最後の天使
争奪戦
弟の場合は、兄とは違い、考え方がある程度古めかしく、まじめすぎるところがあった。
それは、誰が見ても、
「そうとしか思えない」
ということで、
「奔放気ままな兄と、まじめで堅物の弟」
ということで、親からすれば、
「少しでも、それぞれに、性格が分散されていればな」
と考えていた。
実家は、
「家で商売をしている」
といっても、それは、実際には、会社としては地元では大手といってもいいだろう。
ただ、父親の現当主が、完全に、昔の店というイメージで経営しているので、今時珍しい、
「同族会社」
であった。
何しろ、
「そんな同族会社でもバブルを乗り越えられた」
ということで、それだけ、
「底力があった」
ということであろう。
もちろん、田舎だからこそできた」
といってもいい。
広範囲に手広く商売をしていたのだが、運がいいというのか、そのどれもで、破綻するということもなかった。
それでも、バブル崩壊に反応が早く、まだ利益があったところを、未練もなく手放したことで、バブルのいくもの波を乗り越えることができたということである。
バブルの波は、一つではなく、一つの問題が影響し、どんどん広がっていく。
だから、
「危ないと思われるところは手放すに限る」
ということであり、それを実践したのが、先代だったといってもいいだろう。
実際に手放したところは、引き受けた会社が、その負債を背負うことになった。
つまりは、
「黒字のうちに手放したことで、買った会社が、損を出した」
ということになり、信用に瑕がつくということはなかった。
だから、
「うちは、バブル期にでも、赤字を計上したことはない」
ということで、それだけ、
「先見の明があった」
ということであろう。
これは、
「トップシークレット」
ということであるが、
「私はバブルの崩壊を予知していた」
ということであった、
もちろん、どうなるかなど、想像もつかなかったので、
「このままいくわけもなく、いずれどこかで大変なことになる」
ということが分かっていたので、徐々に、
「会社を縮小していった」
ということであった。
しかも、それは、他の会社が、
「イケイケどんどん」
だっただけに、
「下を向いている会社」
など、
「誰が相手にするものか」
ということである。
だからこそ、
「同族会社でもやってこれた」
ということであった。
ただし、
「大きな会社とは取引の上で、お互いに損はしない」
というやり方で接してきた。
だから、相手も信用を無くすこともなく、別に吸収合併という話もなかったのだ。
そもそも、大企業が合併を考えるほど、一つの業種に特化した会社ではなかった。
小規模な会社をいくつか抱えた、商事会社だったということである。
小さな会社だから、余計に、
「吸収合併は考えず、取引の上で得を取る」
という考えは、お互いの目的に即しているということで、会社の存続を行いながら、
「帝国」
というものをそのまま維持するのであった。
「いずれは、終わりはくるだろう」
ということであったが、少なくとも、
「自分が現役の間は大丈夫であればいい」
と思っていたのだ。
今までの当主は、
「確かに、自分の帝国が大きければいい」
と考えているが、
「それを次代に」
とは思っていない。
特に、
「バブル崩壊」
というものを見てしまえば、
「いくらそれまで大きな会社になっていても、銀行がつぶれれば、もうどうすることもできない」
ということを目の当たりにしたのだ。
前のバブルの時はよかったが、今のように、
「政府によってめちゃくちゃにされた社会で、バブルが襲ってくれば、ひとたまりもない」
ということだ。
つまりは、
「30年も経ったのに、まだ前のバブル崩壊の影響が残っている状態で、もう一度襲ってくれば、あとは、国家が崩壊するだけだ」
といえるだろう。
当主は実際に予知していた。
「今のように、物価が高騰し、給料が上がらない状態」
それを、
「失われた30年」
というが、
「その状態は、確かに、今の日本には悪くないことかも知れない」
と言われる。
それが、
「内部留保」
ということでの、
「企業のため込み」
ということであるが、これがあることで、かつての、
「終身雇用」
というものが少しでも維持できるわけで、そうでなければ、
「ちょっとした不況が襲ってきただけで、すぐに、会社が破綻してしまう」
ということになるか、あるいは、
「大量リストラ」
ということになりかねないということであった。
それを考えると、
日本で失業者があふれないというのは、
「内部留保のおかげ」
ということで、
「失われた30年」
というものも、バカにはできないということである。
しかし、だからといって、
「国家が、利益が出るわけではなく、勝手に戦争をしている」
という国に、寄付をするというのは許されることなのであろうか?
なんといっても、
「結局は、政治家、いや、ソーリ個人が世界に名前を売りたい」
ということだけのために、
「どうして、自分たちが払った血税」
というものを、
「簡単にやらなければいけないのか?」
ということである。
それが、
「この国をめちゃくちゃにした」
と言われても仕方がないことであり、その最たる例が、今から15年ほど前にあった、
「消えた年金問題」
というものであった。
厚生労働省によるずさんな管理」
というものが、
「国民が毎月払っている厚生年金であったり、国民年金というものを、誰のものだか分からない」
という状態にしたというのだ。
その反省がないまま、
「それから10年後」
にあった。
「世界的なパンデミック」
というものの、補助金問題などでも、いくつもの、
「致命的な問題を引き起こした」
ではないか。
なんといっても、
「町民に分配する形で振り込むものを、間違って、一人に全額振り込んでしまう」
ということを行った自治体が、
「最初は隠していたが隠せなくなった」
ということで大問題となった。
振り込まれた人は、
「使い切った」
ということで、払い戻しには応じない。
調べてみると、
「ネットカジノに使った」
ということで、それが分かった海外のカジノが、本人に確認を取らずに、市町村に返したのだった。
「きっと、カジノ側にも何かが」
ということで、
「返してきたのだろう」
ということであった。
問題は残るが、とりあえず、金がよく戻ってきたということで、世間を騒がせた大問題は解決したが、
「ずさんな管理」
というものがどうなったのか、
「人のうわさも七十五日」
ということで、分からずじまいということで、
「どうせ、いい加減なことで終わったのだろう」
としか言えなかった。
「消えた年金問題」
というものから10年以上の経っているのに、まったく行政の対応であったり、管理というものが変わっていないということは、
「政治がめちゃくちゃにした日本という国」