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記憶喪失の正体

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 その中でも、精神障害というものを、
「精神疾患によって生じる障害」
 ということであるが、基本的には、
「精神疾患と同じ」
 という意味だという解釈もある。
 そして、精神病ということになると、
「その中でも、幻聴、幻覚などをともなう、統合失調症や強迫性障害などの病気」
 ということである。
 そう考えると、昔は、それほど、
「精神疾患」
 という病気を問題にされることはなかったが、その分、
「精神病患者」
 というのは多かった。

                 精神病

 そういう意味で、
「幻聴や幻覚などというものを伴うことで、いわゆる、健常者と一緒にしておくと、健常者に危害を加える」
 と言われ、隔離するということも考えられたりした。
 これは、あくまでも、想像ではあるが、
「当時隔離された」
 というのは、
「伝染する」
 ということが言われていたからではいか?
 と考えていた人もいただろう。
 今であれば、精神疾患患者がこれほど増えたのは、社会において、理不尽なことや、自然災害、あるいは、凶悪化した犯罪などが影響している可能性が高い。
 たとえば、
「地震や、異常気象などによって、もたらされたもので、それが意識の中に刻み込まれ、それが記憶となって格納されてしまったことで、普段は、あまり意識することはないが、何かのきっかけで、その時の恐怖が思い出されるという、
「PTSD」
 などという病気であったり、
 今の時代では、
「パワハラ」
「セクハラ」
 などと言われる、
「ハラスメント」
 と言われる嫌がらせというものが、大きな影響を持っている。
 特に、昭和の時代などでは、今でいう、
「ハラスメント」
 と言われているのは、当たり前のことであり、
「上司の命令は絶対」
 ということであったり、
「男性社員が女性社員に対して、犯罪に当たらないことであれば、少々の言葉でも、別に世間話ということで許される」
 という時代だった。
 それは、昭和の時代までが、
「男尊女卑」
 の時代であり、
「終身雇用」
「年功序列」
 という時代だったからだ。
 確かに、今のセクハラと呼ばれるものは、少々行き過ぎというところもあるかも知れない。
 それこそ、昭和の頃であれば、
「〇〇ちゃん、今日もきれいだね」
 というのは、一種の朝の挨拶という程度の、男性社員からすれば、
「一種の社交辞令」
 ということだったのだが、今の時代では、
「セクハラだ」
 と言われてしまう。
 さらに、この問題には、
「個人情報保護」
 という観点も含まれているかも知れない。
「まだ、結婚しないの?」
 と聞かれたとしても、それは、
「個人の情報をばらした」
 という言われ方もするのだ。
 普通であれば、
「結婚するしないというのは、個人の自由」
 ということからであろうが、それ以上に細かいことをいう人は、
「その人が独身である」
 という
「個人情報をばらした」
 ということになってしまうのだ。
 そうなると、
「社員や部下とコミュニケーションが取れないではないか」
 ということになるのだろうが、
「コミュニケーションなど必要ない。命令であれば、メールですればいいだけのこと」
 ということだ。
 そして、
「分からないことがあれば、指示された人がメールで返し、それでもらちが明かない時は初めて会話をすればいい」
 ということになる。
 それこそ、
「ロボットの会社のようではないか?」
 ということだ。
 実際に、パソコンが普及してきた頃は、こんな感じで、
「これほど、味気ないものはない」
 と思っていたが、今では、それが当たり前ということになっていて、会社では、
「昔は当たり前だった」
 ということがどんどんなくなっていっている。
 例えば、
「社員旅行」
 であったり、
「忘年会」
「新年会」
「花見」
 などがそうであろう。
「俺の酒が飲めんのか?」
 などと昔は言われていたということを言っても、今の若者は、
「そんなバカなことを言っていたなんて」
 と思うことだろう。
 花見に至っては、
「新入社員の最初の仕事が、花見の場所取りだ」
 と、昔言われていたことも、信じられないと思うことだろう。
 さらには、
「年賀状のやり取り」
「中元、歳暮のやり取り」
 昔であれば、
「社内のコミュニケーションとして」
 そして、
「会社員のマナー」
 として当たり前のことと言われていたものだ。
 今はそんなことをしている会社があるとすれば、即刻、
「コンプライアンス違反」
 ということになるだろう。
 もっとも、忘年会であったり、年賀状のやり取りが、普通の社交辞令として、強制力のないもので、個人の自由ということであれば、別に問題ないが、
「忘年会にこないと、部署内で、村八分に遭う」
 であったり、
「上司が、会議をしているところ、会議が終わるまで、平社員は残っていなければいけない」
 なとというのは、許されない。
 今では、
「嫌がらせ」
「苛め」
 ということになるのであった。
  だが、昭和の時代には、それらのことが当たり前ではあったが、それをみんなが、
「当たり前のことだ」
 ということで、
「諦め意識があった」
 といってもいいだろう。
「どうせ、上司に文句を言っても、どうなるものでもない」
 なんといっても、自分の会社だけが、そんなひどい仕打ちをしているわけではなく、それこそ、
「お上に訴えても、睨まれるだけだ」
 ということになる。
 しかも、時代は、
「年功序列」
「終身雇用」
 の時代である。
 少々嫌なことがあっても、歯を食いしばって我慢していれば、
「そのうちに出世して、自分が、今度は上司として立場が逆転する」
 ということ、
 そして、
「このまま反発せずに会社にいれば、首になることもない」
 ということで、
「とにかく、一定期間我慢すれば、それでいい」
 ということになるのだ。
 だから、
「皆、それぞれに我慢の仕方も分かっている」
 若い連中で、上司から迫害を受けている連中は、それぞれに、コミュニケーションが取れる時代だったんで、
「どうすればいいか?」
 ということを話し合いもできるし、
「上司が若い頃がどうだったのか?」
 というアドバイスをくれる人もいただろう。
 しかし、それが、時代が進んでくると、
「確かに、コンプライアンス違反」
 などということで、
「セクハラ」
「パワハラ」
 というのはいけないといわれるようにはなってきているが、それでも、会社の中でも、何人かは、
「まだまだ昔の考えが残っている人もいて、気が弱い社員に対して、ハラスメントを繰り返している」
 という人もいるのだ。
 その時代になると、
「コミュニケーション」
 というのを取れない人が増えてきて、特に、
「苛め」
 というものを受けている人は、
「誰にも相談できず、一人で苦しんでいる」
 という人も少なくない。
 会社によっては、
「コンプライアンス違反をしている上司や同僚を摘発してください」
 といっているところもあるが、それまで受けてきた理不尽なことを考えると、
「へたに告発して、あとで何をされるか?」
作品名:記憶喪失の正体 作家名:森本晃次