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症候群と秘密結社

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「それが何を意味するものなのか?」
 ということは、まったくわからなかったのだ。
 医者は、次第に貧乏ゆすりのようなものをしているように感じた。
 それは、
「自分のポーカーフェイス」
 を保つための、精神的な代償が、
「貧乏ゆすりというものをさせている」
 ということで、
「この貧乏ゆすりをしているという感覚は、医者にはないのかも知れないな」
 と感じたのだった。
「医者というものは、自分たちにとって、異世界の人間ではないか?」
 ということすら考えたことがあった。
 それは、
「警察官だから」
 ということではなく、
「普通の一般人」
 ということで見た時、
「医者というのは、特殊な部類にはいる」
 と感じたからだった。
 確かに医者というのは、
「特殊な知識と技術を必要とする」
 ということであり、
「警察官には、そんなものはない」
 と思っていた。
 警察官にあるのは、
「市民の財産と生命を守る」
 という責任感だと思っていた。
 いわゆる、
「勧善懲悪の気持ち」
 というものであるが、実際に警察官というものになると、その理念や信念というものは、
「あっという間に砕け散った」
 といってもいいだろう。
 そんな警察官が、市民を守るというのは、本来であれば、
「ポリシー」
 であり、
「スローガン」
 というものである。
 それは、医者にもあるだろう。
 特に、
「生命を守る」
 ということは、職業の垣根を越えて、
「当たり前のこと」
 といってもいい。
 警察の場合は、
「被害者になれないようにする」
 ということ、これは、
「患者を作らない」
 ということであり、医者とすれば、
「意図せずに患者となってしまった人間の命を、なんとか救う」
 というところである、
 場合によっては、
「警察の力で、患者にならずに済んだかも知れない」
 という人もいるだろう。
 たとえば、
「交通事故に遭った」
 という人がいて、その人を轢いた人間が、実は、
「飲酒運転だった」
 ということで、
「酒さえ飲んでいなければ、轢かれることもなかった」
 といっていいかも知れない。
 そんな状態であれば、
「飲酒運転撲滅」
 というキャンペーンを展開しているのだから、確かに、
「酒を飲んだというのは、本人の責任であり、警察が悪いわけではない」
 ということになるが、結果として、世間では、
「警察が防げたあのでは?」
 という目で見る人もいれば、
「間違いなく、飲酒運転の被害者」
 というのが、一人はいるという記録が残ることになるのだ。
 それは、
「警察としての落ち度」
 と言われても仕方がない。
 なんといっても、
「警察は公務員」
 ということであり、
「税金で飯を食っている」
 というのは事実であり、
「警察には、捜査をする上での、一定の国家権力が与えられている」
 というのも事実だ。
 だからといって、
「警察官がスーパーマンではない」
 というのは当たり前のことで、
「事件や事故が未然に防げる」
 というのであれば、警察に対しての、不満も文句もないはずだ。
 しかし、
「何かあったら、警察が言われる」
 というのも、宿命のようなものである。
 しかも、警察には、
「上下にも、横のつながりにも、大いなる確執があり、手かせ足かせ、それぞれに、身動きが取れないという性がある」
 といってもいいだろう。
 警察官というのは、
「スーパーマンだ」
 と思われているとしても、それは理不尽であり、逆に、
「どうせ何もしてくれない」
 と思われたとしても、こちらも理不尽だ。
 しかも、その両方とも、
「思われても仕方がない」
 というところがあり、本来であれば、
「ス^パーマン」
 であるべきではないかといってもいいだろう。
 本来であれば、それだけの権力を与えるというのが正解なのだろうが、そんなことをすれば、市民の自由や権利はないに等しい。
 ということになる、
 つまりは、
「スーパーマン」
 というのは、権力を手中にしているというだけではなく、それに伴うだけの、実力というものを備えていないといけないのである。
 だから、
「能力がないのであれば、万能の力を与えるわけにはいかない」
 ということで、
「いざという時に、誰も、被害者を助けることはできない」
 ということになるのだ。
 まるで、
「専守防衛しかできない」
 という、
「憲法九条のようではないか?」
 といえるかも知れない。
 ただ、何がつらいといって、目の前で生命の危機に晒されている人間がいるのに、その人を助けることができない。
 つまりは、
「助けようとすると、自分が犯罪者になってしまう」
 ということになるというわけだ。
 これは
「警察のジレンマ」
 と言ってもいいだろう。

                 記憶喪失

「医者のジレンマ」
 というものが、警察官の、
「理不尽さ」
 であったり、
「無念な思い」
 というものと、
「天秤に架けることができない」
 と言われるようなものがある。
 それが、いわゆる、
「安楽死」
 というものであり、
「尊厳死」
 と言われるものだ。
 海外によっては、
「条件に応じて、認められているところもある」
 というが、
「日本の場合は、認められていない」
 今では少しずつ、その条件というものが整備され、認められるというような動きも見せているが、まだまだ先のことであり、
「認められるものではない」
 ということなのであった。
 安楽死というと、
「事故などで、命の危険を乗り越えて、命が助かった」
 ということであるが、その後遺症からか、
「手術は成功したが、意識が戻らない」
 ということであった。
 交通事故によって、頭のどこかが損傷したことで、脳の機能が働かない。
 それによって、
「死んだわけではないが、意識が戻らず、声明を維持するために、機械を使う」
 ということで、
「生命維持装置による延命」
 というものしかないということだ。
 実際には、その費用はかなりのもので、その負担は、
「家族に」
 ということになる。
 実際に、国家や自治体が、どれほど補助してくれるのかということは分からないが、
「いつ気づくか分からない」
 しかも、
「本当に気づくのか」
 ということも分からないということで、家族とすれば、
「やりきれない」
 という気持ちになったのは当たり前のことだといってもいいだろう。
 実際に、
「植物人間」
 になった人の意識が回復することがどれだけあるのか?
 そして、
「意識が戻らないまま、結局どうなってしまうのか?」
 ということは、あまり分からない。
 情報が流れてこないというのか、実際にそのようになったとしても、結局は、
「家族が最後まで面倒見るしかない」
 ということであろう。
 中には、
「サラ金に借金をして、犯罪を犯す」
 という人も少なくはないだろう。
 強盗などをする、
「切羽詰まった」
 という人は、そのほとんどになるのか、
「サラ金に借金」
 ということが多いだろう。
 しかし、その借金の理由に、
「家族の医療費」
 ということも少なくはない。
作品名:症候群と秘密結社 作家名:森本晃次