闇が作り出した幻影
そのうちに、パソコンというものが普及してきた。
そもそも、川崎が今までパソコンを使わなかったのは、
「自分の部屋で書く」
ということをせず、
「喫茶店やファミレスなどで書いている」
ということを繰り返してきたからだった。
そもそも、書けるようになったというのは、
「喫茶店やファミレスで書く」
ということに思い立ったからであった。
喫茶店やファミレスというところは、絶えず、
「空気が動いている」
ということであった。
つまりは、
「客の出入りがある」
ということで、書けなかった時にはできなかった。
「写生」
というものが、ここではできるということが分かったからである。
例えば一人の客を見た時、その客を、
「丸裸にする」
というくらいに相手を凝視する。
そこで見えてきたものを、まずは箇条書きにして、そのあとで文章に起こすという練習をしていた。
「スーツを着ているから。サラリーマンだろう」
「年齢的には、30代くらいなので、奥さんと家には小学生くらいの子供がいるだろう」
「雰囲気から、週末にはいつも家族を伴って、どこかに遊びに行くというようなアットホームなお父さんではないか?」
「会社では、現場の背金員者くらいをしている人なんだろうな」
というようなことをどんどん思い浮かべてくると、
「この人を主人公にして作品を書こう」
と思ったりする。
次にジャンルを考えたり、目線というものを、
「一人称目線にするか、三人称目線にするか?」
ということもどんどん決まってくる。
実は、これも、ハウツー本に乗っていた。
そもそも、
「最後まで書き上げることができなかったときは、それ以降を見ても無駄なので、まったく見なかったのだが、書き上げることができるようになり、その勢いで、最初の頃は書いていたので、ハウツー本を見ることもなかった」
しかし、気持ちに余裕が出てくると、
「もう一度見てみるか」
ということでそこから先を見ていくと、
「なんだ、今俺が実践していることと変わりないじゃないか」
ということで、
「一つのきっかけから、大きなハードルを越えると、本を見なくとも、ハウツー本を凌駕できるだけの力が身についているんだ」
ということから、
「俺って天才かも知れない」
という、自惚れをしてしまっていたのだが、この自惚れというのも、
「ハードルを越えたから見える世界だ」
ということで、
「今まで見えなかったものが見えるところまできた」
と思うと、
「年齢的にはまだまだだ」
と考えるのも無理もなく、
「俺だって、プロになれるかも知れない」
という自惚れを、自分の実力として受け入れるのであった。
もっとも、
「自惚れというものを、実力だと思うくらいになったことが、大きなハードルを越えることができた一番の理由だ」
と感じたからで、それがいいことなのか悪いことなのか、その時点ではわからなかった。
実際には、
「どちらともいえない」
というのが今でも思っていることで、その答えはきっと、
「死なないと分からない」
ということになるのではないかと思うのだった。
今までに書いた作品というと、最初は、
「オカルト系」
の作品だった。
最初に書いていたのは短編ということで、ちょうど、
「小説を真剣に書きたい」
と思うようになった時、その気持ちにさせたきっかけとなった作家の本であったが、その人は、
「短編の名手」
と呼ばれる人で、
「奇妙なお話」
と呼ばれるような作品が多かった。
ジャンルとすれば、ざっくりと、
「ホラー」
ともいえるが、あくまでも、自分の作品は、
「幻想的なもの」
であり、
「超自然的な作品」
にしたいということで、
「都市伝説」
などというキーワードも一緒にすることで生まれる、
「オカルトなのだ」
と考えたのだ。
そして、喫茶店やファミレスで、ノートに向かって小説を書いていたが、当時はまだ、ノートパソコンというのはあったが、
「高価なもので、手が出ない」
と思っていた。
だが、数年もすれば、
「ノートパソコンも結構安くなり、普通に買えるようになった」
そこで、ノートパソコンを使って、小説を書くようになったのだ。
それが、ちょうど、今から20年くらい前であろうか、電気屋で、OAバッグなどということで、ノートパソコンを持ち運びするためのカバンを購入したのであった。
実際にノートパソコンを購入して書き始めると、その頃には、チェーン店のカフェにも、
「電源を貸してくれる」
という店も増えてきた。
「そもそも、世紀末くらいの頃は、電源を貸してくれるというところはあまりなかったのだ」
というのは、
「電気を勝手に使うというのは、窃盗罪に当たる」
ということから、昔からあった、老舗と言えるような、
「チェーン店のカフェ」
では、
「電源借りれますか?」
と聞くと、
「できません」
という答えしか返ってこない。
当たり前のことであろうが、客がそこまでサービスを求めるのはいけないことなのだろうかとも思うのだ。
そのうちに、携帯電話の充電を、
「コンビニや、いろいろな施設で無料でできる」
ということになっても、その店では、相変わらず、
「電源は使用不可です」
と言っている。
当たり前のことなのかも知れないが、今の時代にそれをいうというのは、
「私たちは、時代がどうなろうとも、ダメなものはダメだ」
ということで、
「サービス精神よりも、自分たちの規律や法律を優先する」
ということで、客からすれば、
「そんな不便な店に誰がいくか」
ということになるのだ。
自分たちで、客を減らしているということを分かっていないということであろう。
それを考えると、
「今の時代は、大名商売ではやっていけない」
ということを分かっていないのだ。
その証拠に、似たようなチェーン店が後から出てきたが、客は、明らかに新しく進出してきた店の方が多い。
「経営者な何も考えていないのだろうか?」
ということになるのだ。
時代の流れに敏感であってこその、店舗経営であるはずなのに、時代を逆行するというのは、客からすれば、
「喧嘩を売られている」
と思う人もいるのではないかということであった。
川崎が、最初の頃、
「短編しか書かなかった」
というのは、
「どうしても、長編を書こうとすると、言葉が続かない」
というのが理由であった。
そもそも、
「奇妙な小説」
というジャンルがそれほどたくさんの作家がいるわけではなく、手本となるもののほとんどが、
「短編小説だ」
ということからであった。
だから、10年近く、短編ばかりを書いてきたのだが、
「中長編を書きたい」
という気持ちがずっと自分の中でくすぶっていて、
「本当は何が書きたいのか?」
と考えた時、
「ミステリーが書きたい」
と思っていたのだ。
そもそも、最初に小説に触れた時というのは、川崎が中学時代のことであった。
その時ちょうど、戦前戦後に書かれた
「探偵小説」
というものがブームだったのだ。
一人の探偵がクローズアップされ、実際に今でも、