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症候群と秘密結社

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「何度も、市町村合併という話があった」
 ということであるが、この集落には、話が持ち上がるだけで、具体的な話にはならなかったのだ。
 というのも、
「あそこを手に入れても、別に得にはならない」
 ということから、話が上がることはなかった。
 この町は、
「合併などしなくても、やっていける」
 という自負もあった。
 幸運だったのは、
「都市開発のために、国家や自治体から買収を掛けられない」
 という土地だったということだ。
 危ないことがなかったわけではないが、それは、
「幹線道路を作る」
 という時のことであったが。
「この町の中を通すには、土地としては使えない」
 という話だったのだ。
 そもそも、人が住むにしても、急こう配だったりのところなので、
「もし、ここに道路を通すということになれば、かなり、山を切り開く必要がある」
 と言われたが、幸いなことに、
「山の反対側を通せば、ほとんど、開発する必要がない」
 と言われた。
 しかも、実際にきちんと設計図を敷けば、
「きれいに直線の道を作ることができるではないか」
 ということで、この村を買収して、道を通すという計画もなくなったのだった。
 そもそも、この町は、村の時代から、
「自給自足」
 ということに長けているというところであった。
 そういう意味で、ご先祖様がこの土地に住み着いたのも、
「まんざら偶然ではないのかも知れない」
 ということで、
「神様の存在」
 というものを、しっかり信じる力を感じていたのだった。
 そもそも、この村に伝わる、
「悪代官を懲らしめてくれた救世主」
 というものの存在も、本当は、ドラマや講談などで知られる、
「水戸黄門」
 のようなものだったのかも知れない。
 ただ、実際の、
「黄門様」
 というのは、
「諸国漫遊はしていない」
 というではないか。
「ではなぜ、あのような伝説が生まれたのか?」
 ということを考えると、
「本来は、似たような人がいて、その人を神格化する」
 ということのために、
「水戸黄門漫遊記」
 というものが生まれたのではないか?
 ということだ。
 確かに、水戸黄門の話は、
「時代劇にするにはちょうどいい」
 ということで、人気番組となったわけだが、その伝承こそ、まるで、
「おとぎ話」
 のようではないか。
 そもそも、おとぎ話と呼ばれるものも、
「最初から一つの決まった形の話だった」
 というわけではない。
「全国にある似たような伝説を調べて、一つの話にすることで、それを、
「おとぎ話」
 とすることで、寓話のようにしたのが、今も残る、
「おとぎ草子」
 というものではないだろうか?
 特に、
「桃太郎」
 や、
「「浦島太郎」
 などの話は全国にあり、
「鬼が島ではないか?」
 と呼ばれるところも全国にたくさんある。
 また、以前、
「世界的なパンデミック」
 というものが起こった際に、
「伝染病に対しての、訳病態さん」
 ということで、
「ご利益がある」
 とされた、
「アマビエ伝説」
 というのもその一つだ。
 いわゆる、
「諸説あり」
 ということになるのだろうが、
「一番信憑性がある」
 ということで言われているのが、
「熊本沖」
 の話である。
「港の沖に現れた妖怪」
 というのが、
「この村は、これから平和な村となるが、もしいずれ疫病が流行った時は、自分の姿を神に書いて、それを皆に見せよ」
 という話があったということだ。
 実際に、それでどのようになったのかということまでは定かではないが、それが、
「伝染病の時の厄除け」
 ということで、実際に、パンデミックの際には、
「アマビエ様」
 ということで、もてはやされたという。
 そのような
「アマビエ伝説」
 のような話は、実は全国にあるということであった。
「微妙に違うものから、こじつければ、同じものと言えないわけでもない」
 と言われるようなものであり、そんな伝説は、昔の村には、
「一つくらいはあったものだ」
 と言われてきた。
 実際に、この村にも、伝説的なことは結構あった。
 それをすべての人が信じているというわけではいのが、他の村であったようだが、この村人は、時代を重ねていく中でも
「伝説を疑うものは誰もいなかった」
 という話である。
 別に、
「伝説を信じない者は、極刑に処す」
 などという、昔はよくあったといわれる、
「村々の掟」
 というものがあったわけではない。
 あくまでも、
「信じる信じないは、個人の自由」
 ということであったが、皆信じていたのだ。
 というのは、実際に、子供の頃、まだ伝説というものを理解できない時、
「必ず、信じないといけない」
 というような目に
「一度は遭う」
 ということで、誰もが、
「信じないわけにはいかなかった」
 ということであった。
 自分で、そのような目に逢うのだから、一度信じてしまうと、二度と疑うということはない。
 それが、子供時代のことであれば、特にそうで、逆にいえば、
「子供が信用しないわけにはいかない」
 ということが起こること自体が、
「この村特有の伝説」
 ということで、誰も、信じない人など出てくるわけはなかった。
 それも、悪いことではない。
「伝説を信じることで、村が助かった」
 あるいは、
「その人が助かった」
 ということが、さらに、
「伝説」
 ということで広がっていくことから、
「伝説に関しては、この村で、疑うものなど出てくるはずがない」
 ということだったのだ。
 そんな伝説と、さらには、
「あくまでも、この村は他の村とは違う」
 という意識からか、他の村から見れば、
「あの村とはかかわりにならない方がいい」
 という、
「伝説というものを信じるのは悪いことではないが、あまりにも信じすぎる」
 ということから、危険分子扱いを受けていた。
 だからといって、
「お上の征伐」
 などというものがあれば、
「捕まえた人間が、非業の死を遂げる」
 ということも伝説として受け継がれていることから、
「お上といえども、手を出せない」
 ということであった。
 そんな伝説の村が町になった。
 この町は人口が少ないのは、前述のように、
「人が住める範囲が少ない」
 ということから、ほとんどが、
「山間部」
 ということになる。
 それ以外は、少しずつ昔から開拓してきた土地を田畑にしたということで、この町は、
「自給自足の町」
 ということであった。
 今でも、自分たちで作った農作物を、自分たちで食べたりするものがほとんどであったが、昭和の終わり頃、このあたりに食物調査にやってきた、大学生のゼミ合宿の人たちによって、
「このあたりの食べ物に注目している」
 ということで、
「大学が乗り出しての研究」
 ということになり、結局それが良質であるということが分かると、一気に全国で有名になったのだ。
 まだネットが発達している時代ではなかったので、一気に人気爆発というわけではなかったが、その間の時間、村の方でも、
「市場流通の準備ができた」
 ということで、話題になり始めた頃には、増産にも成功し、市場に売られるようになってきた。
作品名:症候群と秘密結社 作家名:森本晃次