花丸重工株式会社の天下り大作戦
「天下りの人はみな働かず、私は毎日罵倒されながら十人分の仕事をやらされてきました。その挙句の果てに、犯罪の濡れ衣を着せられて警察に逮捕されるなんてまっぴらです。この会社は債務超過が三年間続いています。粉飾決済で延命しているだけのこの会社はもう終わりです。この港は花丸重工に搾取されている中小企業の憎しみが渦を巻いています。密告も放火も当然の結果でしょう」
花丸倉庫社長はかつて繁華街の小料理屋の女将をだまして子供をもうけた。それが山際である。彼は片親という境遇のため、押しつぶされるような差別と偏見に耐えて育った。この地方では先祖から連綿とつながっている系譜がないという負い目はつらかった。弁当のおかずが貧弱で学校では肩身が狭かった。働きながら病弱の母親を支え、法科のある地元の大学に死に物狂いで入学し、二十歳の時に未払い分の養育費を要求する内容証明郵便を花丸倉庫社長に送り付けた。
面会するという返信がありその場所に出向いた。
社長はホテルのラウンジのソファーにふんぞり返っていた。長い間憎悪の対象であったが、やっと会うことができたというかすかな甘い感慨もあった。
しかし、いきなり社長から思いもよらない言葉をかけられた。
「お前は断じて私の息子ではない。家庭の温かさを知らずに育ったとか、苦労したとか女々しい理由で金をせびるせこい若造など知ったことか。男は生まれた時から素っ裸の一匹狼だ。お母さんを幸せにしたかったら男に成れ。大学を出たらうちの会社に入れ。うんとしごいてやる。それに耐えて男になったら次期社長にしてやる。世界一の軍艦を造った花丸重工株式会社の一翼を担う男の本懐。不沈艦花丸重工の脇を固める駆逐艦だ。わかったか」
大きな声でそう言うと社長は声を潜め、これでお母さんに旨いものでも食べさせてやってくれと言い、肩を叩いて三万円を渡した。
入社した山際は資本金二億円の花丸倉庫株式会社社長の座を譲るという言葉を信じて懸命に働いた。花丸重工の子会社だから安心だ、という言葉も信じていた。貸借対照表を理解して、杜撰極まりない粉飾決算の実態に気づくまでは。
パソコンの画面に見入っていた社長が、他人事のように静かに言った。
「クルーズ船運営会社が損害賠償請求をしてきました。わが社の不適切な申請行為でオペレーションに支障をきたす事態になったと言っています。困りましたねえ。思ったより早かった。とりあえず二千万ドルの請求です。常務! 君は担当役員ですから商法第千三百七十五条に基づき、この全額を自己弁済する義務があります。今日明日中に全財産を自主的に提供してください。嫌なら裁判所に差し押さえを請求します。問題は、私が把握しているあなたの個人資産では足りないということです。どうやって全額を工面するのかお教え願いたい!」
「そんなことを急に言われても困ります。私は自分の意志でこの会社に来たんじゃないんです。私は理科系の人間で通関代理店業務なんて専門外です。勘弁してくださいよ。自腹を切るなんてあんまりです」
「会社役員は委任契約です。自分のしたことに全責任を取るのは商法上当たり前です。君には奥さんと娘さんがいましたね。さあ早く、誰か常務の家族を連れてきてください」
唖然としているうちに、妻と娘が連れてこられた。
「ご主人の小野寺さんは英語も専門知識もないから仕方がないという女の腐ったような理由ででたらめな申請行為を行い、わが社に大損害を与えました。法律の規定により彼の全財産をすべて提供して頂くことになります。あなた方におかれましては今すぐご自宅からの退去を願いします。しかしそれでもまだまだ金額が足りずに彼は責任を果たせそうもありません。お二人は体を売って、小野寺さんを助けることになりました。家族のためなんですから当然ですよね。小野寺さんも同意していますよ」
藤原役員が私の後ろに回って肩をもみ始めた。
「そうだと言うんだ! これでもか! たわけ! たわけ! たわけえ!」
「ぎゃー、痛い、痛い、やめてくれ!」
突然、妻が金切り声を上げた。
「こんなのもういや! 私はこの人を愛して結婚したわけじゃないんです。他に好きな人がいたのに、この人は花丸重工の人だから、絶対大丈夫、将来は食いっぱぐれ無しだってまわりから強く言われて仕方なく結婚したんです。毎日毎日、家庭内の奴隷として我慢に我慢を重ねてきたんです。もういやです。絶対離婚します。私はもうこの能無しとは関係ありません。失礼します」
娘と夫を振り向きもせず、泣きながら去っていった。妻は無口で自我の薄い女性だった。上司の紹介による見合い結婚だったが、私の家族ともうまく行っていなかった。よそよそしい関係は結婚後も続き、仕事が忙しいのでさらに疎遠になっていった。その代わり一人娘は大切に育てていたつもりだった。地元の大学に進学しており、将来的には花丸重工の有能なエリート社員と結婚させようと思っていた。
娘はショックのあまり失神して倒れた。激しく痛む肩を押さえながら、私は声を振り絞って言った。
「何でもするから娘にだけには手を出さないでくれ」
こうして私は花丸系列のビジネスホテルに監禁され、銀行から個人で二十億円を借りることになった。花丸重工株式会社の裏の意向で新しいビジネスを行うためとうそをついたのが効いたのか、翌日には小切手が用意された。
生命保険の書類にサインさせられた。無人のレンガ倉庫に連れて行かれたころには深夜になっていた。コンテナ船に対応できないこのふ頭エリアは使われなくなって久しい。
花丸倉庫社長は人払いを命じて私に向き直った。
「私は戦争中、まだ中学生で、花丸重工で軍艦を造る勤労奉仕をしました。ボンボン育ちだったのに毎日殴られました。それでも駆逐艦が進水した時には、自分が造った船が日本を救うのだと思い、花丸への感謝のあまり涙がでたんです。巨大な魚雷を十五本搭載する島風型駆逐艦。巨大戦艦をも撃破できる日本帝国海軍の秘密兵器です!」
社長はその時のことを思い出したのか遠い目線をして曲がった背筋をぐいと伸ばして造船ドックに向かって敬礼し、涙声になった。
「だから花丸重工には頭が上がらない。なんとしても死ぬまで花丸系列の社長を続けたい。花丸のためならなんでもする。あなたや社員、そして自分の家族を地獄のどん底に落としても。さてクルーズ船運営会社はこれからも折に触れ、わが社に賠償請求をしてくるでしょう。あなたの資産と二十億円では足りません。そういうわけで貴方は保険金を得るために湾内の水底に行きます。水死は苦しいです。楽に死にたいならロープとホイストクレーンがそこにあります。自分でロープを首にかけて黒いボタンを押せば天井まで上がっていきます。でも、遠くに逃げて名前を変えてゼロから新しい人生を始めるならあの白い軽自動車をあげましょう。私からの餞別百万円が入っています。さあ、白か黒か、ご自分で決めてください」
黄色い太陽が東の空に昇り始めた。
死にたくない! 死にたくない! 理屈抜きに死にたくない!
作品名:花丸重工株式会社の天下り大作戦 作家名:花序C夢