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裏の裏

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「ええ、学校のテストだって、分からあいところを分からないままにずっと考えるよりも、簡単なものから埋めていくということで、時間が無駄にならないということではない。結果として、合格点を取るためには、どの問題で点数を稼いでも、関係ないということになる。難しい問題を答えないと、合格点に達しないということになるのであれば、話は別だが」
 というのであった。
 確かにその通りであり、学生時代に、
「難しい問題に最初から手を付けないと気が済まない」
 という人がいて。皆からは、
「要領が悪い」
 と言われていたが、結果、まわりの中で、
「その難しい問題を解けた人だけが、合格できた」
 という事理があったという、
 つまり、
「その問題を突破しないと、合格点に及ばない」
 ということで、結果的に、
「ぶち当たらなければいけない問題だった」
 ということで、
「その問題に正解したあとで、他の問題を解く時間があるか?」
 ということであった。
 実際に、その学校の入試で、合格するためにはすいう試験を乗り越えないといけない」
 という噂はあったが、皆、それを信じきれないところがあり、
「簡単な問題で満点を取る」
 ということを目指したのだった。
 実際の試験は、
「難しい問題以外をすべて回答すれば、合格点」
 ということであった。
 ただ、簡単な問題であっても、中には、
「ひっかけという問題がいくつかあり。そこをいかに冷静に回答できるか?」
 いうことが問題だったのだ。
 だから、
「合格するために、いかに点数を取るか?」
 ということが問題であり、そのコツは、
「時間の分配と、冷静な判断力」
 というものだったのだ。
 今回の捜査に当たった刑事も、その時のことが、今ではトラウマのように残っていて、
「刑事の捜査でも、いかに時間配分ということでの、効率の良さということと、冷静な判断力ということで、裏を読むということの大切さというものがいかに大切なことだというのか?」
 というのを考えるのであった。
 ただ、今回の事件は、
「分からないことが多すぎる」
 というよりも、
「判断に値することが表に出ていない」
 ということだ。
 だから、
「効率の良さということも、冷静な判断力もまったく役に立たない」
 ということだ。
 そもそも、警察の捜査というのは、
「そういう効率の良さと、判断力が、推理の肝となるだろう」
 と考えるのであった。
 実際に。今回の捜査とすれば、
「どこから手を付ければいいのか分からない」
 ということで、
「難しい」
 というよりも、
「難しい以前の問題」
 ということになる。
 今のところ、劇的に何か事件の捜査において変化があるとすれば、それは、
「被害者の記憶が戻る」
 ということになるだろう。
 実際に、これまでも、
「被害者の記憶が戻りそうだ」
 ということが実際にはあった。
 そのたびに病院から呼び出され、いってはみるのだが、実際には、
「思いだしそうなところで、肝心なところで、被害者が苦しみだして。思い出すことができなかった」
 ということもあった。
「記憶喪失患者には、結構あること」
 ということで、
「徒労に終わる」
 ということも多かったが、
「そのうちに記憶が戻る」
 という淡い期待を持っていた。

                 矛盾と曖昧

 しかし、それ以外には。
「事件に関係のないところでの記憶だけが戻ってきた」
 ということになるのだが、結局。最後には、
「オオカミ少年」
 になったということになるのだ。
「イソップ寓話」
 の中にある。
「嘘つき少年」
 の話であるが、
「オオカミが来た」
 といって何度も嘘をついているうちに、誰も少年を信用しなくなって。村人は。
「皆オオカミに食われてしまった」
 ということになったのだ。
 しかし、オオカミに食べられたのは、
「誰が悪い」
 というのだろう。
「もちろん、オオカミが悪い」
 というのは当たり前だが、
「嘘ばかりついていた少年が悪い」
 というのも、しょうがないだろう。
 しかし、
「嘘をつかれた村人が、皆食われたということであれば、寓話ということでは意味がない」
 ということになる。
 寓話というと、
「何か災いを引き起こすようなことをしてしまったので、その報いを受けるという。
「因果応報」
 というものをテーマにした話である。
「村人が食われた」
 ということは、
「村人が悪いから、報いを受けた」
 ということである。
 確かに、今の人であれば、
「もう少し慎重にいかないと、こういうとこがある」
 ということを分かっている。
 もっとも、それが、この、
「オオカミ少年」
 というものの謂れから、
「それが当たり前だ」
 と思うからだるう。
 しかし、この話を知らない人は、
「村人は騙されただけなのに、どうして食われなければいけないのか?」
 ということで、それこそ、
「子供の教育には使えない」
 ということになるだろう。
 この場合の教訓とすれば、
「油断大敵」
 ということであり、
「正しいことであっても、油断してしまうと。いつ何があるか分からない」
 という教訓だろう。
 しかし、それこそ、
「油断しないためには、悪いことでも肯定される」
 ということになるのだろうが、
 そういうことであれば、
「やはり、物事には裏表がある」
 ということで、子供にも、
「悪はいるのだから、油断してはいけない」
 という
「高等な教訓だ」
 といってもいい。
 それを、
「果たして。子供の間から教える必要があるのだるうか?」
 ということで、
 そもそも、このような、
「イソップ寓話」
 というと、小学生くらいの児童を中心にみられるものだといってもいいだろう。
 それを考えると、
「イソップ寓話」
 に限らず、他の教訓となるような。
「おとぎ話」
 であったり、
「神話」
 であったり、
「宗教における教訓」
 のようなものも、その趣旨としては、教育的には、同じだといえるのではないだろうか?
「おとぎ話」
 というものの中で、一番疑問に感じられるのが、
「浦島太郎」
 という話であった。
 このお話は、
「浦島太郎がカメを助けたことで、そのお礼にカメが背中に太郎を乗せて、竜宮城にいく。そこで、カメを助けてもらったというお礼からか、地上では味わえない夢のような時間をもらえた」
「しかし、陸が懐かしくなり、戻りたいといって、戻ることになったが、その時に、乙姫様から玉手箱をもらう」
 その時に、
「決して開けてはいけない」
 といわれるのだ。
 しかし、陸に上がってみると、その世界は知っている人の誰もいない世界ということで、実際には、
「数百人先の時代だった」
 というオチである。
「そこで浦島太郎は、玉手箱を開けて、おじいさんになってしまった
 というのが大まかな話であった。
 突っ込みどころは満載であるが、一つ誰も気にすることはないが、重要なこととして、
「太郎が、どういう接待を受けたか?」
 ということであった。
 話としては、
「タイやヒラメの踊りを見た」
 ということであったり、
「御馳走を食べた」
作品名:裏の裏 作家名:森本晃次