花丸重工株式会社の天下り大作戦
缶ビールを次々に空にしながら私は白い軽自動車を猛スピードで東に走らせた。夕陽に染まる名古屋港フェリーターミナルは、人と車の喧騒に包まれている。私は周りを気にしながら軽自動車を積み込む。汽笛が旅立ちを促して白と青の大きなフェリーが岸壁を離れた。巨大な名古屋大橋の下を潜り抜けると私の過去と未来の境界が分断されたような気がした。
仙台港に上陸してあてどもなく、車を走らせた。西日本では冬は麦を栽培しているのに、東北の田んぼは殺風景の乾燥した裸地のままほったらかしだった。でも景色が違う別世界に来たことだけが慰めになった。それでも足りない心の裂け目は酒で満たす。頭の中では、たわけ! たわけ! という声がいつまでも鳴り響いていた。
人生がこれほど空虚なものだとは思わなかった。
二〇一一年三月十一日十四時四十六分、私は三陸海岸の堤防に立ち、軽自動車に体をあずけて海を見ていた。無精ひげが長く伸びて潮風になびいていた。
どこで道を間違えたのだろう。私は花丸重工の設計技師として順調にキャリアを重ねてきたつもりだった。もう花丸重工には戻れないのにいまだに船の設計図がぐるぐると頭の中を回っていた。
突然めまいを感じた。立っていられずに膝を付いた。
二日酔い? いや違う。
地震だ! スゴイ地震だ! コンクリートブロックの継ぎ目が魚のエラのように開閉している。地震が収まってしばらくして気が付いた。
そうだ、地震の後には津波が来る。これで私の苦しみをすべて終わらせよう!
車窓から悪臭が漂ってきていた。車中泊生活で生ごみが車内に溜まっているのである。でも、もうすぐ海水が満ち溢れて浄化してくれるだろう。
陸側を見渡すと、広大な平野に乾燥した冬の田んぼが広がっていて、川沿いには芦原が広がっている。近くに小学校が見えた。その小学校の体育館に子供たちが次々に入っていった。中に人影が見えるが、避難しないのだろうか? 急がないとまずいだろう。急がなくていいのは私だけだぞ。まあ何か理由があるのかも・・・・・・。
しかし二十分経っても避難する様子が見られない。
臭気を振りまく軽自動車で体育館に急ぎ乗り付けた。
「おい! 早く避難しろ! 津波が来るぞ!」
「先生がバスを呼んでくると言いました。車いすの子もいるのでバスを待つことにしています」
「そんなこと言っている場合じゃない。早くおじさんと避難するんだ」
「知らない人に付いていっては行ってはいけないと先生に言われました」
「タワケ! 自分のことは自分で決めろ! それは人生で一番大切なことだ!」
私は絶叫した。
「津波が来たらその時にすぐ逃げれば大丈夫だと思います」と誰かが言った。
そのとき、背の高い女の子が立ち上がって大声で言った。
「バスが来ないと言うことは何かあったんだと思う。津波は来たと思った時にはもう間に合わないってじいちゃんが言ってた。今すぐ逃げよう。田んぼを横切って山に登るのが一番早い。梅ちゃんは私が背負っていく。急ごう」
海水が体育館に到達したとき、私とは子供たちは山裾の急斜面にたどり着いていた。私も梅ちゃんの車いすを担ぎながら、ヤブをかき分けて上を目指した。
体育館があっという間に黒い地獄に飲み込まれていった。
「がんばれ! もうすぐ頂上だ。全員いるか!」
暗い杉林の中に集まって焚火をした。私の持っているライターが役に立った。日が傾くと泥と潮の臭いが冷気と共に上がってきた。
子供たちは力を合わせて木の枝を組み、風上に簡単な風よけを作った。寒さがかなりましになった。農家の子供たちはしっかりしていると私は思ったが、闇が迫ると子供たちはみな空腹と不安でしくしく泣き始めた。
おじちゃんはどんなお仕事をしているの?
おじちゃんの仕事は旅をすることなんだ。
どこに行く旅なの?
目的地のない旅をしているんだよ。
ぼくもおじちゃんみたいに自由に生きたい。自由ってかっこいい。
自由って自分のことを全部自分で決めることを言うんだよ。誰でもできるけど
ほとんどの人ができない特別なことなんだ。
おじちゃんの名前はなんていうの?
おひげのおじちゃんでいいよ。
オトナの人がいると安心する。おじちゃんありがとう。私もおじちゃんみたいに自分の事を自分で決められるりっぱなオトナになるからね。
朝日が昇り、昼が来た。午後二時ごろ、男の太い声が聞こえた。人間が出しているとは思えないような大きな声だ。
うおーい! 誰かいるか! 返事をしろ! うおーい!
子供たちが次々にわんわん泣きながらそちらの方向に走り始め、私は反対方向に走り去った。
新聞は子供たちの奇跡的な生還を紹介し、名前を名乗らない無私の人物が命がけで子供たちを救った美談として広めた。五年後には、海の見える丘の上に神社が建立され、「おひげのおじちゃん神社」と名付けられた。
そして有名書道家が書いた巨大な扁額が奉納された。
Take your way 自分の事は自分で決める。それは人生で一番大切なこと
震災で危機に陥った子供たちを助けたことで、生きる意欲が湧いてきた。自分にも生きる価値があるのかもしれない。人の役に立つことがこんなにうれしいなんて思ってもいなかった。生きていれば何かいいことがある。
被災地の避難場所では報道関係者が多く、顔を写されるとまずい。西へ、内陸へと歩いた。津波で軽自動車を失い、所持金の残りも少なくなってきていた。生きるために再び冬が来る前に何か仕事を始めなければ。
スーパーマーケットで段ボールを集めて物陰に積み上げて寝床にする。そしてコンビニで賞味期限切れの食品をねだると、裏に回るように言われて、置いてあるものを得る。別のホームレスと取り合いになることもあった。
野宿はきついがそれでも酒は欠かせない。居酒屋で外国人のたどたどしい日本語を聴いた。聞き耳を立てていると養鶏場に勤務しているらしい。日本人とベトナム人の従業員の飲み会らしい。片言の日本語で、職場は山奥なので町に出づらい、賃金はいいけど外部との交流も娯楽もないという愚痴だった。
人里離れた場所で交流がないというのは私にとっては理想的な職場だ。スマホで調べてみたら、求人広告があった。本屋でベトナム語の本を買い、1週間必死に勉強して、スマホで発音を覚えた。
養鶏場に電話をした。
「私、サイトウモキチと申します。長い間、世界中を放浪して最近帰国したのですが、ネットを見てお電話しました。体力には自信があります。ベトナムにいたことがあるので、ベトナム語を少ししゃべれます。雇って頂いてお役に立てば幸いです」
自分のでっち上げたウソに呆れたが、こうして私は生活の糧を東北の地で得た。
ベトナム人は私のへたくそなベトナム語を喜んでくれた。彼らは家族の話ばかりしている。ベトナムに家族がいるからお金が欲しい。山奥は寒いけどお金が溜まる。家族に会えないけど仲間がいるから大丈夫。サイトウさんもいるから寂しくないとのこと。
職員食堂は日替わり定食一択。何種類か選ばせると一番安いものばかり食べて栄養失調で倒れてしまうらしい。
作品名:花丸重工株式会社の天下り大作戦 作家名:花序C夢