正悪の時系列
というのが、昔から、栄えたところというこであったが、
「お寺が治めていた場所」
というのが、そもそもの田舎だったということだ。
実際に、この村には、
「江戸時代以前より、身分制度」
のようなものがあったという。
実際に、江戸時代以前に、身分制度があったという村の存在は確認されていないが、どうやらそれも、
「証拠を隠滅するため」
ということで、一切の伝書には残さないようにしているのだという話を聞いたことがあった。
歴史の真実
ただ、
「人の口には戸は建てられない」
ということで、一時期は、その話も伝わっていたが、江戸幕府の全国的な、
「士農工商」
という身分制度というものを、全国津々浦々にまで浸透させようということから、
「かつての記録」
というものは、一切抹殺されたのだ。
これに関しては、お上の調べも真剣だったようで、
「隅々まで調べて、そのほとんどは、償却された」
ということであった。
それでも、実際に記されたものを、
「どこかに埋めたのではないか?」
ということで、実際に、ウワサが明治くらいまで続いたという。
しかし、いつの間にか、
「そんな過去のものは必要ない」
ということから、探索もされず、掘り返されるということもなかった。
実際に、江戸時代よりも前の時代に、
「身分制度があったかどうか?」
ということは、政府にとっても、地元にとっても、関係のないことであった。
そもそも、身分制度というのは、
「その時の権力者が、自分の利益のため」
あるいは、
「将来にわたっての繁栄」
ということで、書き記し、
「子々孫々に残す」
というところであろうが、
「時代はすでに身分制度というものを、古き悪しき時代」
ということで、必要としないどころか、時代を逆行するようなものは、その存在を許さないといってもいいだろう。
だから、
「身分制度」
というものは、今の時代で、
「士農工商しかない」
と言われているのであった。
ただ、考えれば、
「身分制度というものはないが、階級制度というものはあった」
ということである。
それぞれに立場の違いというものが存在するが、
「そのどこが違うというのか?」
ということを考えると、
「階級制度」
というのは、
「組織全体の利益」
というものを考えるものだが、
「身分制度」
というのは、あくまでも、
「君主」
というものが絶対的な権力を持っていて、その権力者が、
「世の中を抑えていく」
という、一種の独裁制というものから、
「力の一点集中をもくろむ」
ということで必要なことである。
江戸時代などのように、
「戦国の世を収めた」
ということで、
「戦のない時代が到来はしたが、いつ、反乱分子が出てきて、世が乱れない」
とも限らない。
そのためには、
「幕府という、統一政府」
というものを、倒壊させてはいけないということである。
だから、政府というものの力の集中ということを考えての、
「幕府黎明期に行ってきた対策は、大切なことであったのだ」
特に江戸幕府においては、
「幕藩政治」
というのを行っていた。
「中央には幕府があり、それぞれの地方の国においては、藩というものがあり、そこに藩主がいるということになる。
つまり、
「中央集権ではあるが、それぞれの藩には、藩ごとの決まりがあり、その中で、年貢取り立てなどを行っている」
ということであった、
だから、へたに藩が力を持たないように、最初は、
「何かの因縁をつけて、改易にして、反乱分子といえる藩を取り潰す」
という政策が取られた。
どうしても、豊臣恩顧の大名が残っていることから、仕方がないことであった。
それに伴って、
「天下普請」
ともいえる、土木工事を行ったり、
「参勤交代」
ということで、藩主を、国元と江戸に半々で駐留させることでの、
「藩の財政を逼迫させて、謀反を起こせなくする」
という考え方があった。
しかし、実際に、
「お家取り潰し」
というものを行いすぎると、そのために職を失った武士が、浪人となって、町にあふれるということになる。
つまりは、
「失業者対策に追われる」
ということであった。
当然、治安が悪くなるのは当たり前で、
「幕府に対しての不満が爆発するのも時間の問題」
ということで、
「改易」
というのも、無理になってきた。
さらに、幕府の財政逼迫などから、
「年貢の取り立てに、農民が一揆をおこしたり、村を捨てて逃げだしたりする」
ということになると、
「職業を勝手に変えてはいけない」
というやり方をしないと、
「年貢が取れず、さらに財政逼迫となる」
ということから、考えられたのが、
「士農工商」
という身分制度というものであった。
そういう意味で、
「幕府の財政」
は、確かにひっ迫していくが、それでも、何とか幕府は、中央政府として、絶大な力を持っていた。
それこそ、
「ペリー来航」
によって、開国騒ぎがなければ、幕府は、まだまだ続いていたのかも知れない。
もっとも、あの時にペリーがこなかったとしても、外国のどこかの船が日本に、砲艦外交を求めやってくることだろう。
そうなると、それこそ、
「日本は植民地になっていた」
といってもいいかも知れない。
もっとも、
「明治維新」
というのは、
「明治の志士たち」
と言われる元勲たちがいることで成し遂げられたのだから、
「時代が違っていても、同じような、倒幕が望めたか?」
ということになると、何ともいえないだろう。
歴史の転換点というのは、
「タイミングと偶然が重なってのこと」
といってもいいだろう。
しかし、それがうまくかみ合わないと、
「本当に今と同じ歴史が繰り返されるのか?」
というのは分かったものではない。
今の、
「歴史が分かっている状態」
ということで、過去を振り返るから、
「あの時の歴史があったから、今の正しい歴史になっているのだ」
ということなのであろうが、そもそも、
「今の歴史が、本当に正しい歴史だ」
といえるのだろうか。
なんといっても、
「大日本帝国」
というものが、大東亜戦争が起こるまでは、歴史の流れを見ると、
「うまくいっていた」
と見えるかも知れない。
それは、歴史の中での、細かい、
「起承転結」
だけを見ていると、
「結」
というものが正しければ、その途中の、
「起承転」
というものが、遠回りではあれ、
「正しいことだった」
ということになるであろう。
つまり、
「歴史というのは、一つの歴史が動いている同じ時、別の歴史も動いているわけで、それを、
「同じ次元だ」
と思うのは、
「見えているからだ」
といってもいいかもしれない。
「次元が同じであれば、必ず、そこにある同じ時系列での歴史が見えているというものだ」
つまりは、
「見えている以上、同じ次元で。見えなくなれば、次元が違っていたのかも知れない」
と感じるのではないだろうか?
だから、といって、