最後の天使
で、宗主国であるフランスが、ベトナムゲリラに敗退すると、各国で、独立の波が押し寄せてくることになる。
そこで、ソ連は、アジアで、
「大共産主義圏」
と作ろうと考えたことが、
「アメリカを中心としたいわゆる、西側諸国」
を刺激することになったのだ。
そこで勃発したのが、
「ベトナム戦争」
であった。
さすがに、
「東南アジア」
の宗主国として、ヨーロッパの国が昔は幅を利かせていて、すでに独立を許していることから、あまり露骨には参戦できなかった。
だから、結局、
「ベトナム戦争」
というのも、ある意味、
「代理戦争」
という様相が強かったのだろう。
しかし、アメリカのやり方の残酷さであったり、
「作戦の規模や犠牲に比べて、軍の成果が上がっていない」
ということから、
「アメリカ国内」
ひいては、諸外国から、
「帆船ムードが高まった」
ということで、結局は、アメリカが始めた戦争であったが、国内で批判が多くなったからということで、
「南ベトナムを見捨てる」
という形で、戦争から手を引いていくことになり、結果として、今の時代には数少ない、今でも、
「社会主義国」
ということで、ベトナムという国が世界に君臨することになったのだ。
それが、
「東西冷戦」
というものにおいて、
「最後の戦争だった」
といってもいいだろう。
その後、
「アフガンなどでの紛争」
というのもあったが、局地的なゲリラ戦で、いわゆる。
「代理戦争」
というのはここで終わった形になる。
時代は進み、日本では、昭和が終わったタイミングくらいで、
「ベルリンの壁の崩壊」
「ペレストロイカ」
などという社会情勢がある中で、
「社会主義の超大国」
として栗んしていた。
「ソビエト連邦」
というものは、崩壊したのであった。
それからの戦争というのは、
「世紀末にかけては、それこそ、局地的な紛争が多く、いわゆるゲリラ戦」
と呼ばれるものになってきたのであった。
さらにそれ以降の戦争は、
「実際に弾を撃ち合ったり、相手を殺傷する」
というものから、
「サイバー戦争」
ということで、
「相手国のコンピュータに潜入し、相手の情報というものを盗んだりする」
ということが行われ、全く違った形の戦争になる」
ということだったのだ。
日本における今の社会情勢は、この戦争における、
「サイバー戦争」
のように、
「相手の情報をいかにつかむか?」
ということであったり、
「相手を信じさせることや、相手がまったく知らないという間にお金を奪ってしまう」
というような、
「サイバー詐欺」
などが横行している。
そして、男女間においても、
「相手を平気で追い詰める」
というような、
「ストーカー犯罪」
というのが多いというのは、それだけ、社会が、
「誰の身にも起こる犯罪」
という状態になってきたということになるのではないだろうか?
少し大げさな話になってきたが、今度の犯罪は、そんな昭和時代のような、
「まるで、探偵小説」
と呼ばれるような感じだった。
今では、科学捜査がしっかりしているので、なかなかこんな犯罪は、起こらないのかも知れないが、
「探偵小説のようなもの」
と思えばありえないことではないといえるだろう。
そういう意味で、この犯罪の舞台となったところが、
「昭和の頃から続いている教室」
というものだというところが興味深かったりする。
ただ、その教室というのは、世紀末くらいから出てきたものということで、
「前はすたれていたが、また少し増えてきたような気がする」
というパソコン教室だというのは、興味深いところだといってもいいだろう。
特に、この教室は、前述のように、大きく分けると、
「3つのコースがある」
ということで、今回は、その一番人の多い、
「中級コース」
だった。
あまりにも、人が多いので、実際には、4クラスに分けて、曜日と時間を決めている。
その中で、水曜日の夜に起こった事件だったが、水曜日は、前半と後半で、2クラスの講義が行われていて、後半のクラスで起こったことだった。
前半のクラスが終わってから、人の入れ替えを行うのだが、その間が約
30分ということで、結構忙しかった。
掃除を行う人が、3人ということで、一人が一か所を掃除していると、他の人は別会場をしているということで、
「一人だけがその部屋の掃除をする」
ということも当たり前なのであった。
それが、後々問題になってくるのだが、その時は、まさか、
「こんな事件が起こるなんて」
ということで、誰も気にする人はいなかった。
その日は、前半のクラスの講義が終わり、いつものように、掃除を済ませ、後半のクラスの人が入場するのを待つ状態だった。
最初の頃は、
「30分というのはきついですよ」
と言っていたスタッフだったが、実際に慣れてくると、その30分というのは、
「それほそのことはない」
と言われるほどになり、今では、
「20分もあれば」
という余裕を持てるようになった。
前なら、先に終わった人が、遅れている人を、
「まだなら手伝いますよ」
ということだったのだが、今では、もう誰も他の人を手伝おうとはしない。
掃除は、一か月ごとに、担当が変わる、
「3人で、講義室、トイレ、休憩所」
とそれぞれを掃除するようになっているので、皆、
「自分の受け持ちが終われば、あとは休憩をしたり、自分の他の仕事にいそしむようになっていた」
ということである。
掃除をする人は別に、
「専門の掃除の会社からきてもらっている」
というわけではなく、
「教室スタッフが手分けしてやっている」
ということだ。
曜日ごとに、同じカリキュラムで、月曜と金曜だけが、
「前半が、初級コースの人」
そして、後半が、
「上級コースの人」
ということになっているのだが、それぞれに、上級、初級コースのスタッフが掃除を請け負うということであった。
さすがに、初級と上級は、週二回の講義が必要ということで、実際に、
「この二つのコースが、会社での死活問題となっている」
ということで、教室の熱の入れ方も違うのだった。
実際に、中級コースであれば、言い方は悪いが、
「他にも教室があるのだから、そこまで必死になってフォローする必要はない」
と考えていた。
なんといっても、
「初級」
というのは、
「これができないと、目の前に迫っているのは、リストラだ」
ということである。
特に、中高年というのは、
「年功序列の過去の影響から、給料が高い」
ということで、
「完全に、リストラ対象」
ということに以前から言われている。
それが、
「パソコンができない」
ということであれば、それを口実に、
「リストラすることができる」
と誰もが考えることだろう。
だからこそ、恥も外聞も捨て、お金がかかっても、
「パソコンを覚えようとして、教室に通っている」
ということになるのだ。
だから、彼らにとっては、
「背に腹は代えられない」
ということで、
「本当に死活問題だ」
ということになるのだ。