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時間差の悲劇

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「自分には関係ない」
 というような言い方をするやつだったのだ。
 それを思えば、
「あいつが友達をたくさん作ろうとしたのも、何かあった時に、そいつらに責任を擦り付けよう」
 と考えたからではないだろうか?
 そこまでそうだといえるのか分からないが、少なくとも、
「真摯に謝っていないやつに、自分の正当性を訴える資格はない」
 ということで、
 謝罪というものが全部、
「謝れば許される」
 ということで、
「下げる頭の値段が、本当に陳腐なものでしかない」
 ということになる。
 そもそも、
「謝罪に値段をつけるというのがおかしなわけで、やつの態度を見れば、謝罪をお金で買ったとしか思えないように感じるのは、どうなのだろう」
 だから、この男が、法廷で、
「申し訳ないことをしました」
 と言った時ほど、
「人間の言葉で、これほど、嘘にまみれた言葉がない」
 と思ったのだ。
 この男が何をしたのかというと、今から5年前、つまり、
「結婚直後のことだった」
 という時期の暴行であった。
 二宮の方は、頭を殴られ気絶した状態で、奥さんの香織の方は、
「男数人に暴行され、放心状態で、身体には無数の傷が残っていた」
 問題は、それ以上に、
「精神的なこと」
 といってもよく、香織は、その時のショックで、記憶を失っていたのである。
「不幸中の幸い」
 というべきか、
「暴行された時の記憶も飛んでいるので、自分に何があったのか?」
 ということは覚えていない。
 しかし、だからと言って、ほとんどのことを忘れてしまっていて、二宮と結婚したことも、母親のことさえ忘れていた。
 しかも、
「お父さんは生きているんだ」
 という、不完全な記憶だけ残っていて。これほど、気の毒な記憶喪失もないといえるだろう。
 しかも、もっと大きな問題は、原因が、
「暴行を受けた」
 ということであった。
 幸いにも、妊娠の心配はなかったのだが、今の状態で、本当であれば、まわりの人、
「10人が10人まで、記憶が戻ってほしい」
 と思っていることだろう。
 しかし、そうなれば、
「幸せだ」
 ということにはならない。
 なぜなら、
「記憶を取り戻すということは、あの忌まわしい記憶も取り戻す」
 ということになるわけだ。
 今は、幸いというのはひどいが、少なくとも、トラウマになるようなことはないだけでもよかったといえるのだろうが、
「もし記憶を取り戻せば、周りの人を思い出すことができる代わりに。自分の身に起こった災難も一緒に思い出す」
 ということになる。
 もし思い出してしまえばどうなるだろう?
 記憶を失ってから取り戻すまでに、他の人は、その時間だけ、
「猶予がある」
 というわけだが、彼女からしてみれば、
「ついさっきのこと」
 ということになり、へたをすれば、自殺を試みるかも知れない。
 何が最悪なのかというと、まわりの人は、時間の経過とともに、少しでも
「忌まわしい記憶を忘れよう」
 と考えることで、無意識に、
「いやなことを思い出したくない」
 ということから、あの事件を、忘れようとするはずだ。
 実際に時間が経っているので、感情として、怒りは薄れていて、実際に、忘れてしまったと思いたいだろう。
 だから、
「彼女の本当の苦しみを分かる人は誰もいない」
 ということになる。
 まわりの人からすれば、
「彼女も早く忘れてもらって、新しい生活に戻ってほしい」
 ということで。わざと事件に触れようとしなかったりすれば、余計に、浦島太郎状態の彼女からすれば、辛いことになるに決まっている。
 それをまわりの人が分からないのも無理もないことである。
 それが、悲劇ということで、
「記憶喪失になったことよりも、この間のタイムラグが産んだ、
「時間差による悲劇」
 というのは、
「どれほどひどいものか?」
 ということになるのであった。
 それを考えると、
「犯人たちは許されない」
 実際に暴行したのは、この沢井が主犯であった。
 彼は、普段から、
「何かにつけて、不安がっていた」
 という性格であった。
 たまに、
「躁状態になって、少々のことは気にしない」
 ということもあるが、基本的に、ちょっとしたことでも。不安に思い。それこそ、
「疑心暗鬼」
 というものに襲われる性格だったのだ。
 だから、大学時代には、友達をたくさん作ることで、自分を肯定してくれる、
@イエスマン」
 というものがほしいと思っていた。
 だから、自分も相手を否定しない。
 もし悪いことをしていても、それでも、肯定しようと思うくらいであった。
「ただ、間違いは、友達というのは、似たやつが集まる習性がある」
 ということで、同じように、
「いつも疑心暗鬼になっている」
 という連中がまわりに集まってくるのだ。
 いくら自分をほめてくれても、同じように自分を信じられないと思っている連中ばかりなのだから、
「信憑性があるわけはない」
 と言えるだろう。
 そうなると、
「俺が不安な時は相手も不安なんだ」
 ということで、
「負のスパイラルではないか?」
 ということは分かっていたのだ。
 ただ、
「俺の考えていることは、ツーカーで分かる」
 というもので、それだけに、友達のやっていることを反面教師にすればいいのか?
 とも考えるようになったが、それが正解なわけがない。
 大学時代のともだち、いわゆる、
「悪友」
 という連中は、考え方は子供だった。
 へたをすれば、
「犯罪にならなければ何をやっても許される」
 と思っていたのだ。
 特に、沢井が、
「謝れば許される」
 と考えていて、それをまわりに話せば、まわりも、
「そうだそうだ」
 という始末。
 つまり、
「最初は自分だけの意見であったので、不安であったが、相手が誰であれ、一人でも賛同してくれたのであれば、
「それが正解というものだ」
 ということになるのであった。
 だから、やつらは、犯行計画を練り、暴行に走ったのだ。
「たまたま歩いていた」
 というだけで狙われてしまった。
 奴らの計画というのは実に甘い中途半端なもので、
「どこの何時ころなら、人が少ない」
 というだけのもので、それこそ、
「たまたま歩いていた」
 というだけで運が悪かったという、まるで、
「衝動殺人のようなもの」
 といってもいいだろう。
 これだって、被害者からしてみれば、
「暴行された上に、記憶喪失にまでさせられて、記憶が戻ったとすれば、今度は別の導火線に火をつけるようなものだ」
 という、へたをすると、
「殺人」
 というよりも、罪が重いといえるかも知れない。
 もし彼女が記憶を取り戻し、パニックになってしまい、自殺するなどということになれば、まったくもって、殺人と同じであり、さらに、罪とすれば思いかも知れない。
 家族は皆、
「よかった。何とか記憶が戻ってくれた」
 ということで、
「ひとまずは、一安心」
 ということになるはずなのに、結局は、
「死んでしまう」
 ということで、残された家族からすれば、
「二度も、ひどい目に逢わされた」
 ということで、
「二度復讐してもしたりない」
 ということになる。
 今の日本では、
作品名:時間差の悲劇 作家名:森本晃次