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二刀流の行きつく先

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 というのは結構いたものだが、今は、ピッチャーが打席に入っても、
「すべて見逃して、三振してもいい」
 という程度だった。
 明らかに昔の野球との違いというと、一番はっきりしているのは、
「ピッチャー側の問題」
 ということだった。
 一番の変革というと、
「昔でいうところに、先発完投ということがなくなった」
 ということになるだろう。
 確かに。打順はよほどのことがない限り、9番ということになるので、
「完投しても、最低は3回は回ってくる」
 ということになるだろう。
 だから、三回回ってくれば、
「普通のバッターと同じ」
 という条件で、打てる打てないは別にして、対応はできるのである。
 しかし、今の時代は、
「分業制」
 ということになっていて、先発ピッチャーでも、
「球数制限」
 というものがあり、平均として、
「6回まで投げればいいだろう」
 ということで、それ以上は、
「1イニングずつ」
 ということを都合に、監督コーチは考えているだろう。
 もちろん、その間に、
「ワンポイント」
 なども挟むと、1試合に、6人のピッチャーは必要だということになるだろう。
 そうなると、先発ピッチャーでも、
「2回打席が回ってくればいい方だ」
 ということになる。
 しかも、途中で、ピッチャーにチャンスで回ってきた場合は、いくらまずまずの投球をしていても、監督は、
「ここだ」
 と思えば、
「代打を出す可能性が高まる」
 というものだ。
 だから、
「2打席しかないので、バッティングに集中することはない」
 ということで、もし、チャンスに回ってくれば、
「送りバント」
 というのが、定石だということになるだろう。
 そうなると、
「もし、二刀流ということであれば、投げない日の他の日に、指名打者で出る」
 という程度になるだろう。
 ただ、それも実は簡単なものではない。
 体調面の個人的なところは個人が調整するのだろうが、采配面ということであれば、監督コーチの責任は重たい」
 ということだ。
 それを考えると、二刀流というのは、
「球団スタッフであったり、ファンからすればありがたい」
 と言えるだろうが、実際に試合をする選手や監督などからすれば、
「これほど厄介なことはない」
 と言えるだろう。
 実際に、
「本当に大変でした」
 と、監督を辞任した人が、監督時代を振り返って、
「二刀流選手を抱えた采配」
 ということでの、裏話や気苦労を聞いてみた時があったが、その本音を、その人は話していたのだ。
 そもそも、
「歯にものを着せぬ」
 という言い方が、ファンに人気のあった監督だったので、そのインタビューは注目を浴びていて、
「これほど面白いものはない」
 ということでもあった。
 この監督は、実は、この人も、
「二刀流」
 であった。
 というか、
「二足の草鞋」
 と言った方がいいかも知れない。
 ただ、この人の二刀流というのは、
「ピッチャとバッター」
 ということではなく、いわゆる、
「プレイイングマネージャー」
 つまりは、
「選手兼監督」
 というものであった。
 実際に。最近も、数人の人が、
「プレイイングマネージャー」
 というものを試みた、
 とは言っても、その主流は、
「監督業」
 の方である。
 だから、選手としての練習はほとんどできず、出場するとしても、そんな重要な場面ではないところで、
「代打」
 としての出場くらいだったのだ。
 昔は、一時期。
「プレイイングマネージャーが多かった」
 という時代があり、実際に、
「試合に出ながら、采配を振るっていた」
 という人も少なくなかったのだ。
 だが、この監督は、すでに、60歳を超えているので、さすがに、
「選手」
 としては無理であったが、その人が、
「選手兼監督」
 というものをしていた時は、
「約10年間、その責を全うした」
 ということであった。
 しかも、ポジションはキャッチャー。ただでさえ、重責を担うというところであった。
 もちろん、そのためには、その人が監督を引き受けるときの条件というのがあったのだが、それが、
「自分が指名する人をヘッドコーチとして招集できなければ、監督は引き受けない」
 ということだったのだ。
 年齢的にも、まだ30歳に差し掛かったくらいで、選手としては、中堅クラス」
 つまりは、
「選手やコーチに、自分よりも年上がかなりいる」
 ということである。
 コーチともなれば、ほとんどが年上で、気を遣ま分ければいけないというのも、プレッシャーだったかも知れない。
「監督としての重責」
 さらに、
「キャッチャーで4番」
 ということだったのだ。
 そういえば、前に、
「プロ野球界のスーパースター」
 が引退し、そのまま、そのチームの監督を引き受けることがあったが、その時、
「前の年は、優勝したのに、翌年には、最下位になった」
 ということで、
「名選手、名監督にあらず」
 という言葉が以前からあったが、
「それを証明したようなものだ」
 と言われたが、ある本に書かれていたこととして、
「いやいや、そりゃあ、不動の四番で、チームをけん引していた人が引退して、その穴が開いたのだから、それは、最下位になっても無理もない」
 と言うことだった。
 それを見て、
「ああ、なるほど、どうして誰もそのことに気づかなかったんだ?」
 ということであったが、どうしても、ファンというのは、しょせんは他人事、目先のことしか見ずに、定説を信じ込んでしまうというのは、そういうことなのだろう。
 それが、監督と選手というものの問題ということで、言われた一つであったが、この時の、
「選手と監督の二刀流というのも、それに近いくらいのものだっただろう」
 実際に、その選手は、監督になってからも、10年以上、そのチームで、
「キャッチャーど4番」
 という重責を担ってきた。
 確かに、
「今の時代のスーパースター」
 ということで、
「ピッチャーとバッターの二刀流」
 というのが、世界でもスーパースターと言われているということであるが、
 かつて日本で、
「選手兼監督」
 というものを、10年以上も続け、その間、選手としても、ずっと、
「キャッチャーで4番」
 ということをしていたというのだから、すごいことだったのだ。
 その間に、
「一度しかリーグ優勝がなかった」
 というが、
「優勝したというだけですごい」
 と言えるのではないだろうか?
 そして、こんな人は二度と現れないといってもいいだろう。
 実際に、
「選手兼監督」
 というのは、数人いたが、実際には、
「選手としては、ほとんど出場していない」
 ということだったので、どれほど大変だったのかということである。
 また、その
「偉大な選手兼監督」
 をこなした人が監督として、
「プロ野球の改革者だった」
 ということも、忘れてはいけないことであった。
 自分で考えて、改革したこともたくさんあったが、
「アメリカの野球のいいところは取り入れる」
 ということで、結構積極的だった。
 それが、
「監督としての、技量だった」
 ともいえるだろう。
作品名:二刀流の行きつく先 作家名:森本晃次