、
「確実に親や学校の許可がいる」
 というものであった。
 しかし、これも、特例があり、
「片方が高校生で、片方が教育者の場合は、交際するためには、婚約の必要がある」
 ということであった。
 もちろん、
「淫行」
 という行為は法律となっているが、相手が二十歳未満ということであっても、交際の際に、婚約をしているのだから、淫行ということにはならない。
 しかし、逆に、
「この場合の婚約が不履行になった場合は、交際していた期間すべてにおいて、それまで特例とされてきた法律が裁かれる可能性がある」
 ということになるのだ。
 つまり、
「二十歳未満を相手にした婚約破棄は、罪に問われる」
 ということである。
 ただし、この場合は、
「親告罪」
 ということになるので、
「相手が訴えるという意思表示がなければ、逮捕も裁くこともできない」
 だから、
「裁かれる可能性がある」
 という言い方になるのだ。
 というのは、
「民法でも刑法でも、、
「未成年の年齢が引き下げられる」
 ということになった。
 そもそも、その理由は、
「未成年の犯罪の低年齢化」
 などという建前的なものもあるが、本当の理由は、
「選挙権を与える」
 ということからだった。
「選挙権の年齢を引き下げたのだから、成人年齢も引き下げるしかないではないか?」
 という、言い訳的な発想である。
 そもそもが、そういう、
「ついで」
 とでもいうような法律改正だったので、しかも、
「どさくさ紛れ」
 ということが重なると、中には、
「変えなくてもいい法律を変えてしまう」
 ということになるだろう。
 それを思えば、
「昔でいう、不純異性交遊」
 というものは、今では、犯罪になりかかっているといってもいいだろう。

                 法律改正

 小説においての主人公は、
「自分の妹を愛していて、自分が高校時代には、かなり悩んだものだった」
 年齢差が二歳あったので、その時は、自分が高校一年で、妹は中学二年生であった。
 主人公は、妹を愛してしまったことで、それが初恋だということを、、忘れてしまっていたのだ。
 それまでに恋愛経験がある中で、
「妹をたまたま好きになった」
 と思いたかったのだ。
 ただ、それは、法律が改正されたことで感じるようになったことであった。
 なぜなら、法律が改正される前であれば、
「兄弟が結婚できないというのは当たり前のことだ」
 ということで、
「辛い」
 とは思いながら、法律で決まっているのだから仕方がないとしてm諦めが聞くということである。
 しかし、法律が改正され、
「ワンチャン結婚だってできるではないか?」
 と思うと、
 今度は、
「自己嫌悪」
 というものに陥るのだった。
 いくら法律で認められたとはいえ、
「兄弟で結婚なんて、気持ち悪い」
 というまわりの目はぬぐい切れないといってもいいだろう。
 そもそも、
「性的な問題」
 というと、話がデリケートになってしまい、法律だけの問題ではなく、精神的な問題であったり、見え方というものに、問題があるということになるのではないだろうか。
 だから、