闇が作り出した幻影
「そんな会社の体質が、国営という甘えを生んで、それが、累積赤字を膨れ上がらせ、結局は、国で面倒を見ることができなくなったということでの、民営化ということになったのである」
つまりは、
「企業の体制が甘えの体制にある」
ということで、本来であれば、
「社員全員の責任」
であるはずなのに、社員とすれば、その責任を感じていないという連中が多いことから、
「謝罪会見事件」
ということに発展するのだ。
しかも、謝罪しているはずの社長の姿が、
「本当に謝罪する気があるのか?」
ということで、
「まったくの茶番でしかない」
ということになると、本当に誰も信用しなくなる。
しかも、世の中が次第に、おかしくなり、
「謝罪会見現場」
というものを、テレビで見ない日はないというくらいになってきたのだった。
その会社も毎日違う会社で、
「よくも、こんなに毎日のように湧いてくるというものだ」
ということになるのであろう。
それが、しばらく続いた。
しかも、謝罪の光景は、完全なデジャブであり、中には、
「本当に心から謝罪をしている人もいる」
ということなのだろうが、今までのひどい連中を見慣れてきたために、ほとんどの人が、
「誰が信じるか」
ということになってきたのだ。
そんな光景の最初は、
「旧国鉄の民営化された鉄道会社だった」
ということを覚えている人は、もうほとんどいないだろう。
時代からすれば、
「平成になってすぐ」
ということなので、
「もう、30年以上も前で、実際には、40年が経っている」
といってもいいくらいなのかも知れない。
それでも、駅を建て直す前の、
「駅や駅前というのは、風情があったものだ」
と言えるだろう。
駅舎の中には、
「駅のホームの中に、動物飼育の小屋があり、そこでクジャクを飼っていた」
という駅もあった。
駅舎改装にともなって、市内にある動物園に引き取られていったということであるが、
「駅にいてこそ目立ったクジャク」
ということで、それこそ、
「駅の守り神」
というか、
「駅長」
という存在でもよかったくらいだ。
そんな貴重な駅だったのに、果たして、昔から利用している人の中に、どこまで、
「駅舎にクジャク小屋があったのか?」
ということを知っている人がいたのだろう?
駅の方が、
「駅を盛り上げるため」
ということでやっていても、結局は注目されなければ、
「ただ無駄なだけだった」
ということになるだろう。
それを考えると、
「駅の改装で、昔のようにしても、ただ無駄になるだけだ」
という意見も無視はできない。
実際にそういうことなのだからであり、駅の運営とすれば、殺風景の方がいいと考えていることだろう。
それでも、まだ、
「テナントに入ってもいい」
という企業があるだけいいといえるのではないだろうか?
実際に、それほど大きな企業ではないところは、名乗りは上げたがいいが、利用客の少なさが、想像以上で、
「撤退するしかない」
ということになったのである。
それも、開店して半年というスピード撤退。
それこそ、改装後の駅前というものが、
「本当に喧騒としている」
ということであろう。
そんな喧騒とした状況において、誰が、駅前の店に立ち寄ろうというのだろう。
今できている店は、
「数人でわいわい騒ぐ、それこそ居酒屋のようなところはなく、一人で夕食に趣くという雰囲気の店が多い」
確かに、今の時代は、昔のように、
「数人で会社の帰りに飲んで帰ろう」
ということであったり、
「上司が部下を誘っての飲み会」
などというのはなくなった。
皆、
「会社を出れば、自分の時間」
ということを考える人が増えてきたということであるし、
さらには、
「上司が部下を誘うということ自体、今では、パワハラになる」
ということから、集団の客というのはめっきりと減ってきた。
毎年の忘年会というものも、正直減ってきている。
それも、
「忘年会に強制参加というのは、パワハラだ」
ということで、
「忘年会を開催しようとしても、人が集まらない」
ということで、当然のごとく、
「今年の忘年会は中止」
ということになり、どんどん忘年会が減っていくと、もう最初から、忘年会というものをしようというところもなくなってくるわけだ。
それが、
「社会の風潮」
ということであれば、時代に流れに逆らうことはできない。
そうなると、
「忘年会などの宴会がないとなると、予約客がめっきり減る」
ということになり、そうなると、
「一人で入る客を大切にする」
という、いわゆる、
「常連でもっている店」
という感じのところが増えてくるということだ。
そうなると、賑やかな店はなくなり、テーブル席よりも、カウンター席の方が多くなるという店に変わってくる。
皆、スマホをいじっているという光景が当たり前のようになることで、
「殺風景」
という感覚は、
「それが前からずっと続いていた」
ということから、
「違和感はないな」
と感じるようになり、次第に見慣れた光景ということになるのも、しょうがないことなのかも知れない。
腐敗した鉄道会社
そんな駅前の光景の中で、
「有名チェーン店」
の経営している、カフェであったり、ファーストフードの店舗が乱立しているあたりは、別の空間のようで、結構賑やかだったりする。
しかし、そこはすでに、駅前ではない。
駅舎を出てから数分は歩かなければいけないところで、昔でいえば、
「駅前商店街」
があったあたりだ。
今ではその名残もなく、うわさには、
「商店街があった」
ということで、
「そこには、アーケードがあったのかな?」
ということを思わせるのであった。
今では、
「アーケード」
というのを見るのも久しい。
実際には、この地域の中心駅の、繁華街には、まだアーケードの光景は残っているようで、その雰囲気は、
「昔のアーケード街からすればmほど遠い」
と言えるだろう。
なんといっても、上を見なければ、そこにアーケードがあるということに気づかないからである。
それだけ、アーケードを除く商店街が、今までに、補修改修を行って、
「マイナーチェンジをしてきた」
ということになるということであった。
そんなアーケード街なので、
「建て直す」
というほどの大改修をすれば、
「店舗が経営できない」
ということで、街としては、なるべく、延命をということになったのだろう。
しかし、それも限界があるようで、
「完全に老朽化している」
ということで、
「全面建て直し」
ということしか方法がない。
さらには、まわりのビル群も同じ悩みを抱えているということで、
「県議会の閣議決定により、駅前繁華街の大規模改革に乗り出す」
ということになったのだ。
だから、中心都市のターミナルも、再開発ということになるのであった。
「アーケードの商店街は、残さない」
ということに決定し、すべてを、
「商業ビル」
ということにする。
と決定したのだ。