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覚悟という錯誤

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 先輩に連れてきてもらった時も、先輩がそう言っていた。
「俺はこの灯台を見た時、このあたりが無性に気になってな」
 といっていた。
 そもそも、
「先輩は歴史が好きだった」
 という。
 この灯台ができたのは、どうやら、江戸時代中期だったということだから、昔の、
「遊郭」
 と呼ばれるものの、名残りではないだろうか。
「何か気になることがあれば、調べてみないと気が済まない」
 という坂上は、
「遊郭の始まりが、安土桃山時代」
 ということを聞いて、
「ふーん」
 と感じた。
 先輩は、
「戦国時代が好きだった」
 ということである。
 ただ、遊郭というと、どうしても、江戸時代以降という発想であり、しかも、
「江戸時代の花」
 ということになると、
「元禄文化」
 を思わずにいられない。
 だから、
「遊郭が、それ以前からあった」
 ということになれば、先輩の造形も深いのではないか?
 と考えたのだ。
 ただ、それは、坂上にとっても同じことで、
「遊郭というのが、自分が好きだった時代をさかのぼる」
 と思うと、気になるのもっ無理もないということである。
 そもそも、坂上が好きだったのは、元禄時代あたりであった。
 学生時代には、
「歴史サークルに入っていて、自分なりに調べた元禄文化というものを、機関誌に載せた」
 という経験があった。
 もちろん、最初は自分の好きな、
「元禄文化」
 であり、次が、
「安土桃山文化」
 だったのだ。

                 遊郭

 この時代には、
「天守を持った城」
 というものが作られた。
 そもそも、城というのは、
「櫓が発展したもの」
 ということである。
 集落を守るために、塀や門が作られ、そこに、虎口などがあり、空濠が築かれる。
 さらには、高いところから、敵の侵入を見張るという役目の、
「物見やぐら」
 というものが作られた。
 それが、天守の元祖なのだ。
 実際には、城の中には、
「本丸、二の丸。三の丸」
 などという場所があり、そこに侵入するには、かなりの兵が必要となることだろう。
 そもそも、昔の城は、
「山の上に作られた山城」
 というものがほとんどだという。
 古くは、古代の、
「飛鳥時代」
 に端を発するといわれる。
 半島の百済が日本に、
「新羅、高句麗の連合軍に攻められ困っているので、援軍がほしい」
 といってきたところを、日本は、ちょうど、
「大化の改新」
 の真っ最中であったが、
「半島の盟主としての、百済を見捨てるわけにはいかない」
 ということで、日本は、半島に軍を出した。
 しかし、実際には、大敗北を喫し、結局百済は滅びてしまったが、今度は、その余勢をかって、
「連合軍が日本に攻めてくる」
 という可能性から、日本とすれば、その侵略に備える必要があった。
 そこで、筑紫国の大野に、山城を築き。その近くに、水城というものを作ることで、半島からの侵略に備えた、
 しかも、
「都を筑紫に移す」
 ということをしてまでのことだったので、
「国家としては一大事だった」
 ということである。
 結局攻められることはなかったが、それを期に、
「九州では、山城がたくさん築かれていた」
 ということである。
 それ以降では、時代的には、
「南北朝時代」
 くらいから、全国で、山城がたくさん作られていた。
 特に一番多い時は、
「今のコンビニの数よりも多かった」
 ということで、
「一つの山に一つの城」
 という形だったという。
 もちろん、立派なものができたわけではない。
 あくまでも、
「防御のための城」
 ということで、ほとんどは、そこに人が住んでいるわけではなく、麓に屋敷があり、責められると、裏山にある城にこもって、
「籠城する」
 というのが、ほとんどだったのだ。
 だから、その頃の城は、
「山の上に作られ、籠城するための城だった」
 というわけである。
 それが次第に、時代が、
「群雄割拠の戦国時代」
 ということになってくると。城も、大きな山の上ではなく、
「小高い丘」
 に作られるようになった。
 以前から、
「要塞」
 という形ではあったが、次第に、その城に、兵が住んだり、領主や、さらには、時代が進むと、
「領民までもが住む」
 ということで、
「城下町の基礎」
 というものができていったのだ。
 だから、
「城が要塞」
 ということになると、城を作り設計する場合には、
「天然の要塞」
 という形で設計されるようになってきた。
 例えば、
「まわりを川に囲まれている丘の上に城を築く」
 ということであったり、
「相手がせめてくるのに攻めにくいように、森を抜けなければせめてこれない」
 ということにしたり、中には、
「山の上から、大きな石や、熱湯を流す」
 というようにして、侵入を妨げるということができるのだ。
 そのうちに、
「城が、城下町と一体化する」
 といい考えから、
「平城」
 というものができてきた。
 そこは、水堀で囲まれ、塀に見せかけたところが櫓になっていて。そこから、弓矢や鉄砲で狙うという、
「多門櫓」
 であったり、
「門も櫓かすることで、大手門に差し掛かった敵を上から集中砲火する」
 ということで、敵を撃退したりするものだった。
 さらには、城の周りには、登ることが困難な、
「堅固な石垣」
 というものが築かれたりしたものだ。
 その頃になると、
「本丸を中心に、郭が出来上がり、それが、城としての、近代城郭を形成する形になったのだ」
 その頃になると、やっと、
「天守を持った城」
 というものが生まれてきて。
「天守は、その威厳を領民に見せつけ。戦国時代に、敵から領地を守るための要塞」
 ということで、
「領国のシンボル」
 として、聳え立つということになったのだ。
 それが、
「方形制度」
 という、
「領民の土地を領主が守り、その領主のために、領民が、戦などに駆り出される」
 ということでの、
「ご恩と奉公」
 という形が出来上がったのである。
 だから、
「戦国時代から、江戸初期にかけては、領国を守る」
 ということでの、城建設ラッシュだったのだ。
 特に、
「戦国時代の初期」
 というのは、
「下剋上」
 ということで、
「配下のものが領主に反逆という、いわゆるクーデターを起こし、自分が取って代わる」
 という時代になってきたのである。
 だから、そんな物騒な時代に、
「城」
 というものがなければ、どうにもならない。
 領民の、財産である土地も、安全という言葉の示す、文字通り命というものを守れないということになるのだ。
 ただ、
「城というのは、基本的に攻められると、籠城する」
 ということになる。
 ただ、籠城に関しては、
「当時の人間の知恵」
 ということでいろいろな仕掛けが張り巡らされている。
 例えば、
「近くに支城というものを設けて、そこから、攻めてきた敵に背後から迫り、敵を挟み撃ちにする」
 というやり方。
「大手門を突破すれば、天守に続く道をどんどん狭くして、疑心暗鬼にさせる」
 というやり方。
作品名:覚悟という錯誤 作家名:森本晃次