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二刀流の行きつく先

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 という考え方が出てくるのだ。
 非正規雇用というと、当然、正社員よりも給料は安いが、責任と拘束はないといってもいいだろう、
 だから、
「夫婦共稼ぎ」
 という家庭が多くなるわけだ。
 そうなると、そもそも、昼の
「奥様劇場」
 というのは
「専業主婦をターゲットにして作られた番組」
 ということで、
「朝から、家事や買い物が終わってからの、午後のひと時が奥さんにとっての、昼休みというもので。昼寝をする人もいれば、テレビを見るということで、奥さんの休息という意味で、この時間にドラマがあると、毎日継続して見る」
 ということになるだろう。
 それが、共稼ぎということで、
「テレビを見る奥さんが激減したことで、番組構成を変える必要がある」
 というものだ。
 さらに、夕方の、
「特撮やアニメの再放送」
 というものであるが、こちらは、子供の生活体系というものが変わってきたからだといってもいいだろう。
 それまでの、
「昭和時代の子供」
 と、バブルがはじけてからの家族体制が変わったことにも影響があるだろう。
 昔であれば、奥さんが共稼ぎをしている人は実に少なかった。
 その頃の子供は、
「かぎっ子」
 などと言われ、
「かわいそう」
 と思われてきたが、バブルがはじけると、
「かぎっ子は当たり前」
 ということになった。
 だから、子供が家にいても、テレビを見ても、面白くはないだろう。

                 テレビ番組事情

 さらに、ちょうど時代は、
「いじめ問題」
 というものから、
「引きこもり」
 という問題が生まれてきた。
 そうなると、子供がどうしているかというと、
「部屋にこもって、ゲームをしている」
 というのは主流になるのだ。
 まだ、自分の部屋にテレビがあるということも少なかった時代なので、テレビを見ようとすると、リビングに行ったりしないといけない。そうなると、
「家族と顔を合わせたくない」
 と思っているのに、リビングに出ることはできない。
 別に、
「親が嫌い」
 というわけではなく、
「親からいろいろ聞かれるのが嫌なのだ」
 子供からすれば、
「親に心配を掛けたくない」
 という思いもあるのだ。
 だから、子供からは、
「親に気を遣っている」
 といってもいいだろう。
 そんな親に対して、
「喧嘩になってしまう」
 ということで、
「学校でいじめを受けているのに、家に帰ってまで、親と喧嘩をしたくない」
 ということになるのだ。
 親とすれば、学校からも言われていることで、しかも、自分の子供の頃は、
「親と話をするのが当たり前」
 と思っていただろうから、
「子供との会話を大切にする」
 という名目で、
「自分は、親としても責任を果たしている」
 という、
「親としての務め」
 というものだけを大切にしようとしていることは、特に、引きこもった子供には、看破できるというものだ。
 なんといっても、引きこもって一人でいる時間があるのだから、
「これ以上ない」
 というくらいに考えるだろう。
 だから、ある意味、
「引きこもりの子供」
 というのが、一番冷静に見ているのかも知れない。
 しかし、いくら、時間があるといって、すべてが見透かせるわけではない。
 そこには限界があり、すべてを見ているつもりでも、結局は、
「堂々巡りを繰り返しているだけ」
 ということになるのだろう。
 そうなってしまうと、どこかで一度我に返ることになり、
「結局は、繰り返してしまっていることに気づきはするが、冷静に見るということに関しては、誰よりもできている」
 ということになるのではないだろうか?
 しかも、親というのは、
「いつまでも、子供だ」
 と思っているもので、その時点で、
「親と子供の精神的立場は逆転しているのかも知れない」
 しかし、昔からの、
「親と子の関係」
 というのは、本能的にしみついているということになるだろうから、それ以上を言及するということは難しいだろう。
 ただ、
「ゲーム」
 というものにだけ必死になっているというのは、どこかもったいないような気がする。
「何かクリエイティブなことに挑戦したりするにはちょうどいい時間なのに」
 と思うのは、しょせん、
「親の方からしか見ないからだろうか」
 それに、テレビ番組で、社会問題の一つということで、
「引きこもり」
 であったり、
「それに対しての家族関係」
 であったり、その原因となった、
「いじめ問題」
 などというものも、ドラマ化されたりしているが、それを見ていると、そのすべてが、
「大人の目からの一方通行」
 ということにしかならない気がするのだ。
 そんな状態で、
「いじめ問題」
「引きこもり問題」
 が解決するわけはない。
 時系列とともに、交わることのない平行線を描くだけのことだ、
「永遠に交わることがない」
 ということなのだから、そもそも、
「問題が解決するはずはない」
 ということで、
「無限地獄だ」
 といってもいいだろう。
 そして、もう一つ、
「夕方に、再放送番組がなくなったのか?」
 ということであるが、これは、
「放送局側」
 の問題というのがあるからだった。
 そもそも、テレビというのは、
「スポンサーありき」
 だといわれる。
 実際には、
「テレビ番組」
 というのは、テレビさえ持っていれば、某国営放送以外は、無料で見ることができるということだ。
 当然、番組を作るのだから、
「製作費、人件費など」
 莫大な費用が掛かる。
 一つのドラマに言及しても、
「オープニング」
 あるいは、
「エンディング」
 のタイトルテロップにおいて、キャスト、スタッフと、テーマ曲に合わせる形で、
「クレジット」
 されているではないか。
 それだけの人がかかわっているだけである。
「キャスト」
 つまりは、俳優陣に対しての、キャスティング料もかなりなものだ。
 なんといっても、制作にとられる時間、拘束するわけだ。
 番組は30分番組だといっても、ロケ地が離れていた李、キャストの他のスケジュールも考えたりするので、その調整にもお金がかかるということで、
「たった30分の枠に、数日掛ける」
 ということもあるだろう。
 少なくとも、
「話題の人気俳優を数には使わないと、誰も見てはくれない」
 ということで、
「主役で見る見ない」
 という視聴者が多いことから、その費用をケチってしまうと、番組は成り立たないわけだ。
 そして、スタッフもかなりの人件費である。
「脚本、監督、演出」
 はもちろん、
「音楽担当。録音、編集、カメラ、照明」
 というそれぞれの担当がしっかりしての、一つのドラマである。
 そのために、
「その枠の費用をいかにねん出するか?」
 ということで、それをかなえてくれるのが、
「スポンサー」
 というものだ。
 一つの番組で、その提供料によって、コマーシャルを流すということで、
「スポンサーも宣伝になる」
 ということでの、
「ウインウインの関係」
 といってもいいだろう。
 ただ、これが
「再放送」
 ということになると、話が変わってくる。
 実際には、
作品名:二刀流の行きつく先 作家名:森本晃次