闇が作り出した幻影
ただ、異世界ファンタジーというジャンルは特殊で、特に、
「アニメやゲームの原作」
ということで、若い人たちが好んでやっていることの延長と考えれば、確かに、その傾向にあるといっても過言ではない。
さらに、
「アニメやゲームの原作」
ということで、当時言われていたジャンルの中でも、さらに大きなくくりとして、
「ライトノベル」
というものがあった。
これは、ほぼ、若者と言ってもいいもので、ジャンルとしては、もちろん、ほとんどのジャンルが当てはまるのだが、その中でも多いのが、
「学園もの」
であったり、
「純愛もの」
であったり、
「ファンタジー系」
と呼ばれるものであろう。
そう考えると、どうしても、若い人たちが書いている作品が多いといえるのであって、逆に、ある程度の年齢に達すれば、
「無料投稿サイト」
というものへのハードルは高いと考える年配の人も少なくないだろう。
そういう意味で、カフェにおいてパソコンを使って書いている老人も、最初は、
「異世界ファンタジーなんて、邪道だ」
と思っていたのだ。
執筆活動
川崎が小説というものを書き始めたのは、相当前からであった。
まだ、パソコンというものが個人に普及し始める前であり、ネットカフェというものが、どんどんできてくる前ということであった。
時代とすれば、
「世紀末くらいだっただろうか」
といってもいい。
元々は、もっと前から、
「書きたい」
という願望はあったのだが、なかなか書くことができなかった。
「小説を書く」
ということは、実際には結構難しい。
最初に、一つの大きなハードルを越えなければいけなかったからだ。
そのハードルというのは、
「最後まで書き上げる」
ということである。
もちろん、書き始めから、まったく文章が続かないというのが最初にくるわけだが、これも結局は、
「最初から、書けないというだけで、書き上げることができない」
というのと同じことである。
実際に書き上げることができないということは、
「途中で投げ出す」
ということで、その理由としては、
「最初からストリー展開をするための、設計図ができていない」
ということにある。
それを、
「プロット」
というのだが、それがうまくできていないと、途中で狂ってしまっても、
「どこで狂ってしまったのか?」
ということが分からず、
「前を向いても、後ろを見ても、五里霧中」
ということになってしまうのであろう。
確かに、最初に小説を書きたいと思った時、本屋に行って、
「小説の書き方」
なる、
「ハウツー本」
というものを買ってきて。勉強すると、そこには、それらのことは全部書いてあった。
しかし、実際には、半信半疑で本を読む。
そして、これが、実際に何かのきっかけがあるのだが、それによって書けるようになると、
「なるほど」
とばかりに、その本に書いてあったことが分かるようになってくるのだ。
つまり、ハウツー本というのは、
「実際に自分が経験し、乗り越えなければ、そこに書いてあることが分からない」
といってもいいだろう。
つまり、そのハードルを越えてから、初めて、
「スタートラインに立つ」
ということで、
「ハードルを越えるためのハウツー本」
ということなのだが、実際には、
「ハードルを越えた後に大切になってくる本」
という意味もあり、ハードルを越えないと、そのことが分からないのであろう。
それが分かった時、老人はすでに、年齢的には、
「30代後半」
ということで、自分としては、
「まだ若い」
ということを感じていたので、
「いずれは、プロの小説家になりたい」
と思っていた。
実際に、
「最後まで書けるようになると、まるで、自分が天才になったかのように感じるのであった」
というのも、それまで書けない時期、どれだけ書けるようになるかというのを努力して。やっと書けるようになったのだ。
そして、本に書いてあるように、
「ほとんどの人が、最後まで書けずに挫折する」
ということで、
「自分は、その少数の中に入ったんだ」
ということで、
「天才ではないか?」
と思ったのも、無理もないことだろう。
それまでの自分は何をやってもうまくいかず、いろいろな趣味に手を伸ばしては、結局成果が出ることもなく、挫折してしまっていた。
「自分には向いていない」
というたった一言を言ってしまったために、それまで少しでも努力してみようと感じたことを、水泡に帰してしまうのであった。
そうなると、
「俺は、何をやってもダメなんだ」
と思い込むようになり、年齢的にも、
「まだ若い」
と思いながらも、無駄に過ごしてきた年月を考えると、
「ああ、俺もいい年だ」
と思うようになった。
しかし、30代後半で、再度、
「今までで一番やりたかったことは何か?」
ということに、一蹴回って戻ってきた。
それが、
「小説執筆」
というものだったのだ。
ただ、なんといっても、最初のハードルがどうしても越えられずに、挫折したことが頭に残っていた。
だから、今度は、
「いろいろ考えてみる」
ということにした。
「環境を変えてみる」
ということで、
「場所を変えたり、材料を変えたりしてみたのだ」
それが、前述の、
「きっかけ」
ということになり、何とか、一作品でも、最後まで書き上げることができたのだった。
そのおかげで、
「これからも書いていける」
と思い、さらには、
「今まで、趣味を見つけたい」
と思いながら試行錯誤をしていたのも、終わりだったのだ。
「試行錯誤をしていた」
といっても、結果としては、どれもこれも最後は逃げ出したということで、執筆に関しては、
「そんなことはない」
と考えたかった。
実際に、執筆活動をしていると、最初こそ、
「作品を書き上げるのは苦しい」
と思っていたが、その苦しさがあるだけに、
「書き上げた時の満足感と充実感に勝るものはない」
と言えるのであった。
実際に小説を書き上げることができるようになると、アイデアもどんどん出てくる。
とはいえ、どうしても、似たような作品が多いのだが、それも、
「一種のシリーズもの」
と考えれば、自分を納得させるということができる。
実際に小説として完成したものを読み返すと、
「自分で考えていたよりも、ストーリー性としての類似点はない」
と思った。
その場その場のシチュエーションに類似があったとしても、それは他の作家の作品でも同じである。
そもそも、
「似たような作品だ」
と感じるのは、
「書いている」
という時であり、
「執筆中というのは、自分の頭の中で、ストーリーだけではなく、情景や構成も頭に浮かんでくるというもので、前にも似たような作品を書いていれば、似たような作品ではないか?」
と感じたとしても、それは、
「無理もないことではないか?」
ということになるのであった。
小説の書き始めというのは、そう考えながら、紆余曲折を繰り返していた。