裏の裏
「被害者が少しでも思い出すたびに時間がどんどん長くなっていくのを恐れた」
ということであった。
それだけ、医者としては、
「この患者は、少しずつ段階を踏む形で、記憶を取り戻そうとしているんだろうな」
と感じたからだった。
実際に、そのことに間違いはないようで、医者とすれば、
「今回のような記憶喪失のケースは決して珍しいものではない」
と言えた、
いや逆に、
「オーソドックスなケース」
なのかも知れないと感じたくらいだった。
そもそも、この医者は、
「心理学関係の医者ではなく、身体のケアに関しての医者」
ということで、どちらかというと、
「リハビリ」
というものに長けていた。
しかし、リハビリというものと、
「失った記憶を取り戻す」
ということは、
「さほど遠いものではない」
という考え方があるということからも、
「今のやり方が、硬直状態に陥るかも知れないが一番無難な方法だ」
と思ったのだ。
特に、記憶があいまいな状態で、事件のことにいきなり触れるのは厳しいと感じたのだ。
だから、
「十五分」
という時間も、この観点から、医者が感覚的に感じたことであった。
だから、
「記憶が少しずつ取り戻されていく中で、時間を長くするなどということは却って不安を煽るということで、本来であれば、時間をさらに短くするという方が、医者としては安心なのかも知れない」
と感じたのだ。
「今回の事件において、取り戻される記憶が、どこまで鮮明なものなのか?」
ということよりも、
「どこまで曖昧さが解消されるか?」
ということの方が重要な気がした。
というのも、
「この事件において、曖昧さというものが、問題」
といえるのだった。
しかも、その曖昧さというものが、
「解消されない方がいい」
と考えているということであることを、どこか気にしているからだったのだ。
これは、最初は、
「医者が考えていた」
ということであったが、次第に、刑事にも伝染しているようだった。
普段であれば、
「そんなことは考えるはずもない」
と思うはずの、特に、秋元刑事はそう感じていた。
それは、
「普段、感じないことを、今回の事件に関しては感じている」
ということから思うことであって、
「事件というものに対して、今までと見方が変わってきた」
つまりは、
「自分がそれだけ成長したのではないか?」
と思えた。
それは、
「刑事として、誰もが通る道であり、そのことを果たして意識できたのかどうかということが、果たして皆分かっていたのか」
ということが問題なのだが、えてして皆、それを意識することなく通っているのだろう。
だからといって、
「それが悪い」
ということではないようだ。
物事においての、
「いい悪い」
というのは、誰が判断するということなのか。
「多数決において、多数派というものが、いいことだ」
と考えたとすれば、それは本末転倒な気がする。
今は、民主主義の世の中で、
「民主主義の基本は多数決」
ということを教え込まれたということから、そのように感じてしまうことだろう。
それの考えは刑事に限ったことではなく、誰もが感じていることだ。
政治体制というのは、根幹において、皆が一つの基本的な考えを、
「正しいことだ」
と思っていないと成り立たない。
それこそ、
「いつ、どこでクーデターが起こっても無理もない」
ということになり、
「実際に、クーデターから、内線になることもある」
ということだ。
しかし、昔の軍人がいっていた言葉に、
「内線で国が亡ぶことはないが、戦争では国が滅んでしまう」
ということを言った人がいたというが、
「それも間違いではないな」
と、秋元刑事は、以前から思っていた。
特に、今は戦争というものが、
「憲法というもので、ありえないものだ」
ということになっているが、そのためか、
「日本人は、内乱が起こっても気づかないだろうな」
と思っていた。
実際に、
「国が亡ぶ」
ということはないが、それも、
「数が重なっていけば、徐々に壊れていくというもっもである」
それを考えると、
「大きな山も、アリの巣から壊れてくる」
ということになるだろう。
「世の中というのが、実は曖昧なもので、しかも、その曖昧さというのが、都合よくできている」
ということだとすれば、恐ろしいことだ。
というのは、
「一人の思惑によって、そのようなことになっているのだとすれば、その人の人間性であったり性格によって。国の行く末や、進むべき道が、ハッキリしてくる」
ということになるだろう。
それは、
「どこまでがいいことなのか?」
ということに相違ない。
今回の事件も、被害者には申し訳はないが、
「これから未来に対しての、何かの警鐘ではないか?」
と考える人も出てくる可能性はあった。
実際に、そんなことを考えている輩もいて、それが、新興宗教だったりするのだ。
そして、今回思い出した被害者の一部の記憶というのは、話を聞いていて、最初はよくわからなかった。
まるで、
「超常現象」
のような話で、
「見えない力が働いている」
という言い方をするのだ。
そのうちに、それが、
「誰か一人の力によるものだ」
ということになり、それが、
「教祖ではないか?」
と考えるようになると。
「これは、洗脳されているのでは?」
と、秋元刑事は考えるようになった。
だとすると、
「どうして、医者は、それを我々に言わなかったのだろうか?」
と感じたが、それは、
「刑事にも、先入観のないところで、彼が感じていることを同じ目線から感じてもらいたい」
という意識があったのではないかと感じたのだ。
もし、そうだとすれば、
「医者は、警察を信じてくれている」
ということになるが、逆に、
「まったく信じていないのかも知れない」
とも思う。
表から見ると、
「警察を信じていない」
と思うからで、それは、医者としての立場というよりも、
「先生自身の人間性からきている」
といってもいいだろう。
そう考えると、
「この医者と警察とは、過去にも何か因縁があったのかも知れない」
と感じたのだ。
警察というのは、
「しかも、刑事課」
などというと、犯罪捜査を優先するものであり、へたをすると、
「人の人権の一部に眼をつぶってでも、自分たちの捜査を優先する」
ということもあるのだ。
だから、刑事はよく、
「これは殺人事件の捜査なんだ」
ということで、聞き取りを行う際に、
「言いたくない」
といっている一般市民に、
「殺人事件の捜査」
という免罪符を発行することで、
「職務まっとう」
というものを正当化させようということになるのだ。
殺人事件において、
「特にその傾向は強い」
同じ警察が、別件で捜査しようとしても、
「こっちは、殺人事件だ」
ということで、
「何においても、殺人事件の捜査は優先される」
という、
「殺人事件捜査の至上主義」
というものがあるというのは、実に理不尽な気がする。
もちろん、そこに、
「リアルな誘拐事件」