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二刀流の行きつく先

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 ということではなく、あくまでも、
「自分の欲望に任せた」
 というものであり、
「ストーカー心理と何が違うのか?」
 というと、
「ストーカーには、罪の意識がない」
 ということだ。
 つまり、
「相手が苦しんでいる」
 という意識がなく、
「相手も自分と同じ気持ちなんだ」
 という、完全な勘違いというものが根底にあるので、却って厄介なのだ。
 動機があって、行う犯罪であれば、警察は動けるが、本人に悪気がなく、復讐のような医師がないのであれば、当初は、それまでの現行法ではどうすることもできなかったというわけである。
 しかし、そんなストーカー犯罪が増えてくると、完全に社会問題になってきた。
 犯人の考えは、
「相手を思いやる」
 という発想がまったくなく、自分本位な発想で、しかも、
「相手は嫌がっていない」
 と思っているのだから質が悪いのだ。
 しかも、中には、
「異常性癖」
 というやつもいて、
「困っているのを見ているのが快感だ」
 と思っているのだ。
「俺の中では。それも愛情表現なんだ」
 ということで、
「自分の行動をすべて、愛情表現」
 という言葉で表しているのだから、始末が悪い。
 いわゆる、
「精神病」
 の範疇となり、
「警察ではなく、医者の世話にならないといけない」
 ということになるだろう。
 今では、
「ストーカー規制法」
 というものができ、警察でも、
「生活安全課」
 というところが、専門で対応に当たることになっているので、それこそ、
「時代の流れ」
 ということになるのだろうが、それが、
「一時の流行」
 というわけではなく、
「その時に発生した、現代の社会現象」
 として定着したというわけだ。
 今でも、
「ストーカー殺人」
 というのは、全国で頻発していて、なくなる気配はない。
 しかもその犯人というのは、裁判所から、
「接近禁止命令」
 というものを受けてのことなのだ。
 つまりは、
「力のある者が、押さえつけなければ、エスカレートしてしまう」
 ということからの、
「殺人事件」
 なのである。
「力のある者」
 というと、それは、警察でしかないわけで、生活安全課としては、確かに、
「110番があれば、優先的に、たくさんの刑事を派遣する」
 という体制を取ったりはしている。
 パトロールというものも、強化してもらい。それが、確かに、
「犯罪の抑制」
 というものに役立っているといえるかも知れない。
 しかし、実際に、
「ストーカー殺人」
 という卑劣な犯罪がなくなるわけではない。
 むしろ、警察の、
「そこまでの対応」
 というのが、まったく役になっていないということだ。
 警察とすれば、
「できるだけのことはしている」
 ということであろうが、実際には、市民を第一線で守るはずの警官が少なくなり、さらには、交番の数が激減しているということを考えると、
「今の警察の体制と犯罪が減らない」
 ということは、実際の数字に表れないものがあるといってもいいだろう。
 確かに、犯罪というのは、数の上では減少傾向にあるということであるが、実際にニュースで報じられる事件というのは、
「重大事件だけが報道される」
 ということであっても、まったく減っているわけではない。
 むしろ、
「全体の数が減っているのに、ニュースが減らない」
 ということは、
「重大事件の比率が上がっている」
 ということではないだろうか。
 今の時代、
「罰則というのは、どんどん厳しくなっている」
 ということで、全体的に犯罪は減っているのだろうが、
「罰則に関係ないところで犯す犯罪」
 ということでは減っているわけではない。
 つまりは、
「物理的に、人海戦術を使ったりしないと防げない犯罪は、今も昔も変わりない」
 ということになる。
 それは、どんなに科学捜査のようなものが進んだとしても、犯罪発生に関しては変わらない。
 警察でよく言われることとして、
「検挙率を上げる」
 ということを必死にやっているようだが、本来であれば、
「発生数」
 を、もっと下げなければいけないのではないだろうか?
 完全に、
「数字に惑わされている」
 ということになるのかも知れないが、なんといっても、警察というところは、
「事件などの何かが起こらないと、行動しない」
 と言われていて、それでは、事件を未然に防ぐことなど、できるはずがない。
 それこそ、憲法第9条のように、
「専守防衛」
 というのと同じで、
「守るためにしなければいけないはずのことを、積極的にしないのであれば、事件を未然に防ぐなどということはありえない」
 ということが分かっていないのだ。
 要するに、
「事件が起こるかも知れない」
 という予知はできても、
「手が出せない」
 ということで、
「警察は、ただ見ているだけで、事件が起こってから行動する」
 ということしかできないわけだ。
 日本という国は、結局そういう国で、
「冤罪を生む」
 ということも、まわりまわって、
「事件が起こるまで何もできない」
 という体制が、すべてを悪い方に導いているのかも知れない。
「犯罪の凶悪化」
 と言われ始めて久しいわけだが、今では、慢性化してしまったその言葉、その間に、いろいろな議論を重ね、対策だって取ることができただろう。
 それができないということで、犯罪者には舐められ、国民からも、あてにされることもなく、
「国民との温度差が、どんどん広がっていく」
 という警察を、誰が相手にするということになるのだろうか?
 そんなことを考えると、
「奥様劇場の時代」
 というのは、ある意味、
「昭和という時代を象徴していた」
 といってもいいかも知れない。
 さらに、夕方あたりになると、今度は、アニメや特撮の再放送があっていた。
 その時間は、
「子供が学校から帰ってきて、宿題を終えてからの時間となるだろう」
 まだまだ学校で遊んでくる子供もいるだろうが、帰ってきてから、テレビに向かう時間が、ちょうど、
「再放送の時間」
 となるわけだ。
 しかし、今の時代はどうなのか?
 午後の、
「奥様劇場」
 というものがなくなり、へたをすれば、今の時代は、朝から夕方くらいまで、ほとんどが、ワイドショーであったり、情報番組というものではないだろうか?
 これには、一つの大きな時代の変革があったといってもいいだろう。
 それが、昭和末期から平成初期にかけての、
「バブル経済から続く、バブル崩壊」
 というものによるものなのだ。
 特にバブル崩壊で何が起こったのかというと、
「企業が破綻を免れるために行う方法」
 としての、
「支出を減らす方法の最善策」
 いや、
「手っ取り早い安易な方法」
 ということで、
「リストラ政策」
 というものがある。
 これは、簡単にいうと、
「首切り」
 というものである。
 それによって、
「収入が断たれる」
 という家族が増えてくるわけで、そうなると、今度は、
「奥さんが働かなければいけない」
 ということになる。
 さらに、企業側は、
「今度は人手不足」
 ということになるので、それを防ぐために、
「非正規雇用」
作品名:二刀流の行きつく先 作家名:森本晃次