二刀流の行きつく先
「受賞者の傾向がパターン化されている」
などと言われ始めると、
「対策を嵩じないといけない」
ということであった。
だから、審査員を変えて、パターンの払しょくを図ったのだが、それでも、どこまでその傾向が払拭できたのかというと、そこは難しいとことであった。
だから、たまに、
「子供が探偵をするような作品が受賞」
ということもあるし、一度それがあると、数回続くということもあった。
その
「数回続いている」
ということがパターンとなっている時、このタレントが受賞したのだった。
もっとも、
「そこまで気にする必要はないのでは?」
と意見も、K出版社側にはあった。
「今までの、出版社が主催する新人賞や文学賞で、パターンや傾向が偏っているというのは、うちに限ったことではなく。どこにでもあることで、むしろ、それが出版社の色であり個性なんじゃないですかね?」
という人もいる。
それに対して、一定数の賛同者もいたが、何度会議をを開いても、過半数に至ることはなかった。
そこで、折衷案ということで、
「毎年審査員を変える」
ということになったのだが、その方法は、ある意味、
「功を奏した」
といってもいい。
世間には、
「さすが、K出版。柔軟な対応で、それも素早かった」
と、かなりの評価も受け、そのせいか、他の出版社でも、そのやり方をまねるところも出て来たくらいだった。
とは言っても、
「今までの伝統」
と、どうしても、新興勢力の弱さとがあり、定着はしなかったのだ。
もっとも、最初とすれば、
「苦肉の策」
として始めたことであり、そもそも、応募者からすれば、
「パターンが分かっている方が、自分の作風と照らし合わせて、どこに応募すればいいか?」
という傾向と対策を練ることができるのに、それができないということになるのは、
「実にやりにくいことだ」
と考えるのであった。
この時に応募したタレントは、今ちょうど、
「脂がのり切った時期」
ということで、
「テレビドラマを中心に活躍していた」
ということである。
「歌手デビュー」
という話もあったのだが、
「さすがに、3つのわらじは厳しいだろう」
ということで見送りになったが、それでも、タレントとしては、積極的に活動していた。
ただ、この頃になって、本の売れ行きが、さらに伸びてくるのであったが、それは、彼が書いた、
「プロになって三作品目」
が実際にドラマ化されることになった。
それまでの作品も、
「ドラマ化するか?」
という話もあったのだが、ドラマ制作部の方で、
「ドラマ化するには、少し抽象的すぎる」
ということで、彼の作品が、そもそも、他の若者と同じ傾向があり、作風が、
「ファンタジー系だ」
ということから、実写のドラマ化は、
「難しいのではないか?」
と言われていたからだった。
しかし、今回の作品は、
「学園もの」
という雰囲気であり、
「実は、これまで彼が作家として、書けないと思っていたジャンルだったのだ」
しかし、これまで、深夜ドラマ枠で主役や、主要登場人物を演じてきたことで、その世界を、
「演じる側から見ることができた」
ということで、出来上がった作品だった。
しかも、彼がいうのは、
「ドラマの出演を、小説に生かすため、ドラマの内側から見るということを考えた時、主役としてみるよりも、脇役、それも、主要脇役から見る方が、結構勉強になった」
ということであった。
特に最近の彼は、
「主役になると、数がこなせない」
という芸能事務所の考えから、
「主役を一つ出るよりも、重要脇役ということで、数本出る方が、俳優として勉強になる」
と言って、言い含める形で、そんな体制になったのだが、実際に脇役をやっていると、
「まさかこれが、作家としての飛躍につながるとは」
ということで、彼にとっての、一つの区切りとなったのだった。
作家として、
「新たな区切りを迎えた」
ということで、作品はベストセラーとなった。
しかも、
「これは、ドラマ化するには十分だ」
ということで、今度は、
「彼を主人公にして、ドラマを作る」
ということで、
「話題作りにもなる」
という構想ができていた。
この作品が、
「原作も本人」
ということで、
「話題作りには確かに、これ以上はない」
として、満場一致で、
「ドラマ化と、主人公」
ということが決まったのだ。
今までに、
「主人公」
というのは何度も演じてはきたので、誰も、
「この作品の大ヒット」
というのを予感していた。
なんといっても、
「タレントをしながらの、人気作家」
という触れ込みだったので、テレビの視聴率も、それなりの、高視聴率をマークしたのだった。
その間、本の売れ行きも上場で、
「最初に爆発的に売れた本は、ある程度の時期になると、下火になるのが分かるものだが、ドラマ化したことで、少しそれが伸びている」
ということだったのだ。
だが、実際に、ドラマの放送期間が終わると、火が消えたように、本の売れ行きもパッとしなくなった。
本人は、
「かなりのショック」
ということだったが、出版社の方とすれば、
「それもそうだろう」
と最初から分かっていたと感じていたので、気にもならなかった。
しかし、作家とすれば、
「完全に、ブームが去った時の反動のようだ」
と思ったのだ。
彼は、歴史が好きだったので、
「好景気に沸いた後には、必ず不況の波が訪れる」
ということが分かっていた。
しかし、実際にそれを感じてしまうと、急に怖くなってしまったのだ。
その傾向は、
「オリンピック招致」
などによって巻き起こるものというのは分かっていたのだ。
最初は覚悟はしていたはずだったが、なんといっても、最初に、本が売れ、
「ドラマ化」
という話も出たことで、自分がいつになく、
「有頂天になってしまった」
ということを失念してしまっていたのだろう。
「あれほど気を付けようと思っていたはずなのに」
ということで、
「作家として、考えが甘かったのではないか?」
と感じるようになると今度は、
「俺はこのまま、二足の草鞋を履いたままでいいのか?」
と思うようになった。
「二足の草鞋を履くということが、自分にとっての、自慢だと思っていたので、それをどっちかに絞るというのは、その覚悟はできない」
ということを思っていた。
しかも、それまでは、
「二足の草鞋を履くというのは、俺にしかできないことで、それをやめるなどという選択肢は俺にはない」
と思っていたのだ。
それに、出版社も、玄翁事務所も、どちらも、
「二足の草鞋」
というものを促進してくれていたのだった。
実際に今も同じことで、
「今回のは、成功だった」
と、出版社側も、芸能事務所側も思っていたのだ。
「疑心暗鬼」
というものになっているのは、本人だけだったのだ。
「挫折」
というには、あまりにも浅いものではあったが、
「これまで、デビューから順風満帆できたはずだったのに、それが、まわりの大人との考え方のギャップだ」
と思うようになると、