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時間差の悲劇

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「復讐という行為は許されないし、結局は、復讐によって、お互いに終わることのない復讐劇であったり、悲劇の連鎖が続く」
 といってもいいだろう。
 結局は、
「「時間差による悲劇」
 というものが、
「負のスパイラル」
 というものを生み出し。
「永遠に逃れられない、連鎖の地獄」
 というものを描いていくことになるだろう。
 それを誰が分かっているというのか、今のところは、まだ、完全に記憶が戻っていないということで、彼女の容態は、
「膠着状態が続いていた」
 ということであった。
 しかし、
「5年も経って、記憶が戻らない」
 ということになると、医者の方も、
「半分は諦められた方が」
 という言い方をしていた。
 ただ、医者は、
「時間差の悲劇」
 ということについては、理解しているようだ。
 このことは、
「まだまだ記憶が戻る可能性がある」
 といわれた最初の頃から、医者は感じていたのだが、
「これを被害者家族に言っても、なかなか時間差の意識を持たなければいけないといっても、分かるわけはない」
 ということで、いえるわけもなかった。
 それこそ、
「警察官が四六時中見張ってくれている」
 ということであれば分かるが、それにも限界があるというもので、もっといえば、
「家族が、意識していたとしても、ちょっとした油断で、自殺されてしまう」
 ということもありなのだ。
 自殺しようとする人は、それなりの覚悟があるわけで、
「失敗するわけにはいかない」
 とも考えるだろう。
 それを思えば、
「自殺なんてできないだろう」
 と、本当の苦しみを知らない人は考えない。
 それを考えるということは、
「医者というのも、今までにたくさんの苦しんでいる人を見てきている」
 ということで、
「医者のいうことも、信じないといけない」
 ということになるだろう。
 どうしても、医療ドラマなどを見ていると、
「面白おかしく演出しているところもあることから、全面的には信じられない」
 ということで、どこまで信じればいいのかということを考えさせられるのが、ドラマというものであろう。
 ただ、医者は少し別のことも考えていた。
 しかし、それを患者の家族には言えないでいたのだ。
 というのは、
「へたに安心させたりして、思わぬ方向に行ってしまい、取り返しのつかないことになればどうしよう」
 ということであった。
 ちなみに、
「取り返しのつかないこと」
 というのは何であろうか?
 今のところ、
「医者が考えている場面において、最悪と思えることであろう」
 と考えると、
「医者にとっての、最悪のことといえば?」
 というのは、言わずと知れた、
「死ぬ」
 ということである。
 この場合であれば、
「被害者の自殺」
 ということになるだろう。
 5年も経って、記憶が戻っていないのだから、
「このまま戻らない可能性もかなり出てきた」
 ということであろう。
 本来なら、医者とすれば、
「強引にでも、記憶を取り戻すようにしたい」
 ということで、できる限りの方法を高じることだろう。
 しかし、この医者はそれをしなかった。
「5年も経ってから、記憶が戻れば、他の人は、事件の記憶はほどんど風化している」
 といってもいいだろう。
 しかも、危険性を医者はいっていないのだ。
 もし、記憶が戻ってから、それを言ったとしても、医者が期待するほど、まわりの人に、
「気を付けてほしい」
 という希望が通るとは思えない。
 結局は、
「もう、5年も前のことなんだ」
 ということで、
「自分が忘れているんだから、彼女だって」
 ということになる。
 なんといっても、
「あの事件のことは、絶対に一生忘れることはない」
 と思いながらも、
「時が解決してくれた」
 ということである。
 だから、彼女も、
「時が解決してくれる」
 と思うことだろう。
 しかし、彼女は、
「浦島太郎」
 なのだ。
 忘れられないと思っても、忘れてしまった立場からは、むしろ、
「思い出したくない記憶」
 と感じることが、
「本当の時間差の悲劇」
 ということになるのだろう。

                 戻りつつある記憶

 5年も経っているのに、医者の方が、
「そういう危険性があるということを予見しているにしては、あまりそれに対しての手を打っているわけではない」
 ということから、本当であれば、
「何かおかしい」
 と考えてもいいだろう。
 しかし、この場合は、
「最悪の可能性を予見しながらも、それにあえて触れない」
 ということは、そこに、
「決定的な危険性がない」
 と考えているからに違いない。
 確かに、このまま放っておけば、
「永遠に記憶が戻らない」
 ということであれば、
「それはそれで仕方がない」
 として、最悪の状況を逃れることができるだろう。
 だとすると、
「永遠に記憶が戻らないような方法があるのであれば、そちらに舵を切ることもできるだろう」
 しかし、そんなことをしてしまうと、
「モラル」
 であったり、
「倫理」
 というものは、どうにもなるものではない・・
 実際には、今一番リアルに心配しているのは、実際の暴行犯であろう。
 結局、犯人の手掛かりは、証人である被害者二人は、
「一人は完全に気を失っていて、重症一歩手前」
 ということで相手の顔を見たわけでもない。
 そして、実際に暴行された方も、記憶を失ってしまっていて、今のところ思い出すということはなさそうだ。
 ただ、犯人たちにとって、都合がいいのは、
「刑事時効というのが、暴行罪の場合は、3年」
 ということである。
 5年が経っている以上、このままでは、もし記憶が戻ったとしても、訴えることができないということになるのだ。
 それを考えれば、犯人たちにとっては、一安心だということだろう。
 ただ、一つ言えば、
「記憶を取り戻した被害者とすれば、彼女にとっては、時効がいくら成立していようが、昨日のことなのである」
 しかも、自殺してしまいかねない状況になると、その罪の重さは、刑罰以上のものがあるだろう。
 もし、彼女の記憶が戻り、彼女がそのまま、今までの忌まわしい記憶を忘れて、たくましく生きていってくれるのであれば、旦那も家族も、あえて、
「復讐」
 などということを考えることもないだろう。
 しかし、それが、そうはいかず、
「自殺を試みて、記憶が戻ったことで、却ってめちゃくちゃになってしまった」
 ということになれば、旦那や家族からすれば、
「昔に引き戻された」
 ということになり、それこそ、
「時間差の悲劇」
 となるであろう。
「そんなひどいことが、この世にあっていいものか?」
 と言いたい。
 しかし、実際には、巻き起こる可能性が高い。
 実は、二宮は、すでに、自分の記憶と警察の捜査を伝え聞いたり、探偵を雇って調べてもらうなどして、ある程度の犯人を捜し上げていた。
 警察も、ほぼ同じ相手を犯人だとしてマークはしていたが、何しろ、
「証拠も、証人もいない」
 ということから、何もできないのであった。
 そのうちに、
「時効」
 というものを迎えてしまった。
 これが、
「殺人」
作品名:時間差の悲劇 作家名:森本晃次