覚悟という錯誤
逆に勉強は一人でするもので、就活は、仲間がいないと、うまくいかない。
それは、就活は、
「自分の進む道を見つけるものだ」
ということだからだ。
つまりは、就職することも大切だが、就職から先が、
「自分の進む道」
つまりは、就活とは、それを見つけることなのだ。
「学力というものだけで、ランクを分けられる受験とは違い、就職は、文字通り、一生の選択」
といってもいいだろう。
いくら、
「終身雇用」
などというのは、
「あってないようなものだ」
と言われているが、まさにその通りなのだろう。
大学を卒業して、そこからが、
「人生の本番」
と言われるが、そこから先が、
「自分の進む道」
ということだからだ。
なんといっても、
「働くということは、お金をもらう」
ということであり、金を出して勉強する学生時代までとは、まったく違うものなのだ。
坂上は、そのことは、いやというほど分かっていて、
「できれば、社会人になんかなりたくない」
と思っていた。
「社会というのは、そんなに甘くない」
というもので、その理由として、
「自分がやりたいことができないからだ」
ということであった。
「そもそも、30歳を過ぎた今でも、自分が何をしたいのか? ということが分かっていないのだから、世話ないわ」
と思っていた。
だからなのか、就職してから、
「思ったよりも、会社で仕事をすることが嫌ではないな」
と感じていた。
むしろ。
「普通にしていれば金ももらえるんだから、別にいやじゃないか」
と思っていた。
「上司のいうことを、ただやっていればいい」
ということで、
「そこに、感情さえ働かなければ、いやに感じることもないだろうな」
ということであった。
別に、
「誰かに褒められたい」
という気持ちであったり、
「上司から嫌われたくない」
などという感情さえ持たず、
「ただ言われたことをやっていればいいんだ」
と思っていれば、それでいいのだ。
「若いうちであれば、何か失敗しても、上司がかばってくれる」
と思っていた。
逆に、自分の保身に走る上司は、さらにその上から叱責され、へたをすれば飛ばされる。そんなことを見ていると、
「俺は上司にはなりたくないな」
と思ったが、それでも、まだ。
「年功序列」
というものは存在していて、適当にやっている自分も、27歳になれば、主任という肩書がついたのだった。
主任というと、管理職ではないが、少なくとも、
「下に部下が付く」
ということになる。
そして、
「第一線の責任者」
という意味の肩書だということが分かると、
「なってみると、悪くもない」
と感じていたのだ。
これが、係長ということになると、今度は、
「現場の責任者」
ということになる。
仕事にもよるが、
「現場の中に、さらに部署があり、それが、一つの部隊」
ということで、第一線というのは、坂上にとって、居心地のいいところであった。
「ということは、この仕事を好きだということなんだろうか?」
と考えた。
そもそも、
「何かを作る」
ということが好きだった坂上は、大学を卒業してから入った会社で、最初は、漠然と、
「が通ってきた道」
ということで、
「営業志望」
ということを言ってきた。
しかし、実際に配属が決まると、そこは、システム開発というところだったのだ。
最初こそ、違和感があった。
学校で、パソコンの授業で、早々に脱落したという苦い経験があったからだが、実際に赴任してやってみると、
「思ったよりも、謙虚な気持ちで打ち込める」
という、最初の勉強期間に、少しびっくりしていたのだ。
というのは、
「お金をもらっているからだ」
と考えるようになった。
「学生時代というのは、親が出してくれたお金で勉強していたので。どこか、勉強というものが押し付けられていると感じていたのだ」
それも当たり前で、
「受験勉強」
というものこそ、
「押し付けというものの元凶だ」
と思っていたからだ。
しかし、お金をもらって働いていると思うと、押し付けられているという感覚ではなく
「やればやるほど金になる」
と思うようにしていたことが、システムの勉強に、謙虚な姿勢になれるのであった。
実際に、覚えるたびに、
「偉くなった気分になる」
という感覚があったのだが、それをどうして感じたのかというと、
「学校であれば、皆が勉強することであるが、会社に入ると、その中で、選ばれた人間が勉強する」
という専門性というものを感じさせられたからだった。
それを思うと、大学時代にも同じ専門性があったはずなのに、そこまで感じなかったのは、やはり、
「金に対しての立場」
というものだろうと考えたのだ。
だからといって、坂上が、
「守銭奴」
というわけではなかった。
別に小金をためているというわけでもなく、逆に、
「もらった分は、使い切っている」
といってもよかった。
貯金しようと思うとできないわけではないが、
「いつの間にか使い切っている」
というところであろうか。
だから、
「お金に困る」
ということはないが、
「金に執着する」
ということもない。
確かに、
「金をもらうことで仕事に謙虚になれはするが、それだけのことであり、あくまでも金というのは、もらえる」
という事実だけが、坂上に与える精神的な考えであった。
坂上という男は、30過ぎになるまで、彼を知っている人から見れば、
「仕事人間」
と見えたかも知れない。
勉強などは謙虚であったが、仕事に関しては、そこまでまじめということではなかった。
ただ、出来上がったものに対しての思い入れはあったが、それは、他の同僚と、ほとんど変わるものではなかった。
だから、
「仕事をしているとはいえ、充実感は得られるが、満足感を得ることはできない」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「学生時代に自分に感じていた、ものぐさな感覚を、働き始めても、時々感じている自分がいる」
というのを思うようになったのだった。
そんな坂上を、先輩は、
「じゃあ、童貞を卒業させてやろう」
と言われ、昔であれば、
「面倒くさい」
と思ったかも知れないが、
「童貞である必要もない」
ということで、
「これはせっかくの機会」
ということで、断ることはしなかった。
ここで断ってしまうと、
「本当に一生童貞かも知れないな」
と思ったのだ。
別に童貞でも構わない」
とずっと思ってきたが、先輩に声を掛けられた時、急に、
「捨てるなら今だ」
と思ったのであって、それが、
「捨てるのはいまだ」
と感じたのが、
「別に童貞でもいい」
と感じるよりも
「一瞬前だった」
ということが、その理由だといってもいいだろう。
「そっか、物事を判断する時というのは、いつも、裏表を考えて、先に来た方を選んでいるのかも知れないな」
と考えた。
そして、
「だから、あとから来た方を意識しないわけで、選択するというのは、どこか曖昧なところがあるというのは、そういうところなのかも知れない」
と思った。