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覚悟という錯誤

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 ということであった。
 そうなってしまうと、今度は、食欲というのが一気になくなってしまい。自分が食べたくないと思っていることが分からなくなるのであった。
 だから、
「他に食べたいもの」
 ということで、他を探しているうちに、お腹が飽和状態になってしまい、結局、みつかるはずのない、その時に、
「食べたいもの」
 というものを見つけることができず。ずっと、堂々巡りを繰り返してしまうということになるのだった。
 ただ、それだけが理由ではなかった。
「食事というと、せいぜい、千円から二千円がいいところ」
 ということで、
「買い物というものから比べれば安いものだ」
 ということになるのだが、
「それくらいの値段のものを選ぶのが、意外と難しい」
 ということで、
「もったいない」
 と思うのかも知れない。
 しかも、
「買い物とは違い、残るというものではない」
 ということも、大きな理由ではないかと思うのだった。
 特に、
「一度空腹を通り越している」
 ということである。
 通り越したお腹が、
「お金がもったいない」
 と感じさせるのかも知れない。
 確かに、もったいないと思うのも無理もないことで。
「お金というのは。天下の周り者」
 と言われるが、実際には、
「それが、政治家のいいわけではないか?」
 と考えると、理屈が分かってくるというものだった。
 今の政治家が、
「経済を活性化させるために、何をしているか?」
 ということが分かってくると、
「政府のあざとさ」
 が分かってくる。
「あたかも、国民のため」
 といっているが、そのすべてが、
「経済を回すために、国民に金を使わせようという魂胆だ」
 ということが分かると、
「これほどいやらしいことはない」
 と思うのだった。
 一つの例として、
「国民の祝日」
 というものだ。
 どんどん増やしてきたのは、休みに家族でどこかに出かけて金を使わせようということであった。
 しかも、途中から、以前は、
「決まった日」
 というのが、祝日だったのに、今では、変えられる日を、わざと月曜日に持ってくるということで、
「ハッピーマンデー」
 などということにし、
「第二、第三月曜日に移動する」
 ということにして、連休を増えさせ、旅行などに行きやすくすることで、金を使わせ王と考えたのだ。
 それが、政府のやり方である。
 また、
「働き方改革」
 ということで、
「残業にも制限を持たせる」
 というやり方を取ったありもした。
 そのせいで、今問題になっている、
「人手不足」
 という問題が出てきて、結局は、
「国民が不便になる」
 ということになるだけだった。
 それを考えると、
「残業時間が限られてくる」
 ということで、
「ブラック企業が減ってくる」
 という意味ではいいのかも知れないが、それによって巻き起こる、
「〇〇年問題」
 と言われる、深刻な人手不足の問題。
「結局は、政府の安易な考えが、その余波を生む」
 ということで、
「本当に政府は、有識者に相談したのだろうか?」
 ということを考えてしまい、それこそ、かつて問題になった、
「世界的なパンデミック」
 という問題を、
「本当に教訓にしているのだろうか?」
 と思うのだ。
 確か、あの時も、
「専門家の意見を聞いて、最後には政府が決定する」
 とさんざん言っていたが、結局は、専門家の意見よりも、すべての政策は、
「政府の都合」
 ということで決まったではないか。
 それが、当時の政府のやり方で、
「トップが変わっても、まったく考え方は変わっていない」
 ということになる。
 しかも、
「前より政府は悪くなった」
 ということで、
「このソーリが変われば」
 といっていたものが、実際には、
「もっとひどいことになってしまった」
 ということで、
「負のスパイラルを描いている」
 ということになるのであった。
 それを考えると、
「日本という国は、平和ボケからか、すべてが後手後手で、国民から失笑されるような政策しか打てず、パンデミックが終わったのも、自然消滅だっただけのこと」
 といってもいいだろう。
 やっと、そのことに最近の国民は気づいてきて、へたをすれば、
「政治への関心が、まったくない」
 という人が増えてきたといってもいいだろう。
 だから、
「ブラック企業をなくす」
 ということを一つの目的と掲げていても、結局は、
「優先すべきは、自分たちの都合」
 ということから、生まれてくるのは、
「人手不足問題」
 という、
「専門家が考えればわかるであろうことを、相談もしないのだから、解決できるわけがあるはずもない」
 ということになるのだった。
 実際に、専門家が、
「本当に正しいことをいうのか?」
 というのは疑問であるが、それよりも、
「政府のいっていることと、専門家の指示とが、政府発表から数日しか経っていないのに、正反対のことを言っている」
 ということが明らかになったりする。
「数日で変わったのでは?」
 ということも考えられるかも知れないが、そもそも、
「専門家というのは、よほどのエビデンスがないと発表しない」
 ということである。
 なんといっても、専門家には、
「相手が信じる」
 ということでの責任があるのだ。
 そもそも政治家というのは、
「自分たちが指示しないと、国民が動けない」
 ということで、
「とにかく早く決定して、国民を導くのが政府の仕事」
 ということで、その発表には、それぞれの立場からか、隔たりがあるといってもいいだろう。
 そうなると、
「政府というものが、いかに国民を導くのか?」
 ということを考えると、
「数日で、専門家がいうことを変えるわけはない」
 ということになり、ということはあの時の政府発表は、
「とりあえず、発表しなければいけない」
 ということでの、栗島切れの発表だったということになる。
 これこそ、
「無責任だ」
 といってもいいだろう。
 F市のソープ街の灯台の横を歩いていると、そこに友達がいて、気まずい雰囲気になった坂上だったが、思わすその人の名前を呼んで声を掛けようとした自分にびっくりした。
 自分でも、
「気まずい」
 と思っているくせに、なせ、自分から声を掛けようとなどしたのだろう。
 そもそも、学生時代から、
「知り合いにあったら、声を掛けないといけない」
 というくせがついているからだろう。
 逆に大学1年生の頃くらいまでは、そんなことができなかった。
 中学時代から高校時代くらいまで、前述のように、いじめを垣間見るようになると、まわりの人に声を掛けることを絶えずしないようにしてきた。
 へたをすれば、
「自分にいじめの対象が移ってくる」
 と考えたからだった。
 要するに、
「自分が中学時代から友達を持たなかった」
 あるいは、
「人とのかかわるのが嫌だった」
 ということ。
「友達を作らなかった」
 ということに結びついてくるわけだが、なんといっても、今となっては言い訳になるかも知れないが、
「ソープによく行くようになったのは、以前この灯台を見てからのことだった」
 といってもいいだろう。
作品名:覚悟という錯誤 作家名:森本晃次