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覚悟という錯誤

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 ただ、
「まったくない」
 というわけではないが、それが、覚悟を必要とするまでなのかというと、正直、
「そんなことはない」
 と思っているのだ。
 そもそも、今でも、
「彼女がほしい」
 という感覚はない。
 正直、以前にはあった。
 それは、
「童貞の時」
 であり、
「彼女ができれば、楽しい毎日が過ごせる」
 ということで、それは、
「身体の関係」
 というのが必須だと思っていたのだ。
 しかし、その感情が、
「まわりの嫉妬」
 というものありきだと気が付いた。
 というのは、
「自分が女と付き合っていることで、まわりに、自分に対しての嫉妬心を抱かせる」
 ということによって、自己顕示欲というものを強めようと考えていたのだ。
 それが、恋愛感情だと思っていた。
 というのは、自分が高校生の頃を思い出したからだ。
 高校時代は、男子校で、本当は共学に行きたかったのだが、成績が悪く、
「男子校しかいけなかった」
 ということで、
「仕方なく」
 ということであった。
 それでも、中には、
「女子高の女の子と仲良くなって、ツーショットの写真を見せびらかして、マウントを取っている連中がいる」
 それを思うと、自分の中に、嫉妬心が沸き上がり、それが、
「彼女がほしい」
 と思うことへの、
「バロメーターのようなものだ」
 と感じさせられた。
 だから、
「嫉妬心なくして、恋愛感情などない」
 とまで思っていて、そのうちに、
「自分の知らないところで、女の子と身体の関係」
 ということが、さらに、嫉妬心を増幅させることになると思うと、
「今度は逆に、この俺がまわりに嫉妬心を抱かせる」
 と思うようになったのだ。
 それを考えると、
「彼女を作って、自分がその女と身体の関係を持った」
 という段階を踏むことで、彼女のいない連中が俺に嫉妬心を抱いてくれることが、
「俺の彼女に対しての恋愛感情になる」
 と思うのだった。
 つまりは、
「嫉妬心が湧かなければ、恋愛感情などない」
 といってもいいだろう。
 だから、
「恋愛感情に、相手を好きだという気持ちは関係ない」
 ということであった。
 だから、
「癒しは恋愛感情ではない」
 と思うことで、
「癒しはほしいが、何も、女性と付き合うという必要はない」
 と感じるのだった。
 だから、最初の童貞喪失が、
「ソープだった」
 ということは、その時点で、
「癒しと、恋愛感情はまったく別のものだ」
 という自分の考えを自分で証明したかのように思えた。
 というのは、
「ソープの女の子からもらうのは、癒しである」
 ということで、いわゆる、
「疑似恋愛」
 というものだが、
「そもそも、恋愛が、嫉妬心を煽ることから生まれる」
 としか思っていないということは、
「恋愛感情よりも、癒しを選んだ」
 と思えば、別に後悔もなければ、
「これが正しい選択だった」
 と思うのだ。
「お金を払っての関係なんて」
 というやつもいるかも知れないが、果たしてそうだろうか?
 いわゆる、
「恋人同士」
 といっても、そこに一切の打算はないといえるだろうか?
「お互いに、一生一緒にいるつもり」
 といって付き合っているのであれば、まだわかる。
 しかし、それでも、今の時代の離婚率を考えると、
「じゃあ、結婚というのは、それほど覚悟がない状態でしたのか?」
 あるいは、
「覚悟があっても、うまくいかないほど難しいことなのか?」
 ということを考えれば、
「恋愛感情以外のプラスアルファが必要だ」
 ということで、それが、
「子供」
 というものであればまだいいが、
「金銭的な契約関係」
 ということであれば、そもそも、
「結婚というのは何なんだ?」
 ということになるであろう。
 恋愛期間中であっても、同じことだ。
 確かに、結婚しているわけではないから、
「二股。三股を掛けていようが、罪ではない」
 ということであるが、
「倫理的に許されない」
 ということになるだろう。
 しかし、恋愛というものは、
「元々、自由なものだ」
 ということで、
「何人かと付き合って、その中で一番いいと思った人を選ぶ」
 ということの何が悪いかということになる。
 さらに、
「付き合っている時のデート代だって、結局はどっちが出すか?」
 ということを考えれば、
「お金がかかる」
 ということである。
 だったら、
「風俗でお金を使い、性欲処理をする」
 というのと、何が違うというのか、
 これはあくまでも、極論であるが、
「性風俗というもので、男性の性処理風俗というのは、たくさんあるが、女性の場合は、最近では少しはあるようだが、実際にはほとんどない」
 ということで、それに対しての、女性のやっかみではないか?
 と言えないだろうか?
 ただ、これに関しては、理由は分からないが、今までにだって、
「女性用の性風俗の店があっても、いいだろう」
 ということで店がかつてあったということも考えられる。
 しかし、現実、今は残っていないということで、理屈からいえば、
「採算が取れない」
 ということではないだろうか?
 それは、いろいろな理由が考えられる。
「女性の客が少ない」
 という一番最初に思いつく考え方。
 もう一つとして、
「男性側に、性風俗をやろうという人が少ない」
 これに関しては、実は分からなくはない。
 というのは、
「男性と女性とで身体のつくりが違う」
 ということだ。
 男性は、女性と違って、
「賢者モード」
 というものがある。
 これは、
「一度達してしまうと、次の復活までに時間が掛かる」
 ということ、そして、
「そう何度もできない」
 ということである。
「実際に、一日に、何人の客を相手にするか?」
 ということを考えると、実質的に、
「性を提供する側に、限界がある」
 ということになるのだ。
 もちろん、一番の理由としては、昔からの、男尊女卑という問題があるということであろうが、それと同じく、女性の中で、
「風俗というものに抵抗がある」
 という人が多く、それが、
「そもそもの、女性客が少ない」
 ということを招くのではないだろうか?
 それを考えると、
「女性の性風俗は、成り立たない」
 ということになるのだ。
 だからといって、
「男性の性風俗を否定する」
 というのは違う。
 ただ、今の問題としては。
「男性が、草食系男子などと言われ、女性を性の対象として見ていない」
 というのか、
「性に対して、ドライになっている」
 ということだ。
 実際に、
「癒しを求める」
 というのであれば、風俗でも十分だし、
「お金がもったいない」
 というのであれば、恋愛にかかる金の方が、結構かかるというものである。
 恋愛するには、やはり、
「嫉妬心を煽る」
 というような、
「自分を納得させる何か」
 というものがないと成立しないといっておいいかも知れない。

                 記憶の正体

 普通に考えれば、彼女は、
「何かの犯罪に巻き込まれた」
 と考えていいかも知れない。
 しかも、あの場所は風俗街から非常に近いところにある。それを考えると、
作品名:覚悟という錯誤 作家名:森本晃次