数学博士の失踪(前編)
と考えるのが、人間の感情というもので、実際には、
「食物連鎖というものから、これは仕方がないことだ」
と考えるのが、人間の意識というものであろう。
それを思えば、人間の意識の中の大半というのは、
「仕方のないこと」
ということでの、諦めというものが多分に含まれていると言えるのではないだろうか?
実際に、病気になったりすると、人間は自分の肉親や仲間が死ぬことに対して、悲しくなるというものである。
それは、
「情が移った」
ということであろう。
しかし、実際に、それほど中のいいという訳ではない人は、
「気の毒だとは思うが、仕方のないこと」
として、死というものを意識として受け止めるだけということになるのだ。
同じ、
「死」
というものに対して。相手に対しての立場が違えば、それが、感情にもなれば、意識にもなるということである。
そんな人間が、一つの現象に対して、
「意識であるか、感情であるか」
ということを共存しているというのも、あり得ることではないだろうか?
もちろん、そこに、
「恐怖心」
などというものが存在すれば、それこそ、昔の祈祷のように、未知なものは、
「神がかかわっている」
ということを感じることで、感情として受け入れることになると言えるのではないだろうか?
そんな思いを持って、感情として鏡というものを感じると、それを興味として感じる人と、
「研究材料」
と考える人の二つに分かれる。
研究材料として感じるということも、そこに感情というものがあり、
「問題なのだ」
という意識を持つということが必要になる。
つまり、研究材料として考える人は、一つのことに対して、
「感情だけでなく、意識としても持つことができなければ、探求心が湧いてくるわけはないだろう」
ということである。
だから、今では、心理学者と呼ばれる人が、この、
「反転する鏡」
ということに対して、いろいろな説を呈している」
たとえば、
「鏡はこちらを映し出すものだから、本来であれば、背中から見ているものが、錯覚を感じる」
ということで、あくまでも、
「背中から見ていることの錯覚」
と考えるというものだ。
実際には、
「それが最有力」
ということのようだが、もっと他に生まれれば、また違ってくるのだろう。
有力ではあるが、決定的な証拠のようなものが出てきているわけではないことから、
「定説ではない」
ということになる。
そもそも、心理学というのは、その実際の考え方というものが、提唱されないわけなので、決まった考え方を証明するというのは難しい。
たくさんの説がある中から、一番適切と考えられるものを選ぶという作業が、定説につながるということになるのではないだろうか?
それを考えると、
「鏡の魔力」
というのは、
「合わせ鏡」
などと同じく、
「結論として証拠になる一つの考え方」
というものがあり、それが、
「数学的なものに近い」
と考えられるのではないだろうか。
それが、
「限りなくゼロに近いもの」
ということであり、
「無限という発想」
というものなのではないだろうか?
この、
「鏡の反転」
というものに、数学的な発想は出てきていないということで、あくまでも
「仮説」
としていろいろ言われるだけで、定説というものが出てくるわけではない。
そうなると、
「定説というものを作るためには、数学的な発想というものが、必要になってくる」
ということになるだろう。
まどかは、
「父親が数学博士だから、娘も数学の才能があるだろう」
という、
「浅はかともいえる考え方」
というのが大嫌いだった。
それこそ、
「愚の骨頂」
と言えるのではないかと思えることで、
「底辺の考え方」
ということと、
「そんなことを考えるやつがいるのが人間ということで、そんな人間の仲間である自分が、果たして心理学を志してもいいのだろうか?」
という思いに至っているといってもいいだろう。
それが、まどかの、
「性格」
というものであり、それが、感情として現れたということを思えば。
「性格というものは、感情から生まれるものではなく、自分の意識から生まれるものではないだろうか?」
と感じるのだ。
それこそが、
「潜在意識に近いものだ」
ということになると、考えるようになっていたのだ。
待ち合わせ
そんなことを考えていると、そこに、待ち合わせをしていた遠藤探偵が現れた。
遠藤探偵は、何を考えているのか、前の日のように、含みを感じさせるものはなく、どちらかというと、無表情ということであった。
相手が無表情ということであれば、そこに、恐怖心のようなものを感じるというのは、まどかにとって初めてのことではなかった。
むしろ、
「父親にそういうところがある」
ということから感じたことであった。
そう、
「まったく自分の考えを表に出さない。相手に知られることが自分にとって一番危険だということを感じる」
というようなものだったのだ。
「お父さんで慣れている」
というものの、それが他人ということになると、自分でもびっくりしてしまう。
実際に、父親というものが、自分にとって、どういうものであるかということを、今回の遠藤探偵と出会うことで感じたということであった。
遠藤探偵が現れても、会話らしいものはなかった。それこそ、
「心ここにあらず」
と言ったところであろうか。
会話の中心はおのずとまどかの方になり、考え込んでいるのか、声を掛けると、急に我に返ったかのようになって驚きの声を上げる遠藤探偵であった。
「何を考えているのですか?」
ということであるが、
「それは、まどかさんが、想像もつかないこと」
ということであった。
実際に、その場で話をしていても、らちがあかないということで、そそくさと喫茶店を出て、問題の、
「バー「メビウス」
に向かうことになった。
遠藤探偵の足は、最初こそ、順調であったが、次第に、その足並みが少しずつずれてくるかのように感じられた、
そこに見えているのは、
「まるで、酒に酔って足踏みをしている」
という感じだ。
前を向いて歩いているのに、その先に見えているものは、まるで後ろ向きのようだ。。
ということで、これこそ、
「上下が反転しない鏡の発想」
といってもいいだろう。
実際に、前を見て歩いているとして、自分が進んできた道を後ろを振り返ってみると、
「こんなにも歩いてきたのか?」
ということを感じさせるというものであった。
どれほどの道のりを歩いてきたのかということを感じると、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
という言葉を思い出した。
実際には、少し意味が違って解釈されるものなのだが、この時の感情というのは、まさにそれにふさわしいものだった。
表現というものは、その時々で違ってもいいのだろうが、本当は、
「その場に適した言葉がある」
作品名:数学博士の失踪(前編) 作家名:森本晃次