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記憶喪失の正体

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「メカニズムが分からないからこそ、解決法を見つけるところまでいかないわけで、だからこそ、難病だといわれるのだろう」
 ということである。
 だから、実際には、
「まだ、名前もできていない」
 というほど、最近になってその存在が確認されたものもある。
 これは、
「前からあって、その存在に気づかなかっただけ」
 というものなのか、それとも、
「今の時代だからこそ、存在する難病」
 といえるものなのか、
「そのどちらにも言える」
 ということになるのかも知れない。
 それを考えると、
「難病というものは、見つけるだけでも大変なのに、その一つ一つをつぶしていくというのは、それこそ、いたちごっこを繰り返しているだけ」
 ということになるのではないだろうか?
 だからこそ、
「覚悟と努力が必要だ」
 といえるだろう。
「難病はなくすことを最終目的とするが、問題は、難病を見つけることにある」
 ということから、
「いたちごっこになる」
 ということを自覚しておかないと、その堂々巡りに、気が滅入ってしまい、気力が折れてしまうことになりかねないということである。
「同じことを繰り返す」
 ということが、
「実は精神疾患」
 というものに結びついてくるということになる。
 同じところをくるくる回っていると、次第に抜けられないことを見抜くと、
「いずれは力が抜けてしまい、そのままおぼれ死んでしまう」
 ということになるだろう。
 まるで、
「安楽死をさせてもらえない状態で、戦い続けなければいきえない」
 ということに、耐えられるだろうか?
「死ぬことも、生きることもできない」
 ということを打開するには、どうすればいいかというと、
「一度死んで、蘇生する」
 ということが一番ではないかということであった。
 そのカギを握っているかも知れない人物が、今回の問題ということで浮上してきた。
「沢村」
 という人物ではないか?
 そして、そのカギを握っているのが、
「岸田」
 という人物である。
 この岸田という人物は、博士の前で、最初は一言もしゃべらず、
「何を考えているのか分からない」
 という様子で、最初は、
「記憶喪失になっているのは、この岸田という男ではないか?」
 と感じたほどだった。
「記憶を失っているのが、沢村の方だ」
 と気づいた瞬間、
「岸田という男は記憶喪失ではありえない」
 と感じたのだ。
 そう思ってくると、沢村が入院することになり、岸田が、ほぼくっついている状態となったことで、病院の人間も、岸田に対して、意識を深め、好奇心をもってみるようになると、最初、佐々木博士の前で見せた態度と打って変わって、
「人懐っこさ」
 というのを示したのだった。
 その
「人懐っこさ」
 というのは、一見、
「こいつはバカなんじゃないか?」
 と思えるような雰囲気だった。
 話していることが辻褄が合っているようには見えないし、聞いていても、
「皆と同じことをただ繰り返しているだけの、実に面白くない人物」
 という印象が強いのだった。
 実際に、この岸田という男、
「話をするうちに、バカなんじゃないか? って思えてくるんだよな」
 といっている人もいる、
 特に、看護婦などはその代表で、沢村の部屋の世話をしている看護婦に、
「川越るい」
 という人がいるのだが、彼女は、岸田のことを、明らかに、
「バカだ」
 と思っているのだった。
 るいは、どちらかというと口数が少ない看護婦だった。
 それは、
「この病院においても、口数が少ない」
 と言われていて、そもそも、この病院の看護婦は、先生を含めても、あまり口数が多い方ではない。
 患者や、先生のレベルなどを考えればわかるというもので、その分、
「看護婦のレベルも、それなりに高いのだ」
 というのは、
「レベルが低いと、ここではやっていけない」
 ということで、そのレベルというのは、
「先生のしようと思っていることを考え、先読みすることができるレベル」
 ということであった。
 そこには、
「頭の良さ」
 ということは関係がない。
 しいていえば、
「頭の回転の速い人」
 ということになるであろうか。
 そういう意味では、
「川越るいという看護婦は、この病院にふさわしい」
 といえるだろう。
 しかも、一番相性が合うということだったのだ。
 彼女は、最初は、そんな怪しさを感じてはいなかったが、自分が尊敬する、
「佐々木博士」
 が、岸田という男に話を合わせていたり、まるで信じているかのような様子を見ていて、いら立ちを感じていた。
「博士に限って、そんなことはないだろう」
 と思っていて、
「岸田という男が、どれほどいい加減なやつかということが分かってもよさそうだが」
 と考えたのだ。
 彼女から見て、
「岸田という男のどこが悪いのか?」
 ということであるが、
 それが、
「完全に、まわりに媚びを売っている」
 ということと、
「それを分かってやっている」
 ということであった。
「わざとでもなければ」
 そして、
「分かっていない」
 ということであれば、
 その理屈を考えないでもないが、
 理屈どころか、
「理由めいたもの」
 というのも浮かんでこないことから、彼女には、どうしても分からないと思ったのだ。
 実は、これは、
「博士にとっては、実に都合のいいこと」
 ということであり、
「彼女がそのことに一切気づいていない」
 ということが、博士とすれば、
「願ったり叶ったり」
 ということであった。
 なぜなら、博士とすれば、
「自分がほとんど把握できている彼女が、自分の理解できていると思っている岸田のことが分からない」
 ということは、
 岸田の問題ではなく、
「博士の方で、巡らしている計画が、うまくいっている」
 ということになるという証明でもあった。
「岸田というのは、あくまでも、スポークスマンということであり、あいつのいっていることは、ただ当たり前のことを言っているだけ」
 ということで、博士とすれば、
「裏もあれば表もある」
 というのが、普通の人間なのだが、
「この岸田という男にはそれがない」
 ということになるのだが、
 だからといって、
「表だけ」
 というわけではない。
「この男は裏しかない」
 ということだ。
 だから、彼女には、
「岸田という男の正体が分からない」
 ということになるのだ。
 これは、彼女だけでなく、ほとんどの人が、
「表のない人間などありえない」
 と考えている。
 なぜなら、表しか人は見えていないからだ。
 だから、裏しか見えないということは、
「存在していて、見えているのに、その存在を確認することができない」
 そう、
「石ころのような人間だ」
 ということの正体はここにあったのだ。
 だから、彼女には、その存在は見えているのだが、正体が見えない。
 それは、誰でもそうなのだろうが、彼女の場合は、
「人間には、裏表が存在する」
 ということを、ハッキリと理解している人には、岸田のような、
「表のない男」
 という存在がありえないということになるのであった。
 だから、
作品名:記憶喪失の正体 作家名:森本晃次