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裏の裏

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「なぜ、独立国として確立した今の国家で、かの戦争を、大東亜戦争と言わないのか?」
 ということは、どういうことなのであろうか?
 それこそ、
「非国民」
 と言われても仕方のないことだろう。
 今の民主主義の世の中では、たぶん、教育的な問題からも、
「大日本帝国」
 というのは、
「国民を洗脳していた」
 という考え方になるのではないだろうか?
 というのは、
「そもそもの天皇に対しての考え方が、中央主権国家を作らないといけない」
 ということから、
「天皇を中心とした国家」
 ということでの、
「尊皇」
 ということであった。
 その元々が、
「ペリー来航」
 によっての、アメリカからの、
「砲艦外交」
 によって、いわゆる、
「脅しによる開国」
 をさせられたことであり、そのために、
「不平等条約」
 というものを押し付けられることになった。
 そのために、最初こそ、
「攘夷」
 ということで、
「外国打ち払い」
 ということを言われていたが、
「日本の国力では、外国にはかなわない」
 ということになり、
「海外の技術や考え方を学び、日本を先進国にして、対等条約を結ばせる」
 というのが、明治維新による、政府のスローガンであった。
 だから、外国に学び、明治維新を成し遂げた。
 さらには、
「殖産興業」
「富国強兵」
 というものをスローガンとして、国防という意味でも、
「自国の軍で守る」
 ということを考えたのだ。
 だから、
「内乱などもってのほか」
 ということで、それこそ、
「挙国一致」
 という、
「中央集権」
 を打ち立て、日本を豊かにすることが最優先であった。
 だから、
「天皇に主権を与えはするが、あくまでも、法治国家としての、立憲君主の国」
 というのが、大日本帝国であった。
 どうしても、
「天皇を神として祀り上げる必要があった」
 ということである。
「天皇も、自分たちと同じ人間だ」
 などという考え方は抑えられた、
 考えてみれば、日本という国は、歴史的に、どの時代であっても、
「天皇は神だ」
 といってもよかった。
 鎌倉幕府が成立し、江戸幕府が滅亡するまでは確かに、武士の時代」
 ということであったが、それも、
「あくまでも将軍は、天皇から、政治を行うという任を受けている」
 というだけのことで、国家元首は、天皇ということになっているのだ。
「朝敵」
 という言葉があるが、要するに、
「天皇に弓引く」
 というのは、朝敵ということで、それこそ、
「国家反逆罪」
 ということになり、極刑の中でも、最悪の刑ということになるだろう。
 昔でいえば、
「承久の変」
 において、後鳥羽上皇が、鎌倉幕府を倒そうとして兵をあげたが、実は、鎌倉武士団に敗北してしまう。これが、唯一の朝廷による、反乱軍を抑えられなかった例といってもいいかも知れない。
 しかし、それ以降の、
「建武の新政」
 では、最後には、室町幕府の成立を許し、南朝となり、下野することにはなったが、目的であった。鎌倉幕府倒幕に関しては成功している。
 また、幕末の、
「戊辰戦争」
 では、今度こそ官軍ということで、
「錦の御旗」
 というものを掲げて、
「正規軍」
 ということで、幕府軍を打ち破ったのだ。
 ここまでくれば、完全に
「天皇中心の国家が出来上がる土台ができた」
 ということで、いよいよ、
「明治新政府」
 の時代ということになったのだ。
 明治政府というのは、
「不平等条約解消」
 というれっきとした使命を持った政府なので、妥協は許されない。
 とはいえ、
「やることは決まっているので、その目的に対しての対策は、最初から決まっている」
 といえるだろう。
 だから、教育においても、
「封建制度」
 であったり、
「武家政権」
 というものを否定するということをやりながら、ただ日本人の中にある、
「武士道」
 などという、
「日本独特の素晴らしい考え方」
 をいかに、国民を団結させるために用いるかということになると、無理をしてでも、
「国民を洗脳する」
 という必要があるということになるだろう。
 国民の中には、
「洗脳された」
 という意識を持っている人が大多数だっただろう。
 もっとも、
「洗脳された」
 ということを誰かが言い出すと、へたをすると、
「反乱分子を作る」
 ということになってしまう。
 だから、
「どんなことをしても、中央集権」
 という考え方で統一するには、
「天皇は神である」
 ということで国民の意識を統一させなければいけないということになるのだ。
 戦争の時においても、
「いかに、国家や経済が苦しくて、生活が困窮していようとも、戦争に勝てば、それまでの苦しみが報われる」
 と考えるだろう。
 だから、
「勝てば官軍」
 ということであり、
「日本において、天皇制というものが絶対である」
 ということは、
「大日本帝国から」
 ということではなく、
「万世一系の天皇制」
 と言われるようになってからの、
「太古の昔から」
 といってもいいだろう。
 特に日本というのは、怨霊などということを結構言われていたりする。
「日本三大怨霊」
 ということで、
「菅原道真」
「崇徳天皇」
「平将門」
 とあるが、どれも、その怨霊が、雷や天変地異になったりすることで、
「神や怨霊の存在」
 というものは、信じられていた。
 だから、
「日本人というのは、洗脳されやすい民族なのかも知れない」
 今の時代でも、イスラム系の国では、
「宗教をバックにして、自分たちの平和や正義を守るために、ゲリラ戦であったり、自爆などして、テロ活動を行っている」
 日本も、戦争においては、ゲリラ戦を駆使して戦った。
 それも、
「天皇陛下のため」
 ということだったのだ。
 だから、いざ、死を目の前にした兵士であったり、
「玉砕」
 の時の、民間人は、皆、
「天皇陛下、万歳」
 と叫ぶのだ。
「神風特攻隊」
 というものにおいても同じで、特攻隊員が、家族に遺書を送る時、
「絶好の死に場所を得た」
 ということであったり、
「そのために育ててもらった」
 という言い方で、最後には、
「天皇のために死んでいく自分を、ほめてほしい」
 という言い方になるのだ。
 今の人から見れば、
「ありえない」
 と思うだろう。
 それは、
「国家による洗脳で。国家から殺された」
 と思うかも知れない。
 しかし、果たしてそうだろうか?
 死んでいった人たちは、あの時代であれば、遅かれ早かれ、
「寿命を待たずに死ぬ」
 ということになるだろう。
 それが、
「戦争で戦死」
 あるいは、
「空襲で死ぬ」
 あるいは、
「玉砕」
 などといろいろあるが。そのような状況になった時、
「死ぬことは怖いことである」
 あるいは、
「生き抜かなければいけない」
 などということを言われていたとすれば、間違いなく、死ぬことを恐れ、恐怖の中で死んでいくということになるだろう。
 しかし、
「天皇猊下のために死ぬことは怖くない」
 と言われれば、
「死への恐怖」
 というのは、少しは収まるというものだ。
作品名:裏の裏 作家名:森本晃次