闇が作り出した幻影
という、いわゆる昔からある、
「自費出版」
というものである。
この三種類を提案するわけだが、
「企画出版以外は、筆者が必ず批評負担ということなので、見積もりが発生する」
というわけである。
だから、作者は、
「企画出版を目指して、原稿を送り続ける」
というわけである。
だが、それも最初のうちだけで、実際に、
「作品を送り続けるうちに、相手の営業の態度が変わってくる」
ということがあるようだった。
要するに、
「何度も送ってくるくせに、なかなか本を出そう」
ということをしようとしないということであった。
作者とすれば、
「企画出版を目指すのは当たり前」
ということで、出版社が、
「協力出版を言ってきても、企画出版を目指す」
ということをいうに決まっている。
だから最初から、
「企画出版を目指す」
というのだ。
相手の営業は最初こそ、
「あなたの作品は、他の人の作品に比べて、素晴らしい」
と言って褒めちぎったうえで、あたかも、
「協力出版でも、あなたの作品は最優秀の部類だ」
などと言われると、
「あと少しで企画出版」
と思うではないか。
しかし、それを相手は、
「あくまでも協力出版で」
と言ってくれば、こちらも、
「企画出版を目指します」
ということで、
「原稿を送り続けるしかない」
というわけだ。
しかし。実際には、そうはうまくいかない。そんなことを繰り返していると、原稿を送り始めて数回してから、出版社の方から、
「今回が最後」
と言い出すのだ。
「何のことか?」
と思って聞いてみると、
「あなたの作品は、今まで自分の一任で、出版会議に挙げてきたが、それも今回が最後」
というわけだ、どういうことかと聞いてみると、
「企画出版のためには、出版会議に推薦しない候補にも挙がらないが、今までは自分の一任であなたの作品をひいきしてあげてきた」
と言い出すのだった。
作者は
「うさん臭い」
と思ったので、すでにその時には、半分切れかかっていたが、それでも冷静に対応した。
「優秀な作品だから、企画出版の候補に挙がったんじゃないですか? あなたは今までそういってきたではないですか?」
というと、
「ええ、そうなんですが、それにも限界がある」
と言い出した。
作者の方とすれば、
「ははん、なるほど」
と感じてはいたが、それでも自分がいう言葉は一緒で、
「自分はそれでも企画出版を目指すだけです」
というと、相手が今度は切れてきて。
「それが今回で最後だというんです」
というので、こっちも引き下がれないとばかりに、
「それでも、企画出版を目指す」
というと、相手は逆上し、
「そんなことは無理です。編集者の営業が上にあげなければ無理ですから」
というので、さすがに腹が立ち、
「本当に企画出版などということを、おたくは考えているんですか?」
と聞くと、
「はっきり申し上げて、企画出版というのは100%ありません」
と開き直るではないか。
「だったら、企画出版などという甘い言葉で作者をだますなよ」
というと、相手は、
「もし、うちが企画出版を行うとすれば、それは、相手が必ず本が売れるという確証がないとありません。すなわち、著名人だけです」
という。
「どういう人なんだ?」
と聞くと、なんと相手の口から出てきた言葉は、
「プロの作家か、犯罪者だけです」
というのだ。
ここに至って、さすがに呆れかえった作者だったが、これではっきりしたわけだ。
というのが、
「自費出版社系の会社というのは、詐欺商法だ」
ということである。
それまで、出版業界において、出版のためのハードルを、その問題点を治す形で、出てきたことで、
「新しい出版社のありかただ」
ということで、あたかも、
「新興業界」
ということで、
「世の中のトレンド」
ということになっていたが、さすがに、
「世の中そんなに甘くない」
ということになるのだ。
それでも、そんな出版社が多い時には十社近くまであったのだが、どの会社もやり方は同じで、正直、
「そのほとんどは、二番煎じ」
ということであった。
だから、オリジナリティがないので、その隙をつけれると弱いわけである。
そういう意味では、
「詐欺を感じさせた企業」
というのは、シビアだけど、経営とすれば、ひょっとすると間違っていないのかも知れない。
しかし、それは、
「経営」
という意味でだけで、
「継続」
ということでは、限界があるだろう。
最初から、
「数年儲ければ、あとは引き際が肝心」
と思っていれば、大きな損はないということである。
そもそも、それが流行というもので、どこまでできるかは、経営陣の才覚によるものであろう。
実際のやり方であるが、冷静に考えると、
「単純な自転車操業」
である。
つまりは、まず雑誌や新聞に、
「本にしませんか?」
ということで、
「本を出したい」
と思っている人の心を揺さぶる。
小説を書いている人のほとんどは、前述のような、出版業界の闇を知っているので、少なくとも、
「批評をしてくれる」
ということで、
「ここなら信用できる」
という考えになり、出版社に原稿を送るということを繰り返す。
だから、まずは、
「宣伝広告費」
というものが、大きな支出となる。
さらに、送ってきた原稿に対し、批評して見積もりを作り送り返すことになるわけだが、その時担当をした人が、その作者の担当ということになる。
つまり、一人の社員でたくさんのことをするので、それだけ、応募作品が多ければ、たくさんの人件費がかかるというわけだ。
一人の給料も、これだけの仕事をさせるのだから、それなりにかかるというものだ。
きっと、
「小説家のタマゴ」
ということで、一度デビューはしたが、その後が続かずに、鳴かず飛ばずだった人に対して、
「いい商売がある」
とでも声をかけたのだろう。
まさか、
「詐欺の片棒を担ぐことになる」
と思っていたかどうかわからないが、結局は、それが大きな問題となるわけだ。
だから、あくまでも、この会社とすれば、
「本を出したい」
ということで、
「協力出版に応じてくれる人を、どれだけ増やすか?」
ということになる。
前述の作家のように、
「企画出版を目指す」
という人ばかりでは、
「時間と費用が無駄」
ということになり、自転車操業がうまくいかないというのは当たり前のことであり、営業成績が上がらないと、その人の会社での立場も悪くなるということなので、切れたのも、ひいき目に見ればしょうがないことなのかも知れない。
ただ、この会社の致命的なことは、
「本にすれば、全国有名書店に一定期間置く」
というのは、規約としてうたっていたことであった。
実際には、そんなことができるわけはない。
特に出版不況と言われ始めたその時代、プロ作家でも、毎月何十冊という本が出るのに、
「どこの出版社か、作者も、どこの馬の骨か分からない人間の本を、誰が店頭に並べるというのか?」
ということである。
もし、万が一並んだとしても、
「一日で返品」