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正悪の時系列

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 一見、何事も対照的なものが、一つの町にそン材しているという現象は、実におかしなものだった。
 しかし、その中で、今までにないものとして、
「同じ名前の店」
 というものが、それぞれの地区に存在している。
 それは、ただの偶然というわけではなく、それぞれの地区で、経営をしているのは、実の兄弟だという。
 都会の方で経営をしているのは、
「兄の岡田俊介」
 田舎の方で経営をしているのが、
「弟の岡田雄二」
 というのだった。
 二人は子供の頃は仲が良かった。
 といっても、十歳になる前くらいなので、少年というよりも、
「幼児」
 といってもいいかも知れない。
 まだまだ自分の感覚で仲が良かったというよりも、
「本能で仲が良かった」
 というべきか、それ以降、中学生になるくらいまでは、自分の中の理性で仲良くしているというのが、子供の感性といってもいいかも知れない。
 これが中学生になってくると、心も身体も大人に近づいていくことで、次第に、子供の頃の自分を嫌いになったり、否定したくなる。
 だから、親や兄弟などのような近しい相手に反抗して見たくなるのだ。
「俺はいつまでも子供ではない」
 ということで、
「大人になろうとしている自分を認めてもらいながら、実際には、助けてほしいと望むその気持ちに偽りはないだろう」
 だから、お互いの感情が衝突すると、そこから、
「兄弟の間で亀裂のようなものが生まれているのも当たり前」
 というもので、この二人の兄弟は、それ以前の、
「まだ子供」
 と言われる頃から確執があった。
 それは、
「本能の頃まではよかったのだが、本能が切れてしまうと、お互いに、相手を許せないという気持ちが子供の頃から芽生えていた」
 ということになる。
 つまりは、
「大人のような感性を持った兄弟」
 あるいは、
「考え方だけが大人で、感性は子供だった」
 ということで、
「兄弟の絆など、最初からなかった」
 といってもいいだろう。
「ひょっとすると、本当の兄弟ではないのかも知れない」
 と思っている人もいるくらいだ。
 しかし、それを公言することは厳禁である。口にしてしまうと、田舎では、倫理的にまずいもので、都会では、世間体というものを気にしてしまうからだった。
 それぞれに、
「一長一短」
 結果、どっちがいいのか悪いのか、それぞれに問題があるといってもいいだろう。
 だが、そんなに仲が悪い兄弟ではあったが、感性は似ているのだ。
 好きになるものも、趣味趣向も似通っていた。だから、
「これが兄弟たるゆえんなのだろうな」
 ということになり、
「本当の兄弟ではないなどと考えて失礼だったかも知れないな」
 と、結果、
「やっぱり兄弟なんだ」
 と考えるのだ。
 兄弟だからこそ、衝突することもある、
 へたをすれば、憎しみ遭うこともあるのではないかと思うくらいで、
「兄弟で、憎しみ遭うのだから、親子だってお互いに憎しみ遭っても無理もないかも知れない」
 と思った。
 いや、
「血のつながりが濃ければ濃いほど、その傾向はあるだろう」
 なんといっても、親兄弟というもの。
「相手が何を考えているのかわかる」
 といってもいいだろう。
 弟の気持ち、兄の気持ち、親の気持ち、
「分かりすぎるくらい分かるので、当然相手も同じだろう」
 と考える。
「それなのに、どうして反対するんだ」
 と考えるだろうが、そういう時に限って、
「立場が逆ならどうなのだろう?」
 と考えた時、
「同じでないといけない」
 と勝手に思い込んでしまうことが、
「近親者としての悲劇だ」
 ということになる。
 この場合は、完全な、
「交わることのない平行線」
 である。
 そこまで言っても交わらないことから、
「無限だ」
 といえるだろう。
 無限が終わるとすれば、それは、
「死」
 というものしかない。
 お互いのどちらかが、この世から消えてしまわないといけないことで、そうなると、結局、
「この世で分かり合えることはなかった」
 という結論に達する。
 だから、
「あの世だったら、分かり合えるのだろうか?」
 と考えるが、
「あの世には、永遠という概念がないのではないか?」
 と思うと、結局またこの世に生まれてきて、同じことを繰り返す。
 つまり、
「前世で出なかった結論」
 というものを、いったん、あの世をまたぐことで、再度、同じスタートラインから繰り返すのではないだろうか?
 ただ、その時は、すっかり前世の記憶というものは、まったく消えている。
 しかし、たまにその記憶が戻ることが、まれにある。それを、
「以前に見たことがある気がするのだが、いつだったか分からない」
 という、
「デジャブ現象」
 として現れるのではないだろうか?
 それを考えると、
「デジャブというのは別に不思議なことではなく、実は、兄弟の片割れも、自分がデジャブを感じたまったく同じ瞬間に、向こうは向こうで、デジャブを感じることであろう」
 というものだった。
 そして、そのデジャブには、兄弟それぞれの意識はまったくつながっておらず、そのデジャブの光景も、あくまで、別の感覚がよみがえってくるのだった。
 また、
「相当昔のことなのに、まるで昨日のことのように感じる」
 という時、逆に、
「昨日のことなのに、まるで相当昔のことのように感じられる」
 ということを感じることがある。
 それは、
「前世を繰り返している」
 ということから、たまに、
「前世に見た記憶を思い出してしまう」
 ということがあるのだ。
 だから、
「前世で見たことが頭をよぎると、昔のことのように思え、逆もあり得ると考えることから、自分の中で、時系列がたまに狂って感じられるのではないだろうか?」
 今回のこの二人は、
「お互いに嫌いで仕方がない兄弟なのだが、それぞれに考えることは同じ」
 ということで、
「どっちが先に始めるか?」
 というだけのことだった。
 これくらい、
「ライバル意識の強い兄弟」
 ということなので、先にされてしまうと、どれほどの屈辱を味わうことになるというのだろうか?
 それを思えば、
「何度はらわたが煮えくり返るような思いをすることになるのか?」
 と感じてしかるべきなのだろうが、なぜか、考えていることを先を越されたとしても、そこまで憎しみや、悔しさを感じることはなかった。
「感覚がマヒしているようだ」
 ということで、その時は少々の苦痛でも、まったく感じないのではないかと思うくらいだった。
「一周回って戻ってくる」
 という感じなのかも知れないな。
 二人は、その考え方の度合いに違いこそあれ、考え方はおおむね同じだったのだ。
 そんな二人が開いた店は、スナック、
「クロノス」
 と言った。
 最初は、お互いに、相手がスナックを開くということも、
「名前がクロノス」
 ということも知らなかった。
 それを知ることになったのは、だいぶ経ってからのことだったが、自分で不思議に感じていたのは、弟の、雄二の方だった。
 雄二が店を開いたのは、
「何かおかしい」
 と感じていた時期だった。
「バーを開きたい」
作品名:正悪の時系列 作家名:森本晃次