正悪の時系列
「同じ次元内に、違う結論をもたらす時系列が、一緒に動いている」
ということもありだと考えると、
「そこに、オカルト的な発想が出てくるのではないか?」
と感じるのだった。
それが、
「時間の流れが違っているのではないか?」
と考えることであり、その話を、学生時代の小説で書いたのを覚えている。
この話は、どう考えても、
「SFチックな話になれないわけにはいかない」
そう思って考えると、
「SFチックではあるが、時間の流れというものを、いかに、SFから切り離して考えるか?」
ということを思えば、
「小説というものが、かつて考えた、ミステリーだけではなく、いろいろと小説が枝遭別れしているように思えてならない」
ということであった。
小説をいうものと、ルポというものが、まったくの正反対だと考えると、
「歴史というものを、一度はフィクションと考えてみたいものだ:
といえるのではないだろうか?
差別が残っているそんな村で、いつからか、
「都会と田舎が同居する場所」
ということで、一部で有名になったことがあった。
それこそ、
「都市伝説のたぐい」
ということであったが、それを、最初に書いたのは、実は、中里だった。
といっても、元々小説家でもなく、
「事実以外を仕事で書く」
ということのなかった中里なので、そのことを誰かが知っているとしても、それを誰かがウワサしたとしても、そこに、何らかの根拠も何もないだろう。
それなのに、
「都市伝説」
とはいえ、一部の人に信じられたということは、そこに、
「都市伝説としての、根拠のようなものがあった」
ということかも知れない。
もちろん、中里も、記事に関して後でいさかいになるようなことのないくらいの配慮はしていた。
「もの書きの端くれ」
ということで、小説家にはならなかったが、逆に、
「真実を伝えるということの難しさと、その信憑性についても、心得ている」
というつもりだった。
だから、書いた時も、
「あくまでも、地元でささやかれているだけで、根拠はないが」
というような書き方をしていたはずだ。
小説を書く時に、
「この話はフィクションです」
というようなたぐいであった。
だから、記事を書く時には、そのことを必ず守るようにしている。
それは、
「いさかいを招かないようにするため」
というのももちろんであるが、それ以上に、
「自分の記事の信憑性のある部分を、、事実だということで、自信をもって世に送り出す」
という使命を担っていると考えるからであった。
「ジャーナリストというものは、真実を書くということが正義であり、真実でなければ、それなりの書き方をするのが当たり前だ:
と思っているのだった。
だから、今回の記事を書いた時、取材には気を付けたし、
「取材相手に決して、いやな思いをさせない」
ということも徹底していた。
だから、トラブルらしいことは一切起こらなかった。
そんな中で、ただ一つ気になったのが、
「取材をした人のほとんどが、その話がスピリチュアルに特化している」
ということであった。
普通であれば、取材に受ける人というと、あまり、まわりに、余計な先入観を植え付けるようなことはしない。
「静かなこの土地を変な噂で犯されたくない」
ということであったり、
「へたに興味本位でやってこられて、変な噂を流されたりして、土地を汚されたくない」
と思いからであった。
確かに、
「村が噂になって、観光客に来てもらいたい」
という気持ちもあるかも知れないが、それならそれで、別のやり方を考えるものだと思っていた。
特に田舎の人の中には、
「取材というと、興味本位で、面白おかしく書き立てる人が多い」
と考える人が多いと思っているからであろう。
特に、スポーツ新聞のように、
「見出しの大きな文字で、でっちあげのような話で興味を引いておいて、一番最後のところのすぐ下に、小さな文字で、「か?」と書いておく」
というような、まるで子供だましのようなものだと思っているのだろう。
今では、そんなことが通用するようなことはないだろうが、中には記事の信憑性よりも、
「今日は何をネタにしているのだろう?」
という、
「まるで他人事に見えるかのような記事」
というものを毛嫌いするのが、田舎の方の人だと思っていた。
それなのに、この町における町民の取材に応じてくれる人は、そのほとんどが、
「スピリチュアルな話を聞いてほしい」
という感覚であった。
もっとも、これは、
「取材に応じてくれる人」
ということであり、
「やはり、他と同様、大多数の人は、取材に応じるということはない」
ということであった。
他の田舎町同様に、こちらが、
「取材目的で来ている」
ということが分かると、最初から嫌な顔をし、こちらに、一瞥を浮かべ、顔をそむける。
そんな相手に対して、無理に取材を申し込むようなことはしない。へたに申し込んで相手の逆鱗にでも触れれば、トラブルのもとになるということは、誰もが分かるというものだ。
だから、中里も、無理な取材はしなかった。
それでも、取材に応じてくれる人というのは、
「こちらは、他の町にいない」
といってもいいくらいに、人懐っこい人で、それは、
「取材に応じる代わりに、何かを聞き出したい」
という思いがあるように思えたのは、数人の取材を行った時だった。
もちろん、相手が何を知りたがっているかということは分からない。
ただ、
「こちらが知りたい話題が何か?」
ということを探っているのではないかと感じるのだった。
それは、まるで、
「狐とタヌキの化かしあい」
といってもいいくらいで、かといって、それを真剣に受け入れる中里でもなかった。
「とかく、閉鎖されたところに住んでいる人というのは、相手の情報を知りたがるくせに、相手をよそ者意識するという感覚が強い」
といってもいいだろう。
中里という男は、生まれは田舎町だったので、逆は分かっているつもりだ。
家族やまわりの人が、
「都会からきた人」
ということで、どこか警戒していて、そのくせ、尊敬もあり、さらには、敵対した目で見ていると感じると、
「一体、どれが本当なのか?」
と感じたものだ。
高校を卒業すると都会に出たので、その結論を確かめることはできなかったが、中学時代に感じていたのは、
「そのどれもが本当だ」
ということであった。
都会に出ると、今度は、
「都会の人間の目で、田舎を見る」
ということになる。
すると、今度は、
「逆に見られる立場」
ということになるのだ。
中里という男は、
「その土地の染まる」
ということにかけては長けているところがあり、よくいえば、
「順応性がある」
ということであるが、悪くいえば、
「朱に交われば赤くなる」
というタイプだった。
だから、都会に少しでも住んでいると、それまでの田舎暮らしというものをすっかり忘れてしまう。
「昔から自分は都会で育ったんだ」
という感覚になるのであった。
だから、彼が、取材記者になったというのは、ある意味、