二刀流の行きつく先
への応募作品を書いている時、数回の、
「エキストラとしての、出演を行い、エキストラ要因ということで、芸能事務所からは、認知されていた」
ということであった。
しかし、
「俳優としての契約まではしていない」
それは、彼の側の事情で、
「私は、小説の方も書いているので、そうそうエキストラとはいえ、出演もできない」
ということであったが、
「それならしょうがない」
ということで、
「臨時で声を掛けられるようになっていた」
ということであった。
実際に、ドラマ制作部などからは、
「彼をもう少しいい役に抜擢すればいいんじゃないかな?」
ということで、
「今のままだったら。もったいない」
とまで、いう人がいたくらいだった。
そんな年の
「K出版ミステリー大賞」
というものに、初めて最終選考にまで残った。
それは、
「中間発表」
というものがされる前に、
「最終予選通過者には、事前に連絡がいく」
ということで、実際に連絡がきたことで、彼とすれば、
「よかった。これで、少なくとも、これからも作家として活動を続けていくことができる」
と思ったのだ。
プロとしてのデビューができているわけではないが、彼の頭の中では、
「プロを目指して真剣に活動していれば、それはすでに、作家と呼んでもいいだろう」
と思っていたからだった。
確かに、
「プロ」
という言葉には、結界のようなものがあると考えていたが、彼は、その言葉にはこだわるつもりはなかった。
「プロを目指して。真摯に作品に向き合い、そして努力をするということが尊いのだ」
ということをわきまえていたからだった。
それは、
「芸能活動というものに対しても同じこと」
であり。
「エキストラであっても、決しておろそかにしない」
と思っていたのだ。
確かに、
「タイトルテロップで、クレジットされるような人たちよりも目立ってはいけないのだろうが、エキストラの中で、目立っていればいい」
と思っていた。
ただ、それは実際には難しいことで、どうしても、目立とうという気持ちが出ると、オーラが出るのは仕方がない。
ということであった。
それを、忍者のように、
「気配を消せる」
という俳優になれればいいと感じるようになった。
ただ、そのおかげか、彼には他の人にはない
「自分だけのオーラ」
というものが生まれてきて、しかも、自分の気配を自在に操れるところに近づいているということを、スタッフが分かってくると、今度は、彼の芸能事務所での地位が、次第に上がっていたのだった。
ただそれも、
「小説との両立」
ということが、その時ネックになっていたのだ。
「足かせになっていた」
といってもいいだろう。
「それを解決する手段が、一つある」
ということだったのだが、それが、
「彼の、K出版社賞受賞」
というものの、裏工作だったのだ。
そのことは、本当にごく一部の、
「最高機密事項」
といってもいい。
幸いなことに、
「選考に関してのことは、誰にも漏らさない」
ということが、当たり前とされていたので、画策するには、実に好都合だった。
実際には、
「選考を漏らさない」
ということは、これまでにも、
「出来レースが行われていた」
というのは公然の秘密であった。
実際に、今回のように、
「芸能人のタマゴ」
であったり、
「これから売れる」
ということが確約されているというような有望タレントなどが、
「もちろん、金の力というものが不可欠ではある」
ということでの、
「出来レースが出来上がっていた」
ということだったのだ。
こんな話が表にもれれば、それこそ大変なことであるが、考えてみれば、
「前述の、自費出版社系の詐欺会社の人のセリフが思い出される」
ということであるが、
「やつらが、いわゆる企画出版といわれる、自分たちですべての製作費を出して本を制作する」
という、まさに、
「プロ相手」
の出版方法は、提起はしているが、実際にはありえないということで、いっていることとして、
「知名度のある人でないと、企画出版などありえない」
というのだ。
それがどういう人かというと、
「芸能人か、犯罪者しかない」
と言い切ったのだ。
それを聞いた何人かのアマチュア作家は、
「これは詐欺だ」
と気づいたことで、それ以上の悲劇的な被害にあわずに済んだということだったのだ。
つまり、
「芸能人や犯罪者は、名前が売れているから、売れる可能性はあるが、お前たちのような無名の書いた本を誰が買うというのか?」
というのである。
「宣伝広告はこちらでやる」
と言っておきながら、その費用を出させ、
「定価に発行部数を掛けた値段よりも、高い値段で、吹っ掛ける」
というのである。
そもそも、出版社が提案してきたのは、
「作者と出版社が出版費用を折半する」
という、
「協力出版というやり方」
である。
これは、
「お金を出してでも本にすれば、どこかで誰かの目に触れて、作家デビューというのも夢ではない」
ということになるというのだ。
もっとも、
「本屋が、素人の作品などを置くわけはない」
という当たり前のことを失念しているから、詐欺に気づかないわけで、それだけ、
「詐欺が巧妙だった」
ということかも知れない。
ただ、こんな口八丁手八丁が通用するわけもなく、
「自費出版社系の会社」
というのは、ピークとして、1年か2年ろいうことであったが、そこから先は、裁判沙汰になり、
「たくさんの作者から訴えられる」
ということで、それまでが、そもそも、
「自転車操業」
なのだから、信頼をなくしてしまえば、あとは、
「一気に奈落の底に叩き落される」
ということになるのであった。
それを思えば、
「自転車操業というものが、そのまま詐欺につながる場合もある」
ということで、
「本を出したい」
と思っていたたくさんの人が、この事件を契機に、
「小説を書く」
ということまで辞めてしまったのだ。
それだけ、ショックが大きかったということになるのだろうが、それよりも、
「にわか作家」
と言われる人が、
「どれほどたくさんいたか」
ということであり、
ある意味、
「作家志望者というものが整理された」
というのは、業界とすればよかったのかも知れない。
一種の、
「浄化作用だ」
といってもいいのではないだろうか?
だから、新人賞や文学賞に応募するという人も、
「洗練された作品が多くなった」
と言えるのではないだろうか?
「下読みのプロ」
というのも、楽になったといってもいいだろう。
そんな作品をたくさん書いてきた彼ではあったが、
彼の運命を変えることが、彼の知らない世界で起こりつつあったことを、その時まだ。誰もしらなかったのだ。
二刀流
高校野球では、
「エースで四番」
というのは当たり前、
などとよく言われてきたが、プロになってからの
「二刀流」
というものは、なかなかいなかった。
昔のプロ野球であれば、
「バッティングのいいピッチャー」