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裏の裏

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 封建時代だって、同じこと、特に戦国時代に、
「死ぬことは怖い」
 といってしまうと、敵前逃亡などで、戦にならないということになるだろう。
 誰だって、死ぬのは怖い。
「だったら、戦をしなければいいんだ」
 ということになるのだろうが、
「戦しか解決方法がないのだから。逆に戦をしなければ、へたをすれば、飢え死にするのを待つだけ」
 ということになる。
 つまりは、
「勝てるかも知れない戦をして、勝ち残って、これまで通りの暮らしをするか?」
 もっとも、勝ったのであるから、論功行賞から、
「褒美も出て、出世もする」
 ということで、暮らしもよくなるだろう。
 しかし、何もしなければ、食べ物にありつけず、
「戦が嫌いだから」
 ということで、
「飢え死にするのを黙って待つだけ」
 ということでいいのだろうか?
 それを考えると。
「人間の中には、いや、動物すべてにいえることだが、闘争本能というものがあり、これが、自分たちの発展を高めるものであり、さらには、
「生き残るために、積極的に争う」
 ということは、
「動物としての本能だ」
 と考えると、
「国家が、国民を洗脳する」
 ということが、政府としても、国民一人一人に対しても、いいということになるだろう。
 戦争に負けて今の時代の、
「民主主義」
 というものになると、
「命は大切なもので、誰にも犯すことができない」
 と言われている。
 しかも、
「日本は、恒久平和というものを求め、戦争放棄の国だ」
 ということが謳われている。
 これはあくまでも、
「日本が軍備を行うと、他国を侵略する」
 ということで、
「日本民族は、占領人族だ」
 という間違った知識を諸外国に示すことになる。
 そもそも、それは、
「諸外国の方が強いではないか?」
 というのは、
「かの戦争における日本のスローガン」
 を考えればわかる。
「欧米列強に食い物にされ、植民地化された東アジアを欧米列強から解放し、アジアに新秩序を形成する」
 ということだったではないか。
 それを、勝利国は、
「自分たちに都合が悪い」
 ということで、かの戦争を、
「大東亜戦争」
 とは言わず、
「太平洋戦争」
 という言葉で、詭弁を使ったのである。
「臭いものには蓋」
 というのはまさにこのことで、あくまでも、
「勝てば官軍」
 そして、
「勝者の理論の押し付け」
 というのが、
「極東国際軍事裁判」
 と言われた、いわゆる。
「東京裁判」
 と言われるものだった。
 そのために、
「処刑」
 という形での、
「生贄」
 が必要だったのだ。
 だから、
「大東亜戦争」
 などという言い方はご法度であり、何を思ってか、
「今のマスゴミも政府も、そして、国民ですら」
「大東亜戦争」
 とは言わないのだ。
 それこそ、
「洗脳されてしまっている」
 といえるのではないか?
 元々は、
「戦勝国からの押し付け」
 ということであったが、結果的には、
「マスゴミ」
 というものにである。
 そもそも、かの、
「大東亜戦争」
 というものが始まったのも、実際に、終えることができなかったというのも、すべての責任は、
「マスゴミ」
 にあるのだ。
 国民を煽るだけ煽って。戦争に突入させ。本来の軍の作戦とすれば、
「最初で相手の出鼻をくじき、連戦先勝の状態から、ちょうどいいところで和議を結ぶ」
 ということだけが、
「戦争に勝つ方法」
 ということで突入してしまった。
 しかし、実際には、
「あまりにもうまくいきすぎて。勝ちすぎてしまったので、今度は辞めることはできなくなった」
 というのは、
「勝っている今辞めるというのは、どういうことだ?」
「臆病風に吹かれたのではないか?」
「今まで戦死していった人に申し訳がないだろう」
 というようなことをマスゴミが国民を煽ることで、政府や軍が、
「腰抜け」
 ということになると、戦争遂行ができなくなる。
 つまりは、敗戦の一番の原因は、
「マスゴミにある」
 というわけで、政府も軍も、それに踊らされるという、後手後手に回ってしまったということなのかも知れない。
「ペンは剣より強し」
 という言葉は、若干違った意味であるが、そういうことになるといっても間違いではないだろう。
「洗脳されたことによって、催眠術にかりやすい」
 という話を聞いたことがあったが、
 今回の場合の事件において。
「催眠術で洗脳され、それで記憶喪失になる」
 ということのようだった。
 だから、思い出す記憶というのが、
「一部の記憶で、しかも、それが犯人にとって都合のいいものであった」
 ということになるのであろう。
 だから、今回の事件がその影響で、犯人とすれば、
「時間が経つのを狙っていた」
 ということであった。
 つまりは、
「時間稼ぎの犯行だった」
 ということかも知れない。

                 大団円

 今回の一連の事件は、
「二種類の血液」
 というのが問題だった。
「血に関わる問題」
 ということで考えた時、秋元刑事は、最初から考えていたことがあった。
 それが
「吸血鬼ドラキュラ」
 の話であった。
 この話において、秋元刑事が注目したということは、
「ドラキュラが血を吸うと、吸われた人も吸血鬼になる」
 ということで、
「それこそ、鼠算式に増えてくる」
 ということであった。
「真実が一つなのか?」
 というところで話をしたが、鼠算式に増えていく、
「ドラキュラ」
 を思い起こさせるということは、それこそ、
「吸血鬼と真実」
 というものを考えさせられる。
 ドラキュラは、洗脳するわけでもなければ、催眠に掛けるわけでもない。
「しかし、血を吸われた人間は、ドラキュラの毒によるものなのか、自分も同じになってしまう」
 という発想は、正直、
「画期的な発想だ」
 といってもいいだろう。
 ドラキュラというものが、殺されるわけではなく、その人に変身するという発想から、
「もう一種類の血液」
 ということを考えると、
「今回の通り魔事件」
 というのは、
「誰も殺されているわけではない」
 ということで、入院はするが、記憶を失ったりという後遺症を経て、結局、普通の生活に戻って。その人は、
「事なきを得ている」
 ということになるだろう。
 しかし、事件自体は終わっているわけではない。
 実際に、半年で何人もが襲われているというのは、どういうことになるのだろう。
 ただ、
「殺された人がいない」
 ということで、暴行を受けた人は、何か、犯人にとって、
「血が必要だった」
 ということなのかも知れない。
 ただ、もう一種類の血というのは、どうやら、どこかの病院で盗まれたものだったということだ。
「そういえば、血液に関していえば、失踪した清水刑事は、以前、血清をはこんだことがあったな」
 というのを思い出した人がいた。
「じゃあ、その血清の一部を使った」
 ということかな?
 と考えたが、
「でも、血清を盗んだりすれば、見つかるのでは?」
 ということであったが、
「いや、その血清というのも、本当は一つでよかったものを二つ使ったとして報告すれば問題ないのでは?」
作品名:裏の裏 作家名:森本晃次