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正悪の時系列

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 という気持ちは以前から持っていたということに間違いはないのだが、
「頭の中で、バーを持ったことがある」
 という意識があったのだ。
 それに比べて兄の方は。
「まったくバーの経験はない」
 と感じていた。
 もちろん、お互いにそんなことを感じているとは思ってもいなかった。
 だが、雄二が、
「昔バーをしていた記憶がある」
 と思うようになったその頃から、二人は、ほぼ同時くらいに、
「相手もバーをやるつもりなんだ」
 ということが分かったのだ。
「俺の方が少しでも先に」
 とは思っていなかった。
 お互いにライバル心は持っているが、その使い道は、
「俺の方が先に」
 という気持ちではないということだった。
「店の経営に関しては、知識がないわけではない」
 それぞれに、学校で勉強もした。
「どちらとも、兄弟の割には似ていない」
 と言われていたのが、高校時代だったが、それだけに、
「それぞれ同じ名前を店を開いた」
 ということを聞いた昔なじみの人は、
「おいおい、きっとどっちかが真似したんだよ」
 と思っていただろう。
 それ以外には感じられないということで、
「しょうがないか」
 と、きっとお互いで諦めているだろうと考えていた。
 それに違いはなく、
「まあ、相手がやりたいというのであれば、やらせればいい」
 と口では言っていたが、最初は、店を開く前までは、闘争心にあふれていた。
「相手に負けたくない」
 という思いがみなぎっているようだったが、実際に店が開店し営業を始めると、
「それどことではない」
 ということで、次第に闘争心はなくなっていった。
 せめて、
「あいつよりも、早く閉めるようなことはしたくない」
 という思いが強かった。
 だから、
「店の経営というものは、人と競争するものではない」
 と思いながら、
「ライバルがいると、その分、気概に満ちるものだ」
 ということで、
「まんざらでもない」
 とお互いに思っていた。
 ただ、店の名前を、
「クロノス」
 としたのは、
「この名前を付けたかったんだ」
 と考えた兄に対して、
「どんな名前がいいかと考えた時、ふと浮かんだ名前だった」
 ということでつけたのが弟だった。
「クロノス」
 というのは、
「時間をつかさどる神」
 と言われている。
 それを知っていた兄の方は、
「ぜひこの名前を」
 と感じたのであり、
「子供の頃に見たマンガの中で、クロノスが登場し、その謂れが書かれていた」
 というのを思い出したということで、
「思い出した」
 といっても、それが偶然なのか、必然なのかということは自分でも分からない。
 だが、直観で思い出したというのだから、
「意識としては、相当強いものだった」
 といえることから、この名前の思い入れということであれば、どちらが強かったのあkと言われると、
「弟の方だろうな」
 と思うのであった。
 弟が見たマンガの、
「クロノス」
 というのは、
「時間を自在に操れる」
 ということで、
「クロノスが支配する世界は、時間をさかのぼる」
 というもので、今の時間の動きとはまったく逆の、
「若返っていく」
 ということを、仮想化した話だったのだ。
 だから、生まれてくると、年を取っていて、若返りながら、時間が経っていくというもおのだ。
 マンガを見ている時は、その世界に入り込むので、理屈としてはおかしくても、
「マンガの中の世界」
 というのは、辻褄があっていた。
 しかし、途中であっても読むのをやめてしまうと、納得して読んでいたということをすっかり忘れてしまうのだった。
 それこそが、
「クロノスの正体だ」
 と子供の頃には納得したが、結局、読むのが終わると、自然と忘れていった。
「クロノスというマンガは、とても面白かった」
 という記憶だけが残るのだ。
 それを同じことがm
「クロノス」
 の開店の時に感じたのだ。
「自分の中にある記憶というのは、意識とは逆な気がする」
 と、その時に感じた。
 クロノスというのは、
「時間をさかのぼる」
 ということで、自分が知っている世界とはまったく逆なのだから、
「意識と記憶が逆なのだろう」
 ということであった。
 それを思い出すと、
「ああ、俺と兄貴の違いは、ここにあるのかもしれないな」
 と感じた。
 それは、お互いに、
「意識と記憶」
 というものに対しての感覚が違うんだということであった。
 その思いがどういう影響を持っているのか分からないが、
「お互いに、同じ町の中での、地区違いで、同じ名前の店を経営する兄弟」
 ということになるのだと自覚をした。
 そして、
「これでいいのだろうか?」
 と感じながら、開店へと、カウントダウンが始まったのだ。

                 生き返り

 お互いの兄弟は、それぞれに、
「前世の記憶を持った珍しい人間なんだ」
 と思っていた。
 ただ、その感覚があるのは、
「自分だけだ」
 ということで、弟が兄貴を、兄貴が弟を、そんな目で見ているということはなかった。
 二人はそれぞれに、
「人生というのは、すべてが自分のものであり、まわりは、自分の人生のための脇役でしかない」
 と思っていた。
 それはもちろんであろう。
 なんといっても、自分の人生の主役なのだから、主役が死んでしまうと、自分の人生はそこで終わってしまう。
 それを考えると、
「自分の人生は自分が主役」
 と考え、自分以外の人は脇役だと思っている人ばかりだと思うことだろう。
 そうでなければ、
「自分が自分として生まれてきた意義がない」
 といえる。
 だが、この世で生きていく中で、その教訓の中には、
「人のために」
 ということが多い。
「人のためにいいことをすれば、あの世で救われる」
 ということであったり、
「他人を楽にさせることを、傍が楽になるということから、働くというのだ」
 ということが言われたりと、
「自分よりも他人」
 ということで、
「自己犠牲」
 というものが、
「この世でもっとも美しい」
 と言われている。
 しかも、
「業突く張り」
 などと言われ、
「欲の塊」
 のような人間の末路がどういうものか?
 ということを、子供の頃から、
「おとぎ話」
 というもので、習ったではないか。
「欲張って、大きなものをねだるよりも、小さなものの方に、お宝があった」
 という話であったり、
「動物を助けると、人間の女性に姿を変えて、自分を助けに来てくれたり」
 などという話も結構あったりする。
 そういう意味で、どうしても、
「自分よりもまわりを大切にするというのが美学だ」
 ということになるのであった。
 だが、本当にそうなのだろうか?
 確かに、
「社会全体の統制を考えると、人が思いやってくれている方が操りやすい。そして、下々の連中が助け合う気持ちに立ってくれる方が、身分制度を押し付けても、理不尽だと思うかも知れないが、助け合うという気持ちがあることから、何とか生きようと考えるに違いあい」
 という思惑があるのではないだろうか?
 あくまでも、
作品名:正悪の時系列 作家名:森本晃次