闇が作り出した幻影
「集中してパソコンに向かっている人は、集中しながらも、まわりの雰囲気を意識しているようで、その違いが、ちぐはぐな感じがして、面白い」
と言えるだろう。
パソコンに集中している老人は、何をしているのかというと、
「小説を書いている」
ということであった。
以前は、パソコンが主流だったころ、ある時期、
「小説家になりたい」
と思う人がかなりいた。
というのは、その根幹にあるのは、
「バブルの崩壊」
だったのだ。
バブルが崩壊する前は、企業も、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
という時代だったので、社員を使っていくらでも、儲けるということを考えていた。
だから、
「24時間戦えますか?」
などというキャッチフレーズの、
「スタミナドリンク」
というものが売れまくった時代だった。
しかし、バブルが崩壊してしまうと、それまでの神話が、
「音を立てて崩れ去る」
ということになり、
「その影響からか、会社の収入には限界が出てきた」
ということであった。
おまけに、
「バブル経済の正体」
というのが、
「実態のないものの取引」
ということで、一度、破綻すれば、
「二度と立ち上がれない」
ということになるのだ。
なぜなら、
「破綻するのは自分の会社だけではなく。当然、連鎖反応というものがある」
ということで、さらには、
「社会全体が崩壊するのだから、誰かに助けを求めても、その相手も、それどころではない」
ということになる。
特に銀行などはひどいもので、
「銀行は絶対につぶれない」
などと言われていた時代があったのに、実際には、
「銀行が最初に破綻した」
ということである。
それは当たり前のことであり、
「商売の正体が、実態のないものなので。その契約対象がお金だということで、その痛手を食らうのは、そのお金ということになる」
つまりは、
「お金で商売している銀行が、一番のあおりを食らう」
というわけで、
「お金があれば、必ずもうかる」
という時代だったことから、銀行は、利息を狙って、たくさん貸し付けることになるわけで、そのお金が、
「まったく価値のないもの」
ということになると、結局は、
「最初に破綻するのは、銀行だ」
ということになる。
本当であれば、
「銀行が、倒産する企業を助けなければいけない立場で、最初にバタバタとつぶれていくのだから、どうしようもない」
助けなければいけない立場で、困窮しているところを巻き込みながら、奈落の底に落ちていくというのだから、それこそ、
「大地震に見舞われた大都市」
という様相を呈しているといってもいいだろう。
それが、バブル崩壊の正体だったのだ。
バブルが崩壊した時、会社が考えたことは、
「収入がないのであれば、支出をいかに減らせるか?」
ということであった。
支出の中で一番大きな問題というのは、
「人件費」
であった。
つまりは、体のいい、
「首切り」
というもので、その頃から言われ始めた言葉としての、
「リストラ」
であった。
本来であれば、
「優良経営のための一手段」
ということで、別に、
「人員削減」
という言葉に言及したものではないという、決して、
「悪い意味での言葉」
というわけではなかったのだ。
しかし、実際には、
「リストラ」
というと、
「会社の都合で、社員の首を切る」
ということになったのであり、そのためにとられた手段として、
「早期退職者を募る」
というものであった。
というのは、
「早期に退職を言ってきた人には、退職金に色を付ける」
ということで、それは結局、
「つぶれるかも知れない会社に、いつまでいても仕方がないだろう」
ということを言っているわけで、もっといえば、
「このままいれば、辞めさせるしかない」
ということと同じということで、実際に、時代の混乱を考えると、
「早期退職に応じる」
という人も多かっただろう。
それだけ、
「バブルの崩壊によるリストラの嵐を止めることはできない」
と判断した人が多いということであろう。
そんな状態だったので、リストラされた社員は、家族に、
「首になった」
ということがいえずに、毎朝、それまで同様、いつもの時間。
「行ってきます」
と言って。会社にいくふりをして、帰宅時間まで、
「公園のベンチで座って時間を過ごしている人が多くなった」
という時代だったのだ。
そんな時代にどうすることもできず、
「皆が時代に流されるだけ」
だったが、そのうちに、
「奥さんが、働きに出る」
という、ことになり、家族の在り方も変わってきた。
「旦那一人に負担を掛けない」
というように、今度は企業が考えたのが、
「非正規雇用者」
というものを雇うということであった、
だから、
「夫婦二人で稼いだお金が、旦那一人で稼いでいた時よりも多い」
ということであれば、何とかやっていけるというものだ。
そんな、会社の在り方が変わってくると、今度は、それまで言われていたことが変わってくるわけだ。
それが、
「終身雇用」
「年功序列」
というものの崩壊ということであった。
「会社に新卒で入れば、定年まで勤めあげるのが当たり前」
ということで、
「離職する」
ということは、
「家庭の事情」
ということでもなければ、あとは、
「社員がその仕事に向かなかった」
ということによる場合もあった。
さらには、今言われている、
「いやがらせ」
としての、
「ハラスメント」
によって、辞めさせられるということであろう。
この問題は、近年になって見直されてきたが、当時は当たり前のようにあったのだ。
だが、終身雇用ということがある以上、
「会社に逆らえない」
ということで、逆に、
「ハラスメントが横行していた」
ということで、
「圧倒的に。会社側が強い」
と言えるだろう。
だから、大きな会社では、組合なるものを作って。
「社員の権利を保障する」
ということであっただろう。
バブル経済の時期というのは、
「バラ色の時代だった」
という人もいるが、
「昭和の時代」
というのは、
「古き良き時代」
という人もいるが、実際には、昔から言われていた。
「男尊女卑」
であったり、
「会社の命令には絶対」
という風潮があったのも事実であり、
「どっちがいいのか悪いのか?」
というのははっきりとはしないといってもいいだろう。
それを考えると、
「今の国家や会社が歩んできた道を考え。この先の国家の興亡というのが、どこに向かっているか?」
誰に分かるというのだろう?
そもそも、
「バブル崩壊」
なるものだって、今であれば、
「誰にでも見えていたことだ」
と感じられるくらいなのに、
「誰も予想はしなかった」
ということで、そんな時代を生んだのは、
「何か別の力が見え隠れしていたのではないか?」
ということも考えられる。
それこそ、今のネット時代に出てきた、
「陰謀論」
というものが、実際には、
「昔の、昭和という時代にもあったのかも知れない」
と感じさせる。