記憶喪失の正体
と思うと、
「泣き寝入りするしかない」
と思っている人もいるだろう。
「あの上司だったら、逆恨みして、殺されかねない」
と、それこそ、
「ストーカー被害に遭っている」
と感じている人や、
「実際にストーカーだ」
という上司だっているに違いない。
それを考えると、
「ストレスやトラウマのようなものが蓄積される」
ということになり、昔と違って、
「相談相手がいない」
という孤独感が、一番、今の精神疾患を生んでいるということになるのかも知れない。
だからこそ、今の時代は、
「精神疾患」
という言葉で一括りにされ、
「精神異常」
さらには、
「精神病」
という言葉を使うことは少なくなったのだろう。
「昔の精神病」
というと、
「差別対象」
でもあった。
今では、
「放送禁止用語」
ということで、ここでは書けない言葉が普通に言われていたが、
「昔の昭和の時代に制作された番組で、そんな言葉を使っているから、再放送ができない」
というのも多かったりする。
ただ、それは「言葉だけに限ったことではなく、
「実際に学校でも馬鹿にされた」
ということであったり、
「親が、あの子と遊んではいけない」
ということで、
「子供に差別意識を植え付ける」
ということが多かった。
それこそ、昭和の時代の差別問題というのは、このような、
「精神病患者」
に対しての問題であったり、
「部落問題」
ということで、
「居住地」
の問題だけで、差別を受けたりした。
今の時代には、そんな部落問題と言われるようなものは、ほとんどない。
(一部の地域には残っているということであるが)
精神病というのは、今ではあまり言われなくなったのは、
「幻聴、幻覚」
と呼ばれる、いわゆる、
「精神病」
というものを、
「重度な精神疾患」
という言い方をするからなのだろうか。
どうしても、
「精神病」
という言葉を聞くと、
「差別用語のように聞こえる」
と感じるのは、無理もないことなのかも知れない。
実際に、昭和の時代には、
「精神病」
という言葉が、
「差別の対象」
ということにされたのだからである。
それを思えば、
「目に見えない、プレッシャーやジレンマ。さらには、トラウマ」
などというものが、その人に蓄積されることで、
「精神が、さいなまれていく」
ということになる。
これは、精神病とは違い、明らかに、
「社会が与える、現代における病気」
というもので、
「精神病というものが、差別の対象だった」
という時代とは違う意味で、
「大きな社会問題だ」
といってもいいだろう。
この病院にやってきた患者は、博士が見たその時に、
「この患者は、記憶喪失だ」
ということはすぐに分かったという。
ただ、その記憶喪失の原因が、さすがに一目見ただけでは分からなかったことと、
「紹介状をもってこの病院を訪れる」
ということは、一種の、
「正規のルートでやってきている」
ということからも、
「門前払い」
ということだけはしてはいけないということになるだろう。
それは当たり前のことであり、それ以外のルートとしては、
「警察からの依頼」
ということもある。
例えば、
「家族などが、何かの事件にまきこまれ、そのせいで、精神を病んでしまった」
ということから、
「入院が必要」
ということで、運ばれてくることもある。
普通に、一般病棟で過ごせるくらいの、
「精神疾患」
の患者もいれば、
「放っておくと、自殺をしたり、どこかに逃亡する」
ということもあり得る患者には、
「それなりの病室を用意する必要がある」
といえるだろう。
というのは、
「もし、脱走すれば、妄想癖などから、他の人を殺してしまう」
ということになりかねない。
それは、
「自分が分からなくなってしまい、極度の猜疑心から、まわりが皆敵に見えてくると、殺人事件に発展しかねない」
ということになり、
「預かった人間に責任がある」
ということになると、それこそ大変なことになる。
もちろん、
「保身」
ということも大切であるが、
「医者として、患者を預かっている」
という立場である。
そんな立場で、
「警察に逮捕でもされてしまう」
ということになると、患者はどうなるか?
ということだ。
これが、普通の外科や内科ということであれば分かるが、患者一人一人がデリケートな症状で、
「主治医でなければ分からない」
あるいは、
「どう対応すればいいか?」
ということから、
「先生が拘束されるということはあってはならない」
ともいえるだろう。
当時は、まだまだ精神病の先生というのも、絶対数が少なかっただろう。
しかも、精神病患者というと、一人一人の症状は、ひどいものである。
「目を離してはいけない」
という人ばかりということで、
「それだけ、気を遣わないといけない人が多い」
ということになるのだ。
この患者が、どれほどかは分からなかったが、一緒についてきた、
「石ころのような雰囲気がある付添人」
というのが、博士は気になって仕方がなかった。
博士は、
「佐々木先生」
という人で、当時はまだまだ少なかった精神病の先生の中でも、博士号を取得し、学会でも一目置かれている先生だった。
そもそも、そういう先生が所属している病院ということで、
「警察とも、昵懇ということだったのだ」
というのも、
「当時警察でも、凶悪犯に中に、精神異常者というのが増えてきた」
という話であった。
ただ、
「当時の犯罪というのは、精神異常でもなければ、こんなむごいことはできないだろう」
という犯罪が増えてきていた。
実際に、身体を切り刻んだりと、
「目に見えて犯行現場に異常な精神状態でなければできない」
というような痕を残してみたり、
「犯行声明を、あたかも警察に挑戦することを楽しんでいるかのような犯罪で、警察内部からも、精神異常者でなければ、こんなやり方はしない」
というものもあったりした。
今であれば、
「それも犯人の作戦ではないか?」
ということで、
「プロファイル」
という、犯罪心理学を駆使して、犯人に当たるという部署もあるようだが、当時は、まだまだ
「昭和の警察」
ということで、
「捜査は足で稼いだ情報が一番有効だ」
と言われていた時代で、それこそ、
「人海戦術」
などというのは、主流だった時代である。
政治と絡んでいた李、
「反政府組織」
のような連中が、
「麻薬」
などの海外との取引が絡んだもので、
「海外マフィア」
というものが、その裏側で暗躍しているという時代だった。
今でこそ、犯罪の形態は変わってきたが、それに合わせた捜査方法や、対応部署も、警察内部で、柔軟に対応する時代になってきたといってもいいだろう。
ただ、昭和の時代は、そんな時代ではなく、いい意味でも、悪い意味でも、
「警察というのは、強力な力を持っていた」
といってもいいかも知れない。
それは、警察に限ったことではなく、一般の会社においても同じことがいえるのであり、警察としても、