覚悟という錯誤
落ち着いているふりをしているくせに、やたらをまわりを意識する人、そういう人は、待合室の扉が開いただけで、すぐに反応する。そういう態度を見ているのも楽しいものだ。
だから、最初こそ、待合室では手持無沙汰だったことで、
「早く時間が経たないか」
と思っていたが、実際に、プレイ時間に入ると、
「あっという間だったような気がする」
と思う。
そんな時、
「待合室で、早く時間が過ぎてくれないか」
と思ったことが、
「逆の作用をもたらしたのではないか?」
と感じるのだった。
というのは、
「自分の考えていることが、時間差で現実になるような気がする」
と思うからだった。
だから、待合室で感じたことが、実際にスタッフに呼ばれて、
「いよいよだ」
と思った瞬間から、
「その時間差というものが作用する」
ということに気づいたのだ。
実は、
「もっと前から知っていたような気がする」
と感じるのであるが、
「果たして、本当にそうなのだろうか?」
と思えば、次第に、自分の性格の中にある、
「本質めいたもの」
というのが見えてきたのだ。
そのことをその日思い知ったからだろうか、
「何やら、今日は普段と違う気がする」
と、その日のどこかで気づいたのだ。
それを再度意識したのが、店を出てから、これもいつものことだが、例の公園に行って、灯台の下で、小休止するのだが、その時に起こった、
「普段と違うこと」
というのを感じた時、
「今日は最初から、いつもと違うと感じていたのではないか?」
と思ったのだった。
それが、
「時間差」
というものであり、その日から、
「自分が自分ではなくなった」
という気分になるような予感がしていたということであったのだ。
拾得女子
公園は、思ったよりも広いところであった。
年に何度か、この公園では、休みの日であったり、祭りの時など、ここで、出店が出たりと、賑やかなことが多かった。
なかなか普段は、ソープ街にくる人に気を遣ってか、このあたりに入り込む人は、店を利用する人だけしかいなかったのだが、最近では、
「開かれた街」
ということをイメージしたいということで、祭りを積極的に行っているのだという。
最初こそ、店に来る客が、
「他の人と顔を合わせるのが嫌だ」
といっている人もいたようだが、最近では、そういうこともない。
実際に、シフトが昼間で、勤務が終わった店の女の子が、出店に立ち寄って、それこそ、楽しんでいる姿を見ると、客の方も、
「どこか、ほのぼのした感じがするな」
ということで、ソープ利用客も、ちらほら出店に立ち寄ったりしている。
女の子の中には、その日、和服を着てくる女の子もいて、
「いかにも、夏祭り」
という雰囲気を醸し出している。
そんな出店も、軒を連ねていて、それが、数十軒近くあることから、
「この公園って、こんなに広かったんだ」
ということと、
「普段はあんなに殺風景なのに」
という思いとが交錯し、雰囲気が変わって見えるのだった。
だから、最初こそ、この公園は、店の女の子の利用だけが目立ったが、客の中でも、ちらほら利用しているのが見えるのであった。
この公園は、昼間来ると、明るさで、汚いところばかりが目立つのだが、夜はネオンサインに眼を奪われて、そこまではない。
しかも、横を流れる川も、少し下流に降りれば、そこには海があることから、風が吹いている時など、潮風が吹いてきて、
「海の香り」
というものを感じることができる。
しかも、それが、
「波のない川」
ということであり、その両岸には、ネオンサインが映し出されているという、
「いかにも風流だ」
と思える感覚は、しばし、時間を忘れさせ、店に入る前は、
「これから別世界だ」
という思いを感じさせ、逆に店から出てくると、
「余韻に浸りながら、ゆっくりと現実に戻ることで、その日の疲れが心地よいものに戻してくれる」
と感じさせられるのだ。
男というのは、
「行為が終わった後というのは、けだるさだけが残り、それこそ、罪悪感にまみれて、いやな気分になってしまう」
という、いわゆる、
「賢者モード」
というものに陥ってしまうのだ。
しかし、ここでしばし、潮の香りを感じながらたたずんでいると、その賢者モードも次第に心地よさに変わってくる。
普段であれば、潮風というのは、あまり好きではない。
というのは、
「湿気を帯びた気持ち悪さ」
しか残らないと思っていたからだ。
しかし、
「賢者モード」
の時は、それが逆の作用をもたらしてくれるからなのか、
「風が、心地いい」
と思わせる。
「お風呂に入ったことが大きいのかも知れないな」
と感じた。
だから、
「払ったお金がプレイ時間だけのお金じゃないんだ」
と感じるようになり、そもそも、決まったプレイ時間だけではなく、予約をしてから、実際のプレイ時間、そして、その後の、公園での心地よさから、現実に戻るまでの時間。すべてに当てはまると考えると、
「時間をお金で買った」
と思うと、悪い気はしなかった。
だから、待合室の時間も、今では、
「早く過ぎてほしい」
とも思わない。
逆に、
「この時間もプレイ時間の前戯みたいなものだ」
といっていいだろう。
そんなことを考えながら、その日も、プレイ後の公園の灯台の横でたたずんでいた。
この時間を、
「まるでシンデレラのようだ」
と思うようになっていた。
別に、
「午前0時」
というものがキーポイントではなく、自分の中で、
「今日はいい一日だ」
と納得し、現実に戻った時が、
「ここでの、シンデレラタイムだ」
と思っていた。
「そもそも、シンデレラの話も、切り抜いて考えれば、いくらでも、想像力を膨らませることができる」
と考えられた。
「この思いも、最初からあったのかも知れない」
と感じた。
初めて、先輩に連れてこられ、最初にここに対して、
「他にはない、何か新鮮なものを感じる」
と思ったのを、いつもここに来るたびに思い出していた。
そして、それが最近になって、プレイ後も来るようになったことで、
「シンデレラタイム」
という意識が、頭の中ではっきりしてくる。
とその時同時に、
「前から感じていたことだったんだ」
と思うのは、この時だけではなく、いつの頃からか、
「自分の考え方」
あるいは、
「感じ方」
というものの中に潜在しているものだと思うようになったのだった。
その日は、時間的に、10時半くらいであっただろうか。
あまりゆっくりしていれば、帰りのバスがなくなると前は思っていた。
しかし、最近では、
「いいや、元々、時間をお金で買ったんだから、今日くらいは贅沢して、タクシーで帰ってもいい」
と思うようになった。
他の人であれば、
「贅沢したんだから、それ以外は節約しないと」
と思っているかも知れないが、坂上は逆だった。
「今日は最初から贅沢をする日だ」
ということであるから、
「時間をお金で買った」
と考えることができると思ったのだ。